デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ちょうど一年前、このニュースレターで、狭くて窮屈な生活空間に甘んじるしかないことへの、やるせない気持ちをこんなふうに綴りました。「どの部屋にも版画の道具や本、その他の材料が詰まってますし、版木は至る所に積み重ねられています。押し入れの中も版画や版木でいっぱいで....」住める可能性のあるところを見て廻ったりしたこと、でも、そこそこの便のある場所に持家を得るなどというのは、木版画家の収入では程遠い、ということについても書きました。望みはまるで捨てた、とは言わないまでも、心の奥の方に押しやったことは確かでした。どうにも成らないことにいらいらしても意味のないことですから。

この号でもまた、「家の状況」について話したいと思うのです。でも今度はもっと良い知らせで、つまり、欲しいと思っていた、自分にぴったりの家が売りに出ていたのです。そればかりか、資金のやり繰りも付いて契約も済みました。今や私は、羽村の隣にある青梅の、閑静な一角にある4階建て(地上2階、地下2階)の家の持ち主なのです。

11月のある日のことでした、貞子さんから面白いことを聞いたのです。彼女がたまたま耳にしたことに、ある芸術家が持家を売りに出しているというのです。それが青梅だったので、彼女はすぐ私に電話をしてきました。どうせ自分が望むような家じゃないだろし、いずれにしろ高くて私には手がでないだろうとは思いましたが、とりあえず見に行くことに同意したのです。

行ってみると、一見どうということもありません。ごくありふれた2階建ての家で、ダイニングキッチンと、いくつかの部屋があり、使える空間から見れば今の私のアパートと大差ありません。ところが、2階に行く階段のすぐ脇にもうひとつ階段があって、それは下に向かって伸びているのです。持ち主の後について降りていくと、10秒もしないうちに....私の気持ちが決まりました。これこそが求めていたところだったのです!

前から見たのでは分からないのですが、この家はとても急な斜面に建っているために、普通の2階建ての部分に加えて、その下にもまだ部屋があったのです。道路より下になっている部分は所有地の後方に向かって開放されていて、小川とその向こうに広がる緑が一望できます。この見晴らしの良さに加えて、宅地がかなり急な斜面なので、しっかりとした基礎を作るために岩盤まで届くよう、建築業者は4メートルもの高さのある部屋を作らなければなりませんでした。この部屋は(私は地下室とは言えません、なぜなら北からの光線がたっぷり差し込むんですから)それだけで現在の私のアパート全体と同じくらいの広さがあります...そして、その下にも、もうひとつ階(部屋)があるのです。

自分の目が信じられませんでした。広い空間、高い天井、たっぷりの光り、頑健なコンクリートの構造、4階建て...これだけではありません、ゆったりと静かに流れる川、あたり一面の緑、道路の騒音はまるで聞こえず、しかも青梅駅まで歩いて20分、この駅からは1時間おきに青梅特別快速が東京まで直通です。

私は、気持ちをおさえて興奮しすぎないようにしました。なぜなら、どうなるかはわかっていましたから。当然なにか落とし穴があるに違いない ...ここは東京、東京の地価はバブル時代の高値は去ったとはいえ、まだまだいい値段で...自分の懐具合では無理だということは、わかっていたのです。

ところが、上の階に戻り、ダイニングに座って持ち主と売却の詳細を聞いてみると、彼が切羽詰まった状態にあることが浮上してきたのです。彼は家を売らなくてはならず、それもただちに、実際のところ数週間以内に決めなくてはならなかったのです。彼は、1995年に購入した時の買い値の半額以下の値段、1800万円という値を申し出ました。自分でも当惑したのですが、私がなんとか工面できるかもしれない額だったのです。自分の口からそんな言葉が出たなんて信じ難いのですが、資金の調達いかんによっては買うことも考えられると話しました。

次の日の朝9時、私は行きつけの銀行にいました。必要と思われる資料を全て入れたケースを抱えて。住宅ローンの窓口に行き、借り入れを申し出ると、ふたりの担当者は顔を見合わせた後、私の方に向き直って、...「あのう、外国人の方は...」私は、外国人が不動産を取得したり家のローンを組んだりするのになんら法的な障害はないということを知っていましたから、ガンとして主張を続けました。彼等は電話であちこちに問い合せ、支店長と相談をして(この支店長は肉筆の浮世絵の蒐集家で、たまたま知り合いでした)ことの次第を詳しく話し始めました。

次に来たやっかいなやりとりは、所得税支払いの確証に関してでした....「あのう、お気の毒ですが、ローンは所得税を払っている方に限られておりまして ...外国人の方は、そのう...」これを聞いて私は、おもむろに荷物入れを開けると、過去14年間の確定申告書を取り出して見せたのです。どうやら彼等は、日本に住んでいる外国人は税金を払う必要がないものと、勘違いをしているようでした。私達はこの国に住む他の誰もとまったく同じに税金を払っているのですから、これは大きな間違いです。日本に来た最初から、所得税、都民税、市民税、それに個人事業税を支払い、国民健康保険にも加入しています。(国民年金は自分の意志で入っていませんが、希望すればこれにも加入できます)

融資担当の人たちは、書類の束に目を通してやっと私の要望を真面目に考え始めたようです。私達は、借り入れの額、不動産の担保物件としての価値、私に払える頭金、過去何年間における収入の額、などについて試算をはじき出しました。計算してみると、ローンを提供できない理由はなにもない、という解答がでたのです。

私は、1200万円を年2.9%の利率で10年のローンに組みました。こうすると、毎月の支払いは現在の家賃よりほんのちょっと高くなるだけです。公式に申し込みをして、数日後には返事がありました....受諾です。保証人の必要もなく、私自身の信用で十分でした。

こうして私は、家の所有者と売買契約を交わしました。私達は不動産屋を通さずに個人間で売買した為に、おびただしい枚数の書類が必要でしたが、とても有能な司法書士が間に入ってくれたお陰で、すべての事務手続きが完了し、不動産の権利証が自分の物になりました。49歳にしてとうとう、私は自分の持家を手にしたのです。(支払う税金のリストには、新たな項目が次々と加わりましたが)

それにしても、何という時に新居を購入したのでしょう。展示会までたったのひと月かそこら、おまけに版画製作の予定にはかなり遅れが出ています!もう仕事の中断は絶対にできませんから、この羽村のアパートは1月の終わりまで保持して、展示会が終わってからやっと、青梅への引っ越しを済ませることになることでしょう。そして、広いコンクリートの部屋を、温かくて快適な住まいと仕事部屋に改装する長い工程が始ります。

実際、望むように仕上げていくには、長い時間がかかるでしょうが、なにも急ぐことはありません。外側にツタを這わせて、むき出しのコンクリートをゆっくりと覆っていき、同じようにゆっくりと確実なペースで、作業台や本棚を作り、思い描くその他の装備もすべて作って...

私は運が良いのでしょうか?ええ、きっと、かなり幸運でした。でも、何年もの間、一生懸命仕事をしてきたという背景があればこそ、巡ってきたときに運を掴むことができたのです。そして、当然のことですが、長年にわたって私の版画を集めてくださった皆様のお陰でもあります。新居公開のパーティーに皆様を御招待するにはまだ時期尚早なので、もう暫くお時間をください。小川のほとりの工房、「せせらぎスタジオ」を公開する時は、お知らせいたしますので...

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