デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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不可能な使命

多くの人の場合と違って、私の仕事は自分の後にはっきりと目に見える「跡」があるので、どんなに上手(下手)な仕事をしているかは歴然としています。出来、不出来がはっきりとは評価できない仕事というのもありますが、私の場合、これは逃れられない事なのです。製作した版画はたくさんあり、それは過去何年間にも遡ってずうっと見ることができますから、「この人の仕事はどんなでき栄えなんだろう」と気になる人は、だれでも簡単に記録を調べられるのです。

ここで出てくるのは当然、相対的な評価です。「百人一首シリーズ」の初めの頃に作った作品などは、今見ると恥ずかしい程ですが、当時はかなり満足していました。あの頃は、自分がどんなに難題に取り組んでいるのか、まるで分からなかったのです。ただ、経験が足りないから腕を上げるためには長い時間が掛かるということは認識していましたが、日本の伝統木版画の復刻という仕事が実際には不可能なことだとは知らなかったのです。つまり、厳密な意味での完全複製は不可能だということです。

もう少し説明を加えてみましょう。

* * *

過去何年かの間で、私が飛躍的に上達した技術は習字の彫りです。ここに1988年(左のページ)のものと、その数年後のもの(写真右)があります。

違いは?古い方では、あちこちに欠けたところがありますが、それはさておき、曲がりのところにくる度に流れが止まり、文字が「歩み」のように彫られています。でも、年季が入るに従って手首が柔軟になり、曲がりに沿って彫ることができるようになりました。文字の流れは、止まったり途切れたりしていません。少しずつですが、必要に応じて線の先を次第に細くしたり膨らませたりもできるようになっています。昔の作品の線は不器用なロボットが書いたみたいですが、新しい方はきちんと彫れています。

どうも話の持っていき方があまり良くないですね。比較するのにできの悪い版画を持ってくればどんなのでも良く見えますから!木版画がどんなものかを承知している好事家なら、...こんなごまかしには乗せられないでしょう!では、「摺物アルバム」初期の作品で、柴田是真の絵ですが、拡大写真を見てみましょう(次のページ)。小さな渦巻きは、どう言えば良いのでしょうか...とても優美とは言えません。こなれていないし、不揃いです。今しがた見た、12年前に彫った文字に比べてあまり進歩していません!

ここにウイリアム・アイビンズという、かつてニューヨークのメトロポリタン美術館の学芸員をしていた人の言葉があります。(これは19世紀のヨーロッパにおける木版画の復刻について語ったものですが、私自身にもあてはまることです)『どの線も違う... どの線もなってない... 全体としての持ち味はこうじゃない...!』

ちょっと自分に厳しすぎるでしょうか?ここにある模様は恐ろしく小さいですね。こんな、けし粒みたいな模様を優美に彫るなんて、一体可能なのでしょうか?ここで、この文章の時制を過去に替えてみましょう。「こんな、けし粒みたいな文字を優美に彫るなんて一体可能だったのでしょうか?」...即答!できるんです!

これを見て下さい(次の長い写真)。明治時代の口絵のほんの小さな部分を大きく拡大したものです。これは、その当時ならいくらでもいた彫師の、たまたまその中のひとりが彫ったものです。名前など知るよしもありませんが、当時の事ですそんなことはどうでも良かったのでしょう。見て下さい、どの点もどの線も生きているではありませんか。

ここでちょっと自己弁護のために、昔の彫師と私とでは仕事に対する取り組みが違うことを指摘しなくてはなりません。彼等は小さい頃から厳しい親方の元で見習を始め、祭りの日を除いては1週間に7日、それも毎日長い時間仕事をしました。ですから、1日のかなりの時間を彫台に向かって過したわけです。それに引き換え私の生活は随分とちがいます。彫りも摺りも自分でしますから、彼等に比べたらはるかに短い時間しか彫りの仕事をしていませんし、「親方」に相当する人もいません。ですから、彼等の腕が良かったのは当然なのです!彼等は狭い世界に生きていましたが底が深く、一方私は反対で、彼等には想像できないほど幅広く生きていても、その結果、どれをとっても底が浅いのです。

どうも、自分の弱点に言い訳をしているようですが、そんなつもりではありません。版画製作に携わって、もうかれこれ20年、他の事もたくさんこなしてきていますが、(たとえば、今こうしてこの文章をタイプしているわけですし)、20年といえばかなりのものです!こうは言っても、私の腕はそんなに悪いわけではありません...

