デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

私が働くことになった音楽店の支店は、まだ混沌とした状態でした。そこができたのは2年前なのですが、既にふたりのマネージャーがやめていました。社長のビルが私にこの仕事を引き受けるよう頼んだ理由のひとつは、おそらく、私が彼のところで3年間働いたことがあり、仕事をよくわかっているはずだ、と思ったからでしょう。

私が赴任したのは、ちょうど1年の最も忙しい時期の始まり、学校の始まる季節で、やらなければならないことがいっぱいありました。スタッフの何人かは私の家族の友人で、以前から知っていた人達だったので、そこに慣れるのに苦労はしませんでした。しかしマネージャーの仕事は初めてだったので、わからないことがいろいろあり、質問事項のリストを作って本店に尋ねられるようにしておき、毎日適当な時間にビルに電話しては、ひとつひとつそれらを検討していました。最初、彼は協力的で、私の質問を聞いては必要に応じてアドバイスや指示を与えてくれました。しかしある日、私がその仕事を始めて2週間たった頃でしょうか、電話の彼の声が突然変わったのです。「いつもいつもそんな質問ばかりして、いったい何をやってるんだ?僕は君をマネージャーとして雇ったんだぞ!いいかげんに自分で仕事をしろ!」彼の言うとおりでした。私はいつしか、自分で考える代わりに誰かに尋ねる、という行動パターンにおちいっていたのでした。しかしこのことがあって以来、だんだん仕事をうまくこなせるようになってきました。できる限り、店をきちんとしたものにするようにし、そして時間を見つけて、以前働いていたバンクーバーの本店でやっていたプログラムを実行し始めました。

こうしている間、私は自分の住み始めた新しい場所を楽しんでいました。トロントは大変おもしろい町で、散歩やサイクリングにいい所がたくさんあるし、古本屋さんで時間を過ごすのも楽しいものでした。更に、新しい所へ旅もしました。以前、カナダの西部はおおかた見てまわりましたが、今度はまた新たなおもしろい場所をいろいろ見ることができたのです。私達の会社がまだ手をつけていなかったのはケベック州周辺で、そこでビジネスができるようになるために、私は1週間に何回か、夜、フランス語教室に通い始めました。これが功を奏したとは言えませんが、というのは、ケベック州でも私達の仕事はある程度成功をおさめたのですが、ほとんどは英語を話す団体だったからです。でもとにかく私は努力はしました...

こうして会社の管理の仕事にかかわるようになると、私は物事に対して違った角度で見るようになりました。そして、「コンピューターがあればもっと私達の仕事がうまくいくかもしれない」と思うようになったのもこの頃のことでした。それは1979年、パソコンができる前のことだったので、コンピューターの導入とは「機械でいっぱいの大きな部屋が必要だ」ということを意味していました。そんなことは私達の小さなビジネスには現実的な話だとは思えませんでしたが、とりあえずもっと勉強するために私はコンピューター会社から端末を一台貸してもらえるようとりはからいました。それはコンピューターの本体ではなく、キーボードと画面があって、電話で大きなコンピューターにつなぐようになっていました。これを使っているうちに、私はプログラムとかデータ−管理の基本的な考え方が少しずつわかるようになってきました。それから少しして、私は夜、街の大きなコンピューターのある所へしばしば出かけていき、それを実際に見て、どんなことができるのかについて、より考えを深めるようになりました。

私はまた、別のコンピューター会社と連絡をとって、私達の仕事を見てもらい、どんな改善策があるかを示唆してもらいましたが、ビルはその相場を聞いて、「なかったことにしよう」と言いました。確かにそんな巨額の投資はお話にならないものでした。コンピューターが私達の仕事を改善するのに役にたつかもしれない、という私の考えはまちがってはいませんでしたが、時期が早すぎたのです。機会は数年後にやってきたのでした...

こうしてコンピューターに関心を持ったことが、まったく違ったものへの関心も呼び起こすことになったのです。私が行っていたコンピューターのある場所は、たいていは夜遅くまで開いていました。そして私がそこから出てくる頃には、ほとんどのレストランは閉まっていました。でもすぐ近く、その建物からほんの数歩のところに大変遅くまでやっている店があったのです。私はそこに入るのをずっとためらっていました。出している食べ物がどんなものなのかよくわからなかったからです。しかし、ある夜、私はとてもおなかがすいていて、他には何もなかったので、そこに入ってみました。それは日本料理でした...どんなめずらしいものがでてくるかと思ったのですが、なんとそれはパンケーキによく似たものでした。「お好み焼き」です...そしてこれが日本と私との出会いでした...

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