デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

こうして私は新しい家で新しいパートナーと暮らし始めたわけですが、ここ数ヶ月間楽しんできたバケーションスタイルの生活を急いで変える必要はないように思われました。トロントの音楽店で働いた2年間での貯えがたっぷりあったので、とにかく仕事を探さなければ、というプレッシャーはなかったのです。お金はいつまでも続くわけではありませんし、やがてはなんらかの仕事を探さなければならないでしょうが、今のところはリラックスして新しい生活を楽しむことができそうでした。

この当時、私が大変興味をもっていたのはコンピューターでした。今日私達が目にしているようなパソコンはまだありませんでしたが、その先駆けとなるマイクロコンピューターという小さな機械が、マニアの間でブームを起こしていました。私は自分では買いませんでした。技術は日々進歩するし、何を買っても数週間で時代遅れになってしまうと知っていたのです。本や雑誌を読んで、技術の進歩についていくことで満足していました。どうしたらこうした機械を使うチャンスに恵まれるか、具体的な計画は何もありませんでしたが、とにかくコンピューターはとてもおもしろかったし、私は夢中になっていました。その可能性は無限のものに思えました。

そんなわけで、私達はふたりとも自分の勉強に没頭していました。彼女は毎日英語のクラスに通い、私は本屋やコンピューターショップを見てまわっていました。私はトロントにいた間倉庫に入れたままになっていた荷物(ほとんどは本とレコードです)をほどき、ふたりでこの間借生活をとても居心地のよいものにしました。彼女の語学学校の友達は世界の様々な国から来た人たちで、彼女は彼らをしばしば家に招待しました。彼女はめずらしい日本料理を作り、私達はみんなそれを楽しみました。

そして、こうした楽しい生活の中で、トロントのギャラリーで見たものを思い出し、それを自分でやってみる時が来たように思われました。木版画を作る時です!

当時のことを人に話すと、「版画を始めるには絶好の環境でしたね。日本人と暮らしていたのだから、製作の仕方についてたくさんの助言をもらえたでしょう。」と言われることがあります。あたっているともいえるし、そうでないともいえます。日本の小学生達は初歩的な版画はやりますが、この私の実験に関して彼女ができる助言というのは実のところ何もありませんでした。(後に、私がもっと複雑な版画に取り組むようになってから、彼女は私の学校での経験があまりにもお粗末なのにしばしば驚いていました。例えば、基本的な色を混ぜるとどうなるか、というようなことについてです。この点に関しては、西洋での私自身の経験から考えると、日本の教育はずっと進んでいると思います。)

助言があったにせよ、なかったにせよ、とにかく私はやってみました。暗い海の上を満月が照らし、水面にさざなみが光の道のように見えている、という構図の絵を描き、それを彫り始めました。版木には、私達が終えたばかりの大工仕事で残った木材を使い、彫るのには家庭用の「カッターナイフ」を使ったと思います。細かい部分がなかったので、彫りをするのにそれほど時間はかからなかったし、摺りの準備はすぐにできました。

もちろん、バレンは持っていませんでしたし、その時点では、そんなものがあるということすら知りませんでした。そこらにころがっている紙や、チューブ入りの水彩絵の具、摺りの時には紙の裏をこするためにしゃもじを使う、といった具合でした。

そんなわけですから、出来栄えは惨憺たるもので、私が思い描いていたものとはまったく違ったものになりました。みなさんは「そりゃそうだろう!」と思われるかもしれませんが、私には本当にショックだったのです。木版画がそんなに複雑でむずかしいものだなんて思いもしなかったのです。高度な技術が必要なものには見えないのに...どうしてうまくいかないんだ?私は、彫った版木も摺った紙も、すぐに放り出してしまいました。(何も残しておかなかったので、今みなさんにその版画をお見せすることはできません...持っていたらお見せするのですが!)

でもそれで版画に対する興味を失ったわけではありません。もう一度やってみようと決めて、何枚か簡単な絵を描き、初めからやり直しました。でもそれにのめり込む前に私はもう一度横道にそれてしまったのです...ビルからの電話がありました。そう、音楽店の社長のビルです。「うちの店にコンピューターシステムを導入して楽器の貸し出しをやってみようと思っているんだがやってくれないか...」

渡りに船!私は受話器を置いてすぐに彼の事務所に飛びました...

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