前回、この話の最後で「そんなことが起こりえただろうか」と書きました。果たしてそれは夢だったのでしょうか?いいえ、現実だったのです。そっくりその通りの事が起こったのです。
その後、版画出版社の経営(版元)は子息に移った。私がこの版元を初めて訪ねた時(今から20年程前に)、ことのほか親切に対応してくれた。当時の私は木版画についてずぶの素人で、何枚かの版画を見、自分でいたずら紛いのことをしたことはあったが、技術の本質に関しては何も分からなかった。訪ねて行ったのは、彼が出版していた版画を何枚か購入する為だったが、思いもよらない収穫を得る結果となった。伝統的な木版画家になりたいのだと私が言うと、彼はあざ笑ったり、気を削ぐようなことは一切口にしなかった。それどころか、どこで道具や材料を手に入れたら良いかを教えてくれたり、在庫の中からまだ使っていない版木をくださったりもした。その後も、私自身が版画出版をしていることもあって、分からないことを尋ねると、いつでも快く助言をしてくださったり、教えてくださったりしていた。そんな関係が続き、この間も版下の作り方のことで教えを乞うために訪ねた折り、例の版木のことを初めて知ったのだった。
この訪問の時も、版元は彼のやり方を隠しだてなく、喜んで教えてくださった。彼の会社で行っているいくつかのやり方を説明するのに、次々と版木や版画を出してくる。やがて話題は、版下の作り方から彫り全般のことに移り、たまたま私の尋ねた質問に答えるため、近くの棚に行き、古い版木を手にして戻ってきた。それはかなり大きな版木で、私に向けて差し出されると、すぐにそれが有名な橋口五葉の「化粧の女」だと分かった。(彼の会社は五葉の復刻版では名が通っている。)
その版木を手元に引き寄せ、目を近づけると、それはすごいものだった。美しい絵をきれいに彫っただけの代物ではなく、彫り取ったあとが細部に至るまでみごとに均一な面になっている。これは非常に特別な方法で彫られていて、しかもこの版木はまるで使われていなかった。表面には薄く墨が付いていたが、これは試し摺りのためであって、繊細な線がどれもすべて剃刀のような鋭さを保っていることが、出版用として使われていないことを物語って
版元はその版木のいわれを説明して下さったのだが、私はほとんど何も聞いていなかった。ただひたすら目の前の板に心を奪われていた。この様なものを現実に見ることができるなんて、よもやあるまいと思っていたのに。タイムマシンなんて存在しないことは誰でも知っている。だとすれば、過去にさかのぼって彫師の仕事場に行き、彫り上がったばかりの版木を見るなんてことはできないはずなのだが、それが、今こうして目の前にある。信じられない。
現実に、それは私の手元にあった。私は、その彫をできる限り記憶に留めようと、無我夢中だった。このまつ毛を彫る時にはどんな角度で彫刻刀を持ったのだろうか、この着物の大胆な線を彫った時はどの程度の深さまで....その版木から吸収することはあまりに多すぎ、時間はほんの少ししかなかった。
当然のことながら、1、2分の後には版木をテーブルの上に戻さなくてはならず、そのまま彼と話を続けた。やがて何時間かたち、私たちの話にひと区切りついて、版元が版画や版木を片付け始めた時、私はもう一度、彼にその版木を手にとって見てもいいか尋ねた。そして再び、目のあたりにしている物をできる限り脳裏に留めようとした。しかし数分後には片付けが終わってしまったので、しかたなくていねいにお礼を言って返すと、彼が棚の上に戻すのをじいっと見つめた。それから私達は、昼食に出たのだが、「振り返るな!」と強く自分に言い聞かせながら部屋を出た。
その夜、家に戻ってからも、版木のことを脳裏から払うことはできなかった。版元に頼んであの墨板に続く色板を彫らせてもらえないものか、と考えあぐねた。そうすればあの版画が日の目をみるだろうと。でも、考えれば考えるほど、あの墨板はそういった形で使われないほうが良いということが分かってきた。世界中には、似たような版画も、使用された版木もたくさんある。でも、あのようにまだ使われずに残されている版木は、たとえあるにしてもまれだろう。あの版木はあのままにしておいたほうが良いのだ。おそらく、何年も前に先代の版元が版木を棚にしまったそのときに、こう考えたのかもしれない。「未来への贈り物としよう。後の世の彫師がじかに見て観察し、そこから何かをつかみ取れる、まれにみるチャンスを与えるために。」
翌朝、投函した版元への手紙に私は、時間を割いて付き合って下さったことへのお礼と共に、次のように書いた。
