デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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版木の夢

ちょっと前のことですが、ロンドンで、日本の版画についてのちょっとした調査をしました。(「調査」などという言葉を使いましたが、実際は版画の見学をしたようなもので....)ある博物館で、閲覧のためにいくつもの版画のケースを取り出してもらうと、そのなかに混じって面白いものがありました。それは、その博物館が手に入れていた、使用済みの版木だったのです。それほど古い物ではなく、せいぜい百年かそこら、明治の終わり頃の物でした。ということは、失望どころか、彫りの技術がピークに達した時期です。

こういった版木を何枚か見られるということは、私にとって大いに参考になります。なぜなら、でき上がった版画だけから彫りの技法を習得するのは、なかなか難しいことなのだからです。いわゆるリヴァース・エンジニアリング(製品からその製造過程を詮索する)のような方法でわかることは限度があって、どのくらいの角度で彫刻刀が入れられたのかとか、あるいは、どのくらい深く彫ったのかということは、とうてい見抜けないからです。それだけに、これはまれに見るチャンスで、とてもありがたく思いました。ただちょっと残念だったことに、当然のことですが、長い年月のあいだにかなり使い込まれてしまっていたのです。細い線は、上部が丸くなっているし、版木のあちこちが、欠けたり裂けていたり、ひびが入っていたりしていたのです。

私は、いつのまにかこんなことを想像していました。この版木が彫られた直後はどんなだったのだろうか.....。浮き彫りされた線は、どんなにかくっきりと鮮明だったことだろうに....。どんなにか綺麗だったろうに....。でも、この平成の時代にそんなものを見ることなんて、あり得るのだろうか。所詮、夢でしか......。

***

ここでちょっと時代を遡って、こんなことを想像してみましょう。

ある版元が、こんな版画の出版を思いつく。それはどちらかというと古典的な美人画で、絵の中の女性は顔と首に当時の化粧をしているところ。着物の柄は込み入っていて、片方の襟元を肩のほうにはだけ、手鏡を覗いている。こちらから見えるのは、黒の漆に金模様の付いた手鏡の裏。髪は結い上げられているが、頬や首筋に乱れ毛が流れている。このとてつもなく細い、繊細な線を彫るには、一流の彫師の腕前を極限まで駆使してもらおう。大きさは結構大きなもので、そう、普通の浮世絵の2倍ある柾判にしよう。すごい傑作が出来上がるだろう。

版元はこの企画の採算をはじいた。特別に注文する和紙、背景には雲母を使いたいから、そのため余分にかかる費用。版木は普通の2倍の大きさなので、びっくりするような値段になるだろう。それが何枚も要る。とすると、採算はぎりぎりで、かなりリスクの大きい企画となることは間違いなしだ。でも、完成すればきっと買う人が出てくるだろう。こうして不安な気持ちを払いのけて、この企画を実行に移すことに決定した。

決めはしたが、もう一つ大きな問題があった。でき上がった版画は当然高いものになる。そうすると、外国からやってくる旅行者達が日本的な趣のある土産として買い求める対象にはならない。客は国の内外にいる版画通になるだろう。こういった人達の目は厳しい。彼等は買うと決める前に、目を凝らして版画を見るだろう。体の線、顔、そして髪の流れなど、あらゆる細かな点を.....。この企画を成功させるには、なにがなんでも完璧な彫りでなくてはならない、と版元は考えた。

彼は、知っている職人を一人ずつ思い浮かべた。この仕事を頼むには誰が一番いいだろうか。重要な決定に暫く模索がつづく。すると、面白いアイデアが浮かんだ。中川木令だ。版元は、彼に連絡してこの仕事を引き受けてもらえるか聞くことにした。木令は、だいぶ前に一線を退き、しばし道具を納めていたのだ。だが、説得すればもうひと仕事してもらえるかも....。「何とか、この仕事を引き受けてもらいたいんだ。これは大した摺物になる。これを彫れるのは、今では、中川さん、あなたしか居ない。頼むから.....。」

彫師は版元への義理があったのか、それとも特別な企画のために選ばれたことへの誇りからか、とにかく申し出を受け入れ、仕事を引き受けた。

まず、墨板だが、極めて細い線のほとんどがここに彫られるため、上質でしかも幅広の山桜の板が選ばれた。この板は、木を切り倒して製材し、荒仕上げのあと、すでに何年もねかされている。だからじっくり乾燥して素材が安定している。板が選ばれると、こんどは適当な大きさに切り揃えられ、何種類もの鉋(かんな)を使って最後の仕上げとなった。削りとられる薄片は、一枚毎になめらかで薄くなっていき、やがて板の表面は磨かれた鏡のようにつるつるになった。一方、木令が彫る時の道しるべとなる版下の準備には、細心の注意が払われていた。彼は切れるような細い線を彫るが、そんな線を描ける人はいない。だが、そんなことは必要ではない。全体としての大まかな形さえあれば、彼の長年にわたる経験と勘から、線がどのように流れるかがわかるからだ。