ここで、私の版画と昔作られた版画に違いのある他の理由を考えてみるべきだと思います。昔の彫師は、版下という、下絵を描いた薄い紙を版木に張り付けて仕事をしました。この版下が、どの版画の場合も原点となりました。

ですから彫師は、版下にある線を彫っていくという、一見単純な作業だけをすれば良かったのです。ところが、これこそが、実際は不可能な作業であったと言いたいのです。

ちょっと実験をしてみてください。まず紙と鉛筆を用意して、御自分の名前を書いてみてください。簡単ですよね。さらさらと紙の上を滑るように書けると思います。そうしたら次に、薄くて透き通る紙を用意して名前の上に置き、書いた通りになぞって複製を作ってみてください。なかなか難しいと思います。そこで、ここにふたつの選択肢があります。 A] ゆっくりと慎重に線の上をなぞっていき、完全な複製を作る。

終ったら結果を調べてみる。線はきちんとなぞることができていても、御自分の署名とは似ても似つかないものになったと思います。こわばっていて、ぎごちなく、「生気」がないはずです。『どの線も違う...どの線もなってない...全体としての持ち味はこうじゃない...!』 B] 書き始めのところに鉛筆を持っていき、いつもと同じようにさっと書いてみる。

書き終わったら、きっとこんなことに気付くでしょう。最初に書いた署名にある「生気」は保たれているものの、線の位置や細かいところは変わってしまったと。

双方ともに難点を抱えていますが、版下を手がかりに作業をする彫師が選択するのは、少しでも欠点の少ない2番目の方です。それはつまり、各々の線や点の位置を気にし過ぎないで、自然に彫っていくようにするやり方です。出来上がりは、幾分、最初の絵と違っていても、なんらかの持ち味はでてくるはずです。

これはなかなか、良い考えのようですが...、ここに落とし穴があるのです。もういちど署名のことに話を戻して、今度は他の人の署名を再生してみてください。さあて、今度は上の2つの方法のどちらをとりますか?どちらもうまくいかないでしょう!

そうなんです。もしも「線をしっかりなぞる」ようにすれば、結果は生気を欠いたものになるし、「自由に」書けば本来の持ち味が失われてしまうのです。これこそが私の言いたい『正確な復刻なんてまったく不可能』ということなのです。

そして、これこそが、どの筆使いでも、線や点でも、私を含める伝統木版画の彫師達が彫りに臨むときに直面する状況なのです。北斎の線、祐信の線、広重の線。このどれにもある「線」を、できるかぎり版下通りに、流れを殺さないように、しかも絵師の持ち味がでてくるように彫らなくてはならないのです。彫師が彫刻刀でひと筆分を彫るということは、「正確さ」(線の上をなぞる)と「持ち味」(流れを殺さない)のバランスを保ちながら、まるでピンと張られた綱の上を歩いているようなものなのです。

この話は、まだ終わりになりません。これにまだ加える説明があるからです。江戸と明治の彫師達は、私にはないもの、得ることのできないものを手にしていました。それは、絵師の描いた版下です。一方私は、すでに出来上った版画を元に復刻するのですから、一番最初の筆遣いは見られません!ですから、私が試みていることは彼等にくらべると2重に難しいと....

仕事をしていて、落ち込んだ気分になると、この障害を乗り越えてほんとうに美しい版画をつくり出すことなど可能なのか、と考え込んでしまいます。かと思うと、完成した摺物アルバムを見ながら、どんなに長い道のりを歩んできたかを目のあたりにして、碓たる自信を持ったりもするのです。

そこで、私はここからどう進んでいくのか?一体、自分に「傑作」など作れるのでしょうか?これに対する答えは、もちろんまだ出ていません。私はただせっせと続けていくだけです。ゼノンのパラドックスの一つのように、「どんなに再終点に近付けても、そこに到達することはできない」と感じるかも...

だけど、ちょっとちょっと、それが旅路というものじゃあないですか? ネ?

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