デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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伝統工芸の危機 ....?

展示会にくる人達が、よくこんなことを言います。「こういった素晴らしい工芸が消えていくのは残念なことです」と。世界の伝統工芸技術は危機に瀕している、と考えている人がたくさんいるようです。そしてまた、伝統技術は現代の方法よりも優れていると考えがちのようですが、これについて私は、疑問を感じています。昔の職人は、彼等の仕事を特別な物としてなど考えていなかったと思うのです。彼等は単純に、「仕事をしている」人達だったのです。それが陶芸職人であれ、宮大工であれ、また版画職人であっても、毎朝起きて朝御飯を食べ、それから仕事を始めただけのことなのです。今の人達とまるで同じようにです。彼等は社会が必要とするものを作りました。でも時代が移って物事が変化し、様々な商品への需要が減って、別の物の需要が増えたのです。歯車は回転し続け、止まることがありません。伝統は、生まれ、栄え、そして自然に消えていくのです。

もしもこれが自然の流れならば、私達は伝統工芸を受け継ぐことにあまりこだわらなくていいのです。年老いた職人の傍らに技術を学ぼうとする見習いがいない、ということを聞いて「なんて、残念なこと!」などと嘆く必要もないのです。見習いになったかも知れない若者はみんな、別のところで、物事の新しいやり方を考えているのです。若者はこうあるべきです。江戸時代の工芸は平成の世にはあまりそぐわないかもしれないのですから。

でもここで、こういった考え方を受け入れたとしても、もう一つ別の見方があります。現代の音楽家が、ロックやジャズやポップスなどの新しい形態の音楽を創造している反面、モーツアルトなども聞くということを、考えてみてください。このような場合、昔は現代にとって代わられるのでなく、その隣にあります。つまり、私達のエネルギーが伝統を保存するように働いている、ということがあるのです。

でもこれは、聞く人がいる限りにおいて成り立つことです。もしも、モーツアルトの音楽会に人々が行き続けるのなら、伝統音楽は演奏され続けて、その結果、伝統が保存されるわけです。人々が、食卓用に手作りの食器を選ぶ限り、陶芸家は気持よく創作を続けることでしょう。これは単純な等式ですから、もしもあなたがそういったものに価値を認めるのなら、日常生活の中でそれを有効に利用しなければならないということになります。そして、もしも工芸品を使わなければ、歯車は当然のこととして、完全にひと回りし、伝統は消えてしまうのです。

どうするかは、皆さんの手に掛かっています。私達、職人ではなく、消費者の皆さんが、生き残る工芸を決めていくのです。私達職人は受け身の状態にあります。未来は、皆さんの手の中にあるのです。

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