デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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足長おとうさん

娘達がカナダに移ってからもう4年になります。毎年夏の初めに2ヶ月程帰ってくるので、成田に迎えに行くのにも慣れてきました。でも今年はちょっと違っていて、日本で迎える変わりに一緒の飛行機に乗って来ました。6月の終わりにカナダで版画のワークショップがあり、その帰りと娘達の帰国予定とがうまく重なったため、同じ飛行機に乗れるように手配したのです。

ワークショップが終わった後の数日は自由だったので、その日々を彼女達とバンクーバーで一緒に過すことができました。娘達は、住んでいる家とその界隈を案内してくれ、飼い猫だったミミにも改めて紹介されました。東京にいた頃このネコは、私が版画を摺っている間じいっと膝に丸まって私を暖めていてくれたのです...僕のことを覚えていたかな?ネコというのは3年以上前の事は覚えていないとどこかで読んだことがありましたが、どうやらその通りらしく、覚えているらしい様子は皆目見せませんでした。

義務的な案内事から解放されれば、親子3人にはもっと大事なことが待っています!それは地元の古本屋を覗きに行くことでした。最近はインターネットで本を買うことができるようになり、コンピューターを使って世界中の本を探せるようになりましたが、長距離の送料を入れると割高になるので、購入はやはり慎重になってきます。そんなわけですから、本の在庫を増やすチャンスを逃す手はない、というわけです。スーツケースの中にはまだ余裕がありましたし...

娘達は「本探し」をどう思っているかというと、即、「行こうよ!」彼女達も読書が大好きで、カナダにある二人の部屋は、棚が本であふれんばかりでした。いくらいっぱいでも、詰め込む余裕はいくらだってあるわけで、娘達がお気に入りの古本屋へまっしぐらとなったわけです。ところで、どうしてそこが娘達のお気に入りの本屋になったかというと、それは、お金を払わずに本が買えるからです。つまり、実はこんなからくりがあったわけで...

日本で娘達を手許において育てていた頃、私は当然のこととして、できるだけ本を読むように仕向けていました。本屋には良く行きましたし、行けば手ぶらで帰宅するようなことはありませんでした。でも、娘達がカナダに行ってしまうとなると、もう本を読まなくなるのではと心配になったのです。その当時はふたり共まだ英語が良く読めませんでしたから、身についた読書の習慣が消えてしまうのではないかと懸念したのです。それで子供達が住むことになった家の近くに手頃な古本屋を見つけて、前金を払って、娘達に匿名で「図書購入券」を送るように店主に頼んだのです。娘達は、一体誰が本のお金を払ってくれているのか、またいくらまで買えるのかわかりませんでした。でも、ふたりとも大喜びで(もちろんです)私が側にいてやれなくてもこの特典をうまくつかって程々の量の本を読んでくれたのです。この策略はうまくいって、その後何度か追加支払いをしましたが、そうこうするうちに、娘達は本の資金がどこから出ているか勘付いたようです。今3人で出かけて行こうとしているのは、正にこの本屋だったのです。

店の中に入って行ってカウンターにいる女性に声を掛けると、残念なことに高齢だった店主はほんの少し前に亡くなり、彼女(娘さん)が後を継いでいるとのことでした。自己紹介をすると、私達家族との取り決めのことは良く心得ていたので、3人はすぐにホコリっぽい本棚の間に潜り込んでいきました。私はその店が大層気に入ってしまい、自分用に取り出した本はすぐに山積みになってしまいました。後から、娘達のための本を選ぼうと、自分が彼女達くらいの年令の頃に興味を持った本を捜して棚の方に歩いていった時に、ちょっと面白い経験をしました。子供達の興味は私の頃とまるで同じというわけではありませんでしたが、共通する部分もかなりあったのです。ですから、きっと面白がって読むだろうと思える本をたくさん見つけることができました。

娘達は私の助けなどなくても自分達でかなりの本を選んでいましたから、2時間もいた後で会計を済ませると、バッグは本の重さでずっしりとなり、家まで持って帰るのに、もうヨロヨロしていました。それでも、私達の本の買い出し騒動はこれで終了とはいかなかったのです。スーツケースがあまりにも重くなってしまったので、数日後に空港のチェックインカウンターの所でこれを計量器の上に載せるのを見た担当の女性と押し問答になってしまったのです。でも、私達は前もって慎重に重量計算をしてありましたから、各々のバッグの重さが均等になるように中身を移動して、なんとか通してもらえました。騒動はその後も尾を引き、飛行機を降りて成田で荷物を受け取る時に一番重かったバッグが私の足の指の上に落ちてしまい、後で爪がはがれる始末となってしまいました。でも、その本の山が今はこの私の部屋にあって、いつでも読めるのですから、この事を考えればその程度の犠牲はたいしたことはないです。

子供達の方も、この夏の読み物として中から何冊かを日本に持ってきていて、その中の一冊を見た時には、ついニヤリとしてしまいました。なぜなら、大きくて分厚い800ページもある本だったし、皆さんも御存じの有名な「風と共に去りぬ」の続編だったからです。私はもう小説は読まなくなっていますが、ふと、10代の頃に似たような大河小説を読んだことを思い出しました。ここ数週間、二人がこの厚い本を読む様子を観察をしていると、面白いことに交代で読んでいるものですから、本挟みが2枚挟まっていて、進行状況が良く分かるのです。二人とも、内容が全部分かっているとは思いません。南北戦争後のアメリカの社会状況についての知識などはかなり浅いですし。でも、知識は少しづつ積み重なっていくことでしょうから心配はしていません。なによりも読書に熱中するということが大事なのです。熱中してしまえば...800ページを超える大作だって...

話は戻ってまたバンクーバーですが、例の本屋を出る時、店長に「前払い金」を追加してきましたから、娘達は戻ってもまた読みたいだけ本が読めるようになっています。これって贅沢でしょうか?私はそうは思わないのです。親ならだれでも、子供達がお腹を空かせれば当然食べ物を与えますし、寒さを凌ぐ服も用立てるでしょう。学用品だって、スポーツ用品だって...子供のためには何とかしてやる。いつでも本が身近にあるようにすることは、こういったこと程大切ではないのでしょうか?

この秋、私がここ東京で新しい本の山の中から読書を始める頃、遠いバンクーバーでも娘達が同じことをしているだろうと思いを馳せることでしょう。甘やかし過ぎかも知れませんが...いつか彼女達が大人になって、私がもうお金を出してあげなくなったら、自分で本屋に行って本の代金を払わなくてはならないことに気付いてきっとショックを受けるでしょう。そしてどうなるか、それは賭けてみることにして....。今のところはとにかく、子供達がどんな本に鼻を突っ込みたがっているのか、それが見られて嬉しいのです、...本が厚ければ厚い程!

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