デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

その長かった夏も終わりに近づき、この後どうするかを考える時がきました。この先ずっとキャンプを張ってスカイダイビングをしているなんてことはできませんから!最初に決めなければならない最も重要なことはどこに住むかということでした。この2年間、トロントに住んでとても楽しかったのですが、どうしてもここにとどまりたいと思うほどの理由はありませんでした。そこで、カナダの西、バンクーバーへ戻ろうと考えました。バンクーバーの楽器修理店で数年一緒に働いていた友達とはずっと連絡をとりあっていたのですが、彼が「ついこの間バンクーバーで買った家の地下室に住まないか」と持ちかけてきたのです。彼がそんなふうに頼んだのには理由がありました。その部屋を使うにはかなり手を入れる必要があり、私ならそれができるとわかっていたからです。その代わりとして、数ヶ月間無料で部屋を提供してくれる、というのでした。私はその申し出を受け入れ、9月の半ば頃にバンクーバーにもどる、と伝えました。

こうして住むところが決まった後は、夏の終わりの数週間、スカイダイビングクラブでとても楽しく過ごしました。何ヶ月かスカイダイビングをやって技術的にも少しずつうまくなっていました。「専門家」のレベルではありませんが、ある種の能力を身につけたことは確かです。というのも、他の多くの人たちとちがって、私はそこに「住んで」いて、毎晩都会に帰る、ということがありませんでしたので、いわば非公式なスタッフのようなものになっていて、あらゆる道具を使っていろいろお手伝いしていたからです。週末になると、たくさんの人たちが「初めてのジャンプ」をするためにやってきました。彼らが使ったパラシュートはいつも布とロープがぐちゃぐちゃにからまって小屋にもどってきました。このからまりをほどき、2,3分後にはきれいにたたんで次の人が使えるように詰めなおすのは私の特別な楽しみになりました。誰かが、自分の詰めたパラシュートをつけて、最初のジャンプをするために飛行機に乗り込んでいくのを見るのはなんともいえない気持ちです...

しかしついに、テントをたたんで町の生活にもどり、西への旅をするための手配をしなければならない時期がきました。今まで何度も飛行機で行き来をしたことはあったので、今回は列車で行くことにしました。カナダに来てから一度も大陸横断列車に乗ったことはなかったので、ゆったりとした列車の旅はとても魅力的に思えたのです。切符を買って、指定の日に駅へ行き、トロントに別れを告げようとしました。しかし列車に乗り込もうとした時に、ちょっとした問題がおきました。自転車を持っていきたい場合、あらかじめ荷物車にきちんと積み込んでおくために、乗車日の前日までに駅に持ってきておかなければいけない、という規則があったらしいのです。私はそれを知らなかったので、自転車を持って乗り込むことが許されませんでした。自転車を捨てるつもりは到底ありませんでしたので、私は翌日の切符に変更せざるをえませんでした。これはなんでもないことのように見えます...単にトロントでもう一夜を過ごし、お気に入りの日本料理のレストランを訪れただけ...

ところが、この列車会社の規則が思いもかけない結果をもたらすことになったのです、これまでの私の身に起こったなによりも思いがけない。というのは、翌日、駅にもどって列車に乗る列に並んでいた時、たまたま隣に並んでいた女性と目があったのです。彼女は私に微笑みかけました...そして私も微笑み返した、と思います。彼女の服装は私とよく似た「学生旅行スタイル」で、小さなリュック、鮮やかな色の薄いブラウスにジーンズ。私達は言葉を交わすことはしませんでしたが、列が前に進んで列車に入り込み、みんなが自分の席と切符の番号を確かめ始めた時、私は彼女がどこに座っているかを書き留めました。私の数列前の反対側の席でした。

この話の続きはもう想像がつくのではないでしょうか。カナダを電車で横断する旅は約3日かかります。最初の日の夕方までに、車掌と少し交渉して、彼女の席を替えてもらい、彼女はその旅の間、私のとなりの席で過ごすことになったのです。

そしてもちろん、私達がともに過ごした「旅」は3日より長く続くことになりました。というのは、彼女が私との間にふたりの子供をもうけることになる女性だったからです...

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