デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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日実への手紙

私の娘達、日実と富実が、私の手許を離れてカナダの母親のもとで暮らすようになってから、もう5年になります。それ以来、会えるのは夏休みと冬休みだけになってしまいました。大平洋を越えて往復する航空運賃や、1時間にもなる毎週末の長電話は、金銭的に負担ではあるけれど惜しいと思ったことなどまるでありませんでした。一緒に過ごす時間は何ものにも換え難いものですから。私は、ひとり寂しく日本で暮らしている、という訳ではありませんが、ふたりの娘達がやってくる夏が、いつもとても楽しみです。

でも、今年は、例年の夏とちょと違います。今これを書いている私のところにいるのは富実だけ、姉の日実は今回来なかったのです。私達家族の「冒険」を長年に亘ってたどってくださっている方達は驚くかも知れませんが、日実はすでに法律的には大人で、もう私の「手の中の雛」ではないのです。彼女は、家族で日本にやってきた時、ほんの3才でした。「百人一首シリーズ」を始めた時には6才で、それを終えた時には15才.....そして今、彼女は18才。彼女の住むカナダではもう一人前の大人として公認される年令です。

ですから、「ダディ」と一緒にひと夏を過ごことに興味を示さなくなっても、驚くことではないのです。これは当然のことで、そんな日がいつかは来るものと分かってはいたものの、思っていたよりはちょっと早くやってきたようです。だからといって、どうこうと言うわけではないんですが。彼女が自力で、世界に向かって飛び立つ準備はほぼできあがっているらしく、その計画の中に私は含まれていません。そう、30年前に私が家を離れた時に両親を除外していたのと同じです。

このように、今年は、彼女とじっくり語り合うことができないので、手紙という形で語りかけるのが一番良いと考えました。この「百人一緒」の記事の中に書けば、きっと日実ちゃんが読んでくれることだろう..... そうだといいのですが ... 。

* * *

日実ちゃんへ

2ヶ月前に、今年の夏休みの計画について話をした時、今年は日実ちゃんが来ないということが分かって、ちょっと寂しかったな。日実ちゃんが、本格的に親元から巣立つまでに、なんとかもう1年欲しかったんだけど。日本に来て僕と一緒に過ごした時はいつも楽しそうだったし、日実の方でも当然、来ることを楽しみにしているだろうと思い込んでいたもんだから。でも、日実の最近の行動や生活の様子について聞けば聞く程、状況が大きく変わったということが分かってきて、今までの様にやっていくのは難しいのだ、ということが納得できるようになった。

この1年で随分と変わったよね!日実の18才の誕生日が近付いて来た時、それは、高校の最終学年末とも重なっていたけど、しきりに大人の仲間入りをしようとしていた、----君が考えるところの、大人のすることを何でもかんでもしようとね....

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大人はみんな車を持っているから、日実も車を買った。ウエートレスのアルバイトをして貯めたお金で強引にね。その後すぐに、その車の伝導装置に故障が起きたり、保険の事で問題を起こしたりして、聞く度にがっかりしたな。もう少しいろいろな経験を積むまで待つように、とか、親の協力を求めるように、とアドバイスすることは簡単にできたけれど、日実はきっと「大人は自分で車を買うことができるんだ」と思ったのだろうから....

大人は当然、お酒を飲んだりタバコを吸ったりすることが法律的に認められている。君は、もう大人の仲間入りをしたのだということを精一杯示そうとして、こういった事もしている。でもね、残念なことに、「してもいい」と「しなくてはいけない」をはき違えているように思えるんだ....

大人は自分の体をしたいように扱ってかまわないから、体にピアスをしたり入れ墨をしたりする。そして日実は「メニューにあるものはなんでも試してみる」ことにしたようだね。

大人は決まった時間に寝なくちゃいけないなんてことも、帰りたくなくても夜になったら家に帰らなくちゃいけない、なんてこともない。そして、君はそんな「大人」として振る舞った!

そう、完全な「大人」になったみたいだった、君自身で考えるところのだけどね.....

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おそらく今、そっぽを向いて、非難がましい言い方をしていると思っているだろうね。でもね、これくらいの小言が父親から受けた最悪の叱責なら、文句は言えないところだよ。僕達は、日実の行いの事で、派手な喧嘩をしたことは一度だってなかったし、これからもしたくないよ!ま、本音を言えば、そう心配しているわけでもないのさ。時間が解決してくれると思っているからね。

夜こうして仕事をしている時、君達ふたりがまだ日本で僕と一緒に住んでいた頃のことを、時々思い出すんだよ。毎晩君達が、お休みを言って床に入ってから、お父さんは隣の部屋に戻って版木に向かったっけ。トントンと木鎚でノミを打つ音を聞きながら寝入っていた。寝ようとするときにそんな音がしたら、文句を言う人が多いだろうに、きっといつもそんな音を聞かされて育ったから気になんかならなかったんだろうね。

3人で一緒に暮らしていた頃は楽しかった!それ以上何も望むことができない、と思えるほどだった。各々することが多くて、結構忙しかったけど、家事を協力してこなしてね。隣近所とも、行事にも参加したりして、きちんとした家族として一目おかれているようだった。3人とも、各々の領域で成果をあげていたよね。二人は成長したし、僕は版画作りをしながら家族を維持してというふうにね。

僕は、一般に、「大人である」ということを考え過ぎると思うんだ。「しっかりとした人」の振るまいというのは、子供であっても大人であっても違いがないと思うから。つまり、家族の皆が、君に愛されているという事を分かるようにし、自分の家族や広い意味では社会の中で、分に応じた貢献をし、そして、自分が成長し成果をあげられるようなきちんとした目的意識を持って生きること、これは人生に方向付けを与えるからね。

だから、お父さんの価値基準から言わせてもらえば、ここで一緒に暮らしている時すでに、君はもう一人前の「大人」のように振る舞っていたことになる。でも、日実ちゃんの目から見れば違うんだろうね。18才という年令になったら、家族や勉強から離れて友達と楽しく過ごすこと、これこそが君達の年代の若者がしなくちゃならない事だと思っているのだろうね。でもきっと、何年もしないうちに、人生にとって本当に大切なものが何なのかを見つけると思う。そしたら、楽しみだなあ、君が社会の中で自分の納まる場所を見つけていくのを見るのが、....大人としてね。

じゃあ、日実ちゃんまたね。

父より、愛を込めて。

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