デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

カナダ横断の旅をする人は豪華な旅をすることもできます。個室で寝泊りし、食堂車で食事をするとか。しかし予算の限られた旅行者にとっては、あまり選択の余地はありません。彼女も私も、買ったのは一番安い切符「二等車」でした。つまり、座席でそのまま寝たり食べたりするわけです、時々ワゴン車で売りに来るものか駅の売店で何かを買って。

それは私達のどちらにとっても大変楽しい旅でした。大陸横断列車の旅の間、客室にはちょっとした仲間意識が芽生えます。時折、乗り降りする人もいましたが、たいていの人は最初から終点まで一緒です。オンタリオの森を抜け、広々とした草原を渡り、ロッキーの山々を越えて海岸へ。私達はみんな他の旅行者と知り合いになり、そして私はもちろん隣の席に座った彼女のことも知りました。彼女は少し前に日本からバンクーバーの語学学校に在籍申し込みに来て、ある家庭にホームスティしています。短い休暇をとって、グレイハウンドバスでアメリカを横断してニューヨークへ、そしてトロントへ行き、今は9月の新学期に備えてバンクーバーへもどる途中だ、ということでした。つまり、私達はふたりとも、いわば「新生活」を始めるところだったわけです。私の場合は彼女ほどはっきりとしたものではありませんでしたけれども。

私はもちろん日本語はまったくわかりませんでしたし、彼女の英語もこの時点ではきわめて初歩的なものでした。でも、そんなことでは、北アメリカをひとりで旅しようという彼女の意欲がそがれることはありませんでしたし、私達の会話もそれほど不都合を感じることなく、なりたったのです。きっと誤解もたくさんあったのでしょうが、そんなことは問題じゃないように思えました...

私の記憶の中に今も鮮明に残っている瞬間があります。ロッキー山脈のどこか高い地点にあるとても小さな駅に列車が停まった時のことです。それは夕暮れ時で、私達は電車を降りて人気のないプラットフォームをぶらぶらと散歩しました。空は濃い紫色に染まり、何万もの星が浮かび上がりはじめ、私達のまわりにそびえたつ山々が深い影を落とし、どこからか小さな川の流れている音が聞こえてきます。私はそれほどロマンチックなタイプではないのですが、これはとても強烈な印象があり、私でさえもそんな気分になってしまいました...

旅の終わり頃、バンクーバーに近づいてきた時、私達はふたりとも、この新しい友情をどうやって続けていけるだろうか、と考え始めていました。そんな時、びっくりするようなことがわかりました。私達は同じ町に住むことになる、ということはわかっていたのですが、私達がそれぞれ住む場所を知った時にはほとんど信じられませんでした。彼女のホームスティ先と私の友人の家は、たった徒歩1分ほどしか離れていなかったのです。ですから、列車がついにバンクーバーの駅に着いて、彼女はホームスティ先へ行くバスに向かい、私は自転車に乗った時には、これが「さよなら」ではない、ということがわかっていました。

そしてもちろん、「さよなら」ではなかったのです。毎日、彼女はホームスティ先のある丘から私を訪ねて来ました。私は、地下室を使えるような状態にするためいろいろ作業をしていました。基本的な枠組みはできていたのですが、浴室に壁をとりつけたり、ペンキを塗ったり、戸棚のドアを作ったり、仕上げまでにはまだやることがいろいろありました。楽しい仕事でしたが、何日かすると、ずっと家の中にいなければならない、ということにちょっといらいらを感じ始めました。9月の終わり、ハイキングには絶好の季節でした。山々に雪はなく、夏の「観光客」は学校や仕事にもどり、道は静かで混雑もありませんでした。

彼女もハイキングを楽しむ人で、日本から登山靴と大きなリュックを持ってきていました。そこで私達は一緒にキャンプ旅行をする計画をたてました。そして2、3日後には、また列車に乗っていたのです。今度は大陸横断列車ではなく、バンクーバーから北へと向かう小さな列車でした。私達はひなびた町で列車を降りて、山を登り始めました。あたりを散策するのは実に楽しく、気候はやや寒く雪がちになってきていましたが、そんなことはまるで気になりませんでした。予定を2,3日延ばしました結果、持っていた食料はほとんどなくなり、旅の終わり頃に私達が口にしたのは他のキャンパー達に「借りた」紅茶とビスケットだけ、という状況でしたけれども。 山を降りてバンクーバーへもどる頃には、少し濡れて大いにおなかが空いていました。

そしてふたりが次に進むべき道ははっきりしているように思えました。彼女は「お世話になりました」と言ってホストファミリーに別れを告げ、私のところへ引っ越してきたのです。正確には覚えていませんが、トロントの列車で出会ってから約2週間後くらいのことだったと思います...

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