こうしてすべての準備が整い、製作が始まった。彫師はすぐに仕事の流れに馴染み、長年の勘を取り戻すのに数時間とかからなかった。彫刻刀が、版下の滑らかな線に沿って、流れるように動いていく。こういった線は、注意深過ぎたりがむしゃらになったりしたのでは彫っていけない。それよりもむしろ、ゆったりと自然体で、流れるようにこなしていく必要がある。線がどんなに繊細であろうとも、彫刻刀は元の絵を描いた絵師の筆と同じくらい自然に、線に沿って流れていかなくてはならない。さもないと、版画にしたときに、固くぎごちない線となってしまうのだ。

中川さんの腕は一流だった。絵の中の一部ずつ、彫られていく場所が日に日に広がっていく。せきたてる人もせかす人もいない。彫師は、おそらくこれが彼にとって最後の仕事になるとわかっていただろう。完璧な彫りを目指すのを、いったい誰が咎められただろうか。やがて、すべての線を浮き彫りにすると、不必要な部分の取り除き作業が始まった。かつては下にいる職人に回されたこの作業だが、木令は自分の彫り台で続ける。これは彼の名作となるのだから。

ついに墨板が完了し、見にきた版元はその仕事ぶりに驚嘆する。長年この仕事をしているが、こんな仕上がりは見たことがない。木令の作り上げたものは、単に版画を作るための版木ではなく、それ自体が彫刻になっている。もちろん版木として使えるものだが、線を彫っただけでなく、彫刻をするような気遣いで、不必要な部分をきれいな谷間としてきちんと取り除いてある。彫り残された線は目をみはるほどにきめ細かく、すっきり彫り取られた面を背景にくっきりと浮き立っている。原画のデザインは、版木の上にはっきりと見て取れて、紙に摺ってから見るのとほとんど変わらないくらいだ。この墨版自体がもう名作と言えるもので、これで摺るなどということはとんでもない事のように思える。木令が、座して仕上がりを版元に見せる時には、どんなに誇らしく思われたことか。

そして、....(この先は、とても、書くに忍びないのだが ) ...そこまでで、彫師、中川木令は他界した。

こんなことは夢でしか起こりえないと思いますか。こんなすごい版木がほんとうに彼の最後の名作となったなんて.....。

葬儀一切が済み、版元は事務所でこの版木を見つめた。企画を続けるために他の彫師を見つけることはさして難しい事ではなかっただろう。何枚かの色版を彫ってもらえばいいのだし、昔ならどのみち、親方の下にいる彫師がやった仕事なのだから。しかし、細かに彫られた髪の毛、そのまわりの美しく流れるようにきれいな仕上げ面、版元はじっくりと観察するうちに、あっさりと次の行程に進むという気になれなくなった。暫く考えた後、仕事の合間にいつでも取り出して見られる事務所の棚に、そっとしまった。そして、別の企画にかかった。いったい何を考えていたのだろうか。この企画を続けるには景気が悪くなった事を心配したのか、あるいは、中川さんの亡きあと、次の人に頼むまで、しばし時を置きたかったのか。わからない。

何日も過ぎ、やがて何か月かが過ぎ、他の企画が始まっては終わった。版画の出版は途切れることなく続いた。何年も過ぎ、そして何十年かが過ぎ、版元が後継者に事業を譲って隠退する日がやってくる。後継者が事業一切を引き継いだ。建物、在庫の版画、今まの出版に使った版木すべて、そして、丁寧に包んでしまってある、企画途中のままの、あの版木も。名彫師の最後の仕事で、しかも、そのまま使われずにある墨板。繊細な線は、彫られた時のまま変わることなく、何十年と経った今も鋭くはっきりしている。

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世界中の美術館に保存されている版木を観察すると、その彫り方や彫師の腕の良さなどが、かなりなところまでわかります。でも、それはどこまでもかなりなところまでに過ぎません。そういった版木は当然、何度も何度も版を重ねられているので、摺る度に顔料の粒子でこすられるため、表面が浸食されているからです。そんな使用済みの版木は、まるでエジプトの砂漠にある太古の彫刻のようなものです。克明に彫られた彫刻が何世紀にも渡って吹きつける砂で摩耗し、ぼやけてのっぺりした形になっているように。

でも、何とかして、どこかで、彫