デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

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大場さん

最近このコーナーでは、本格的な蒐集家であったり、御自身が版画を作る人であったりと、なんらかの形で木版画と繋がりのある方達をとりあげることが多かったようです。でも、もしもそういった人ばかりを取り上げていると、誤解を招いてしまいそうで....

大場さんは川崎市にお住まいで、もう長いこと私の作品を集めていらっしゃる方です。このコーナーに大場さんをとりあげたくお電話をすると、「私達はただ集めているだけで、専門家ではなく...」という返事が帰ってきたのです。そんなことはまるで構わないということを説明して、やっと承諾を得、まもなく訪問させていただくことになりました。(この時口には出しませんでしたが、これこそが私の聞きたい言葉でした!)

晴天に恵まれた日曜日、貞子と私がお宅に到着して暫くの間は、家の外でおしゃべりをしてしまいました。広い前庭があって、ここの住人はかなり庭仕事が好きだということが、ひと目でわかるほどだったのです。庭というのは、主の人となりを結構表すもので、あるタイプは、見るだけで中に入ってはだめということが明らかに見て取れ(ことに日本の場合)、あるいはまた、茂るがままに任せる自然派などもあります。(御存じの通り、私には庭がありませんから、勝手にこんな一般論を言ってるだけなんです!)大場さんのお宅の前庭をひと渡り見回していると、手入れの主がどんな人なのか、私にはかなり見て取れたのです....

12月も半ばで、庭はもう冬ごもりの準備ができていましたから、ふたりの「庭師」達は物事の手順を踏まえて秩序だった生活のできるたちとお見受けしました。かなり本数のある大木も、すべてほどほどの高さにまで切り詰めてあり、素人の仕事にしてはなかなかのできです。ですから、ここの主は、こんな大仕事ですら取り組んでやり抜いてしまう人達だということが分ります。手前の方には正統派の日本庭園で見かけるような木があります。伝統的な庭への嗜好があらわれているのでしょうか?でも、この丸くこんもりとした形の良い木に近寄ってよく見ると、無理に刈り込んだのではなく、ほぼ自然樹形であることがわかります。きっとここの子供達は、伝統を重んじる秩序のある家庭でありながらも、自分自身の考え方や価値観を自由に形成していけるような環境で育っているのだろうということも窺えます。脇の一角には、あまり見かけないものがありました。それは鉄棒で、子供達が小さかった頃にしっかり使い込まれたことがひと目で見て取れます。ここにいるだけでたくさんのことがわかります!実用的な生活感−庭は使う物で鑑賞して楽しむだけの対象ではない。鉄棒は陰の見えないところではなく、正門のすぐ側に設置されています。ふたりの庭師達は、表立ってはっきり示すことはしませんが、他人がどう思うかというよりも自己の価値観に従っている人達だということを窺わせました。

ここまで読んだら、大場夫妻は笑い飛ばしてくださるといいのですが!こんな「推測ごっこ」をしてごめんなさい。訪問の目的はおふたりを「分析」する為ではなく、もう少し知りたいだけだったのですから....

それにしても、この訪問はもっと早く計画すべきでした!平成元年から私の作品を集めてくださっているのに、御一緒にゆっくりお話するのは今回が初めてでしたから。おふたりが私の作品の事を知るきっかけになったのは、まだ「百人一首シリーズ」の3枚目を作っている時で、ある雑誌に取り上げられた記事をお読みになった事でした。今にして思えば、そういった記事を読んだだけで、ひとりの男の(版画を百枚作るという)企てに乗り、まだ出来上がってもいない版画の全部を注文してくださる人がいる、などということは考えも及ばないことでした。これについてお聞きすると、記事に載っていた私の写真の「一途な目」に惹かれたとのこと。どうやら、人となりは庭の様子からばかり判断していてはいけないようです!

御主人は、ある金融機関のとても責任のある地位に付いておられる方です。ここのところの新聞を読んでもわかるように、金融機関が巻き込まれる憂鬱な記事が繰り返し書かれていることから、こと最近に至っては随分と肩の荷の重い立場におられるのではないかと推察いたします。でも、時には居間のテーブルに摺物アルバムを広げて下さる事を、そして少なくとも月に一度は、送られてきた包みを開ける喜びを味わい、新しくできた私の作品と向き合うことで、しばし仕事に関することを忘れて時を過ごして下さることを願っております。

日本政府は最近、いろいろな伝統工芸を保護するための助成というのを提供しています。私の知っている彫師や摺師の中にも、そういった助成金でまかなわれている企画に参加している人がいます。でも私は、こういった企画は本来の筋を外れていると考るのです。もしも、ある営為が社会の自然な流れの中で支持されないのならば、屋台を畳んで消えるのが筋というものです。自然に訪れる最期が私達の元にやってきたなら、人工的に生かされ続けるなんて望む人などいないことでしょう。これは、工芸に関しても同じ事と私は考えるのです。

ですから、大場さんのコメントを聞いて私がどんなに嬉しかったか、きっとわかっていただけると思うのです「私達はただ集めているだけで、...」そうなんです。表面は「ただ」そうしているにすぎなくても、私にとっては大場夫妻のような存在こそが、自分のしていることへの意味を実感させてくださるのです。こういった方達の長年の支えがなかったら、私も今頃は消え失せている存在だったかも知れません。大場夫妻に限らず、このような収集家の方達への私の感謝の気持ちは、言葉では語り尽くせないものがあります。

それにしても大場隆夫さん、けい子さん、今はこのニュースレターを閉じて庭に出てくださいね!庭の植物はほとんど冬ごもり中でも、菜園の方には結構作業がありそうですから!

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