デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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カナダからのメッセージ

もうカナダに引っ越して3年になります。前のニューズレターを書いた後もいろいろなことがありました。

私が、7年生になったとき、私の英語がよくなったので、今通っているESLの学校からふつうの学校に変わりました。始めはちょっと心配だったけど、けっきょくはいいきっかけでした。始めは友だちを作るのがたいへんだったけど、ESLの学校から私のように、ふつうの学校へ来た子がいたのでだいじょうぶでした。たまたま、とってもいいブラウン先生につきました。なぜなら楽しいことをいくつも教えてくれたからです。ほかの先生が生徒をプールにつれていってるあいだには、ブラウン先生は、私たちを、二泊三日のスキー旅行につれていってくれました。ブラウン先生は、ほかにセーリングにもつれてってくれました。セーリングに行く前にセーリングのことを色々教えてくれたのですが、今でも全部おぼえています。あるとき、ベースボールゲームにもつれてってくれました。私はベースボールについて何も知らないから、とてもつまらないことになるだろうと思っていましたが、セーリングの時と同じように行く前にベースボールについていろんなことを教えてくれたので、とても楽しかったです。その年おもしろかったのは、フィルドトリップだけじゃなくて、スクラブルや、クロスワードパズルとかゲームやパズルすることでした。そしてそれらからいろんなことを学びました。

この年もう一つ忘れられないことがありました。私の一番の親友、あきなが一年間一緒に住むために、日本からカナダに来ました。どんなにラッキーなことか想像できますか?毎日おとまり会のようなものです。夢が実現したきぶんでした。それはあきなの考えと、あきなのお母さんも日本の外で生活する経験をすべるきだと考てくださったからです。想像したとうりすばらしい一年でした。いろんなことを一緒にしました。裏庭にツリーハウスを作り、よく利用しましたが、今はネコのミミだけが使っています。私たちはジムナスチックが大好きで、夏はしばふの上で練習しました。けれど冬は毎日雨が降るのでガレージをジムナチックの練習場に変えました。その時は車がなく自転車をおいてあるだけだったからガレージを使うことはまったく問題がありませんでした。ガレージの壁を全部ピンクに塗りドアに私達三人の名前(Akina,Himi,Fumi)と書きました。毎日夕方ジムナスチックの練習にガレージへ行きました。

クリスマスに父からビデオカメラをもらってから三人で映画を作りました。ストーリーや役も全部作りました。とってもうまくできあがりましたけど今見ると少しはずかしいです。もう一つ映画を作るつもりでしたが時間があまりにも早くすぎてしまい作ることができませんでした。あきなは今、日本にもどっていますが2人にとって、とても良い思い出ができました。

7年生を終わり8年生を始めるのは大きな変化でした。小学校が終わり、たくさんの上級生と一緒の大きな学校へ通います。突然、私はたくさんのことをおぼえなければなりませんでした。たとえば私のスケジュール、それぞれのクラスがどこであるか、誰が先生かなどです。それぞれのクラスで違った生徒と一緒になるので友達を作るのがとても大変でした。いくつかのクラスでは小学校の時に知っていた生徒がいましたが、ほとんどのクラスでは、誰も知りませんでしたから、新しい友達を作らなければなりませんでした。

たくさんいいこともありました。たとえば自分のロッカーをもらったり、自分で科目を選べたり、たまにおべんとうのかわりに、学校でお昼ごはんを買ったり、又、姉と同じ学校なので一緒に行くこともうれしかったです。

前のニューズレターのストーリーから御存知のように姉の日実は、フィギュアスケートをしています。今は私もやっています。最初、私はジムナスチックとスケートを毎週一回ずつやっていました。その後スケートがだんだんうまくなってきて一週間に一回ではたらなくなったので、三回に増やしました。お金や毎日のスケジュールが問題になってきたのでジムナスチックかスケートか、どちらかを選ばなければならなくなりました。両方やりたかったけど、それはできないのでスケートを選びました。これには、いろいろ理由がありました。日実もスケートをやっていたから、アイスリンクへ一緒に行くことができるし、スケートについての話しや、経験を話し合うこともできるからです。又、ジムナスチックの基本は家の裏庭で、いっぱい練習できるけど、スケートは家ではできません。

日実と私はいろんな大会やホームクラブのショーに出ています。今までのところ、私は二つの銀メダルと一つの銅メダルを獲得しました。来年はもっとスケートを楽しみたいと思っています。

私は、カナダでとても楽しくすごしています。楽しく読んでいただけましたか?

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2年前、私は父のニューズレターのために小さな話を書きました。それからいろんなことが変わりました。ほとんどは学校とスケートです。

前の話で8学年の時は、ESLに行っていることを書きました。9学年では私の英語がすごく上達したので二つしかESLのクラスはありませんでした。他の授業ではカナダ人といっしょにクラスに行きました。友達をつくるのが、すこしかんたんでした。最初の友達はデンマークから来た男の子でした。

10学年になったときは、ぜんぜんちがっていました。ESLは一つもなくて勉強がもっとたいへんになりました。一ついいことは富実も同じ学校に入学したことです。毎日、いっしょに学校に行きました。けれど学校が始まって2、3ヵ月たったころ私の目がへんになってきました。何人かの眼科医に診てもらって「ハラダ病」だと言われました。ステロイドホルモンの大量投与が始まり、これはとてもいやな副作用がありました。お腹、ふともも、そして最も悪いことにあごのまわりや顔に水分がたまりはじめました。

初めはよかったんだけど、薬をのみつづけているとだんだん太ってきました。1月に父の完成展示会のために日本へ行った時は私の様子はひどいものになっていました。体にたまった水が私が、あたかも食べすぎているかのように見えましたが、本当はそうではありませんでした。学校ではとてもうんざりでした。というのは私はキユートな女の子の1人でしたが、食べすぎの太った子に見えるようでいやでした。数ヵ月これ以上ストレスにたえられなくなって学校へ行くことをやめて通信教育にかわりました。このことはうれしくて楽しみでした。最初1人でちょっとさみしかったけど、自分のペースで勉強できるとわかっていい気分になりました。そして2匹のネコはいつも私のそばにいました。

私は学校から送られて来た数学、社会、美術、英語、科学、等普通の学校教科をワークブックと教科書を使って勉強します。私は自分でスケジュールを組み各セクションが終わると採点してもらう為に学校へ送り返します。その学期が終わると学校へテストを受けに行きます。学期末までにすべてをおわらせるのにとてもいそがしくすぎていきました。私はついにもっともっとやりたかったようにスケートに集中できるようになり、とてもハッピーです。

私の、日々のスケジュールはおもしろいものです。午前中はスケートにいって午後に勉強して、夕方6時ごろアイスリンクに戻ります。前のストーリーでスケートをしていることを書きました。私は本当に真剣にやるようになってきました。初めは10人の他の子供達とのグループレッスンでしたが、急速にうまくなったのでコーチが個人レッスンをうけるようにすすめてくれました。私の初めのコーチはジオバニで彼にシングルジャンプを全部おそわりました。後で女のコーチにかわりダブルジャンプをおそわりました。近くのアイスリンクでの大会に出られるようになり、金メダルを2つ獲得しました。今は、またべつのコーチになり、他のアイスリンクに変わりがんばっています。もうすこし上達したら州大会に出られます。来年は過去2年とまたずいぶん違う年になるからそれをすごく楽しみにしています。