「....今回、中川木令氏の「化粧の女」の墨版には、衝撃的な感動を覚えると同時に、なんとも複雑な思いを抱いております。あれ程の仕事をするにはもっと努力を積まなければという、奮い立つ思いが沸き出る一方、あそこまでの域に達するなどとは途方もないこと、と気落ちする思いもあるからです。あれほどお時間を割いて戴いたすぐ後でこんなことをお願いするのは大変心苦しいのですが、ひとつお願いがあるのです。と申しますのは、あの墨版を見たときの感動を他の方達にも伝えたく、その記事を季刊紙として発行しております『百人一緒』の冬号に書いてみたくなったのです。それで、その墨版のクローズアップ写真が欲しいのですが、夏の間にでも、いつかご都合のよろしい時に、写真を撮りに伺えますでしょうか。身勝手な思いと重々承知の上で、この私の思いを分かって戴きたいのです。あれほど素晴しいものを手元に置くなどということは努々かなわないまでも、せめて、あの彫られた線をクローズアップした写真を仕事台の間近に置けたら、叱咤激励の源となるように思えるのです。......」
この手紙を書いた後、私はコンピューターに向かって、この話の「その1」を書いた。記憶ができるだけ鮮明なうちに、感じたままを書き留めて置きたかったから。そして、夢を見続けた........。
二日後、版元からの電話が鳴った。私は彫り台に向かっていたのだが、彼の申し出のあまりの唐突さに、まるで耳を疑ってしまい、彼の話を聞きながら、日本語を聞き間違えてやしないかとものすごく緊張した。きっと何かの間違いだ。彼の言うに、私が尋ねていって版木の写真を撮る代わりに、なんと、送るというのだ。観察して彫り方をじかに探って、都合のいいときに写真を撮ればいいと。もちろん、下さるというのではないが、納得のいくまでこの私の部屋に置かせて下さるとは、なんと寛大な人なのだろう。この地球上で、その版木を誰よりも愛で、鑑賞する男のいるところに。他の誰よりもその版木を貪欲に読み取ろうとする男のいるところに。
小包は今日の昼、今から3時間程前に届いた。包が届いたときには人が来ていて、もちろんその人達も見たがった。でも、今は、僕だけが、この版木と二人だけ。静かに、とてもしずかに。
版木は座卓の上に置かれ、窓から差し込むぼんやりした明りの下にある。部屋の電灯はすべて消えている。これこそが版画の味わい方なのだが、それはまた、版木の見方でもある。もう急くことはない、数分もしたら会えなくなってしまうなどと慌てることもない。
どこから見ていこうか......。そんなことはどうでもいいや。どの線一つをとっても何かを教えてくれる。左下の方、着物の線の所では、絵師が線の表と裏をかなり違った感じにするよう要求したのだろう。彫刻刀の先が線に沿って動くに連れ、中川さんの手首が動いていく様子が手に取るように見える。この花模様の所では、不必要な部分を取り除くのにどれほど薄く削りとったかが見える。同じ様な模様を彫る時、僕は明らかに深く彫りすぎている。そして当然の事ながら、私の目は飽くことなく上の方に向かい、髪へとたどる。ここで目にした物をなんと説明したら良いのだろうか、言葉が見つからない。繊細?細い?本物のよう?こういった言葉ではとても言い尽くせない。私自身、ただ唖然とするのみで、ここから何かをつかみ取るにはあまりにも......。
少なくとも、まだ今のところは。でも、この版木のお陰で、私はもう霧に包まれた坂道で盲滅法に頂上を目指す登山家ではなくなった。雲は晴れてどちらの方向に進めばいいのか、どの方向に登って行けばいいのか、はっきりと見える。
だが、私の登っている山に頂上はない。登山家とは違い、こつこつ登り詰めても、頂上を達成するという喜びに浸ることは一度としてない。その代わり、現実の登山家のように、山を降りる必要もない。私の旅は前進のみ、そしてひたすら上方へと、限りなく続く。
これで、話はほとんど終わりです。私の彫りの腕は、ゆっくりでも上達しています。あの日私は、版元の事務所で最近作を見せたのですが、褒めてはもらえませんでした。それは、彼が正しかったのです。言葉に出さなくても、おそらく、この貴重な版木を私に預けるという事で、まだ私に望みがあるということを暗示しているのだと思うからです。私はこの版木から、心を奮い立たせる何かを感じます。いつの日かこの版木が、どこかきちんとした施設に保管され、版画を摺るのに使用される危険のない、安全な状態に置かれるといいと思います。この版木には何にも替え難い価値があるのです。もしも私に発言の力があるのなら、国宝として扱われるに値すると主張したいくらいです。だから一時的にせよ、この宝物を手元に置けるということには、言い尽くせない喜びと満足を感じています。「版元、貴兄が私を信用し、寛大な配慮をしてくださったことへの、私の感謝の気持ちは、どんな言葉を以てしても言い尽くせません。いつかきっと、御親切に報いるような作品を作を作ってみせます。」
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