昔、版画職人になろうと思う若者は皆、経験を積んだ親方の庇護の元で精進しました。徒弟制度は、技術を継承するという意味でも、また、まだ半人前で独立できない若者に必要最小限の生活を保障したという意味でも、有効に働いていました。印刷機が導入されて、なにもかもがひっくり返るように変わってしまう前なら、経験の浅い職人にもたくさんの仕事があったのです。たとえそれが、食品の包装紙などのように単純な仕事であってもです。
見習いとはいっても、取り立てて教えてもらうということはなく、一緒にいながら、見よう見まねで、親方の技を盗むようにして学んでいたようです。でも、こうして「教える」ということが実際にはなかったとしても、おそらく、たくさんの助言は与えられたと思うのです。ことに、見習いがへまをしでかした時などは、材料や時間の無駄が親方の肩にかかってくるわけですから!
こんなことを考えたのは、何ヶ月か前に、自分が大きな間違えをしてしまい、ほぼ2週間も無駄にした時でした。私の周りには、怒鳴り付けるような人はもちろんいませんが、もしいたら、一体どんなことになるだろうかと、どうしても考えてしまったのです.... とても厳しい親方がいつもこの部屋にいたら....
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「こんなとんでもない事をしでかして、ちったあ懲りただろうよ。彫って摺って、今度は自分で版木まで作るなんてな、何もかもできるってんで、いい気になりやがって。あんまり色んなことに手を出しゃあ、何ひとつ物にならねえってことがやっと分っただろ。謙虚になって、他のこたあ、その道の玄人に任せろってんだよ!」
こんな声が聞こえるのは、私が失敗をした時だけではありません。幸運なことに、何か間違えをしそうになると、私には聞こえるんです....
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「おまえさんが、ちっと使いに出かけてる時に版木を覗いたんだがね、この絵の枝んところを彫ってるとき、葉っぱのひとかたまりを削っちまっただろ。どうしたってんだい!『こんなところ誰にもわからないだろう』ってなこと考えてんのかい?ふざけちゃいけねえよ。いいかい、おめえは彫師だよ!絵師がここに葉っぱを描いたら、それを彫るのがおめえの役目じゃねえか。取っちまうなんてもっての他だ!
「なにかい、時間の節約かい?なんの為だい?この仕事が終わりゃあ次の仕事があるんだ、そんな手抜きなんかしたって、おめえさんにゃあ意味のないこったい!さあ、埋木を用意して、そこんとこは始めっからやり直しだ。今夜中に仕上げちまいな!」
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「おめえが終わらしたところの、今朝の仕事だけどな、黄色の版の一番右っかしの見当がずれてんのが、見えねえのかい?きまってらあな、ちっとばかし版木が縮んだんだよ。色版は軽めの板でできてるからな、いつだって墨版よか縮むんだい。版木は古くなるとな、決まって縮むんだ。おめえが、自分の事を摺師っていうんならな、こんな事ぐらいなんとかしてみなよ!この色はな、2回摺りゃあいんだ、右からと左からとな。そうすりゃあ、真ん中でぼかしがうまいこと混じるんだい。2度手間にはなるけんどな、だからなんだってンだ。『家でやった仕事』ってことになるんだ、考え直してくれなきゃ困るぜ。
「さあ、さっさと始めからやり直しな。無駄になった紙代は今月の給金から差し引いとくからよ。」
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「黙っていようと思ったんだがよ、気になってしょうがねえんだ。おめえ、最後に砥石を使ってからもう半時近く経ってんだよ。なんか、刃先を鋭くしとく術でも見つけたんだろうな。俺達にも教えてくんな!」
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「一日休みたいだって?ふざけちゃいけねえよ!仕事の山を見てみろってんだ!そんなバカな事言いやがって、何を考げえてやがんだ!」
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「例の版元がやってくるんだ、道具を片付けてどっかに行っちまいな。何か出かける用でもあるだろ。この前来たときにな、お前さんのバレンを見ていてな、へたっぴいな包み方を見ていなすったんだよ。あん時の顔を見ただろうが!俺んとこは子守りをしてるなんて思われちゃあたまんねえや、さあ、とっとて消えてな。
「おめえ、一体いつになったらビシッと包めるようになるんだろなあ?ここに来たばかしの時に、やって見せたじゃねえか。もう一回繰り返せってえのかい?よ〜く考えてみるんだね。」
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「今度はまあまあの仕事だね.... 言いたかないけど、同じような色合いばっかしでちっとうんざりだね。そろそろ、ちったあ、創造力ってえのを働かせても良い頃じゃないかい。石のように決まりきった色を使うなんてこたあ、どこで習ってきたんだよ。絵師に渡された墨書きが読めないのかい、摺る時にどの色を使うかってことが、ちゃあんと書いてあるだろ。ほら、ここだよ... いいかい、『あい』『うす紅』ってね。
「あい、うす紅、って一体これがどんなことか、わかるかい?意味なんてありゃしないんだ!『あい』って書いてあったらだね、その色合ってえのは、限り無くあるんだからよ!この人の絵は前にも見た事があるだろうよ、もう型ってのが決まっていらあな。だから、たっぷり創造力ってえのを働かせてな、絵師の思ってるような絵を作っていくんだよ。どこまでできるか、やってみることで、おめえの力も伸びるってえもんだ。
「俺たちゃあ、摺師なんだ。俺たちが、絵を作っていくんだよ。客が買うときゃあな、絵師の名めえしか見ねえよな、だがな、だからって文句を言っちゃあいけねえんだよ。
「おめえが、ここに来て、もう何年にもなるなあ、そろそろ腕を上げて本物の版画ってえのを作ってみろよ。この次ぎはだな、もっと良い仕事ができるってことを、おいらに見せてみろよ」
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さあ、これで十分でしょう。お分かりになったと思います。でも、お伝えしなくてはならない事実として、こんなふうに「自分は厳しい環境の元で仕事をしているのだ」と想像したとしても、実際に叱られているとか緊張を強いられているとか感じるようなことはありません。静かな部屋で、時には音楽を聞きながら彫りや摺りをするというように、いつも自分のペースで作業をしているのですから、たいていはゆったりと仕事をしているわけです。
でも、ひとりで仕事をしているからこそ、こんなふうに、自分からそういった状況を造り出すということは、欠かせないのです。仕事の様子を見るとか、小言を言われるとか、経験を積んだ人に教えられるような環境で働ける機会は、私にはまるでないのですから。
そうなんです、いろいろな声が聞こえるんです.... いつも聞こえるんです.... 白衣を着た人を呼んだほうがいいんでしょうか?
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