デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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高島屋レポート

いつも、展示会報告は春号に載せているのですが、今年は番外報告です!前回にちょっと書きましたように、今年の夏は高島屋から、大阪と京都店で恒例の「日本の伝統展」に参加しないかという申し出を受けていました。それぞれ6日間ずつの開催で、およそ50組の職人達が、日本全国から集まっての展示です。今年は初の試みとして、外国人を加えることになり、私を含めて5人が特別参加となりました。この催し物は長年続いているものですが、主催者側には、ちょっと変化をつけて新風を吹き込もうという目的があったらしいのです。

高島屋の狙いが当たったかどうか、それは分かりませんが、私にとってはかなり新鮮でした。自分の個展はもう12年間続けてきていますが、この催し物は今までのどれともまったく違っていたのです。高島屋への参加に際しては、いろいろと工夫を要する課題があり、中でも一番の難問は展示方法でした。今まで、新宿の高野で個展をしてきているために「甘やかされて」いましたから。高野の会場は広く、私の百人一首の全作品が展示できるほどなのです。ところが、この催しで自分に与えられた場所は、たたみ数畳ほどの広さしかなく、いつものように「版画とエッセイ」の両方を展示することは無理でした。これにはまいりました。両方を並べると、見に来る人はひとつひとつの作品をじっくり見るようになり、しっかりと鑑賞できるのですが。一方、百貨店での事情はまるで違い、ほとんどの人はぶらりと見て回るだけです。新宿のギャラリーですと、私の作品に興味があって、それを見ることを目的に皆さんがやってくるのですが、ここにくる人達は私の作品など、とりわけの興味はないのです。

そこで、貞子と私は、お客様達がちょっとの間でも私の所で版画を見るようにと、通り過ぎる人達の目を引きつけるような方法を考えました。今年1月に作った展示会用の屏風を使い、作品の並べ方に工夫をこらし、高島屋の方には特注の展示台をお願いしました。展示作業が終わってみると、ちょっと詰め込んだ感はありましたが、なかなか効果的にできていました。版画はとても魅力的に見えましたし、楽に鑑賞できるようにもなっていました。

こういった最初の難関を乗り越えても、次にきた課題は、版画を鑑賞した後の人達がどうするかということです。当然のことながら、たいていの人は、見るだけで行ってしまうでしょう。アルバムは絶対にバラ売りをしない、売るだけが目的ではない、という頑固な私の方針のせいで。ですから私は、この催しでたくさんの収集家を得る、などということは期待しませんでした。このことは、高島屋の人との打ち合わせ段階でも、はっきり言ってありました。彼等は、私の交通費とホテル代も払っていますから、実際の収支決算が合っているのかどうか、私には疑問です。でも、ここのところは彼等の感心事ではなくて、私が思うに、そもそも5人の外国人参加者達から多くの収益を得る事は期待していなかったようなのです。双方にとって、かなり実験的要素があったわけですから。伝統展の開催中、私達5人は、自分達が人寄せパンダなのではなかろうかと冗談を言い合ったりしたものです。人々に好奇心を抱かせて呼び集め、結局は他の出店で買い物をしてもらうという...

ここまで読んできて、皆さんは、私が完敗をして新しい収集家を得られなかったと報告するように思われるかも知れませんね。ほんとうのところ、そうではなく、作品に関して話をする人達の何人かは、摺物アルバムを購入してくださいました。私には、こういった機会がほとんどなかっただけに、今回のお客様達との出会いは嬉しく、特別なことに思えました。

百貨店での催し物への参加で、私は改めて、職人という存在を別の角度からも見るようになりました。今日、職人として生計を立てるためには、製品を作る事とそれを販売する事の、ふたつの活動をこなせなくてはなりません。ところが、このふたつの役割は、非常に違う能力を要するだけでなく、時間という観点からも完全に共存が不可能なのです。工房で作業に没頭するか、店で製品を販売するか、人は同時にふたつの場所に居ることはできませんから。私は、今から12年以上も前に初めて展示会をした時すでに、このジレンマへの解決策を見い出していました。それはつまり、自分の作品は決して一枚ずつバラ売りせず、予約販売のみにするということです。こうすることで、「販売の場」から離れて工房にいられるからです。

私は過去ずうっと、この方針を曲げずにやってきました。そして今回、この催し物に実験的な参加をすることで、自分がどうしてそうしたかを再確認したのです。百貨店での成功はたったひとつの尺度ではかられます。「今日の総売り上げはどうでしたか?」と。催し物の会期中、参加者達は毎朝、自分の分だけでなく、他の数人の参加者達の分も一緒に印字した前日の売上表を渡されされました。でも、私は「売り上げ」で自分を評価したくありません。私が純真な理想家ぶっているように思われては困ります。版画を売るということはもちろん私にとって必須なことで、高島屋の行事に参加したのもそのためですから。でも、販売が一番大切なことになってしまって、来る人を「買ってくれるかどうかの対象物」としてのみ見るようになってしまったら、私は降りたほうがいいと思うのです。実際、私の周りの店で、そういった態度を目の当たりにしたものですから。

高島屋は、私達にとても手厚い対応をくしてくれました。多額の費用を支払い、食事に飲みにと限り無く招待し、これ以上考えられないというほど好意的で協力的でした。そして、売り上げのことで私達に圧力をかけ過ぎるようなことは、決してしませんでした。彼等のやり方はとても要を得ていて、文句の付け所がありません。でも、今回で分かったことは、自分が彼等の世界では外れ者であり、おそらく今回が最初で最後の出店になるだろうということです。(少なくとも、ずうっと将来、私のライフワークの特別展示会でも計画する時まで!)

毎日ほぼ10時間、実演をしたりして会場にいたので、大阪や京都を見て回る機会などはホテルと店の往復以外ほとんどありませんでしたが、京都では早朝と夜にだけ何度か、馴染みのある裏通りを散歩するチャンスに恵まれました。今、関西での出店を振り返ってみると、とても意味のある経験だったと言えます。会場で知り合って仲良くなった職人さん達とは、一生の付き合いが続くことでしょう。でも目下は、2週間以上もの「穴」が空いてしまい、しかも来年1月の展示会が迫ってきているので、もう私は、ひたすら版木に専心です!

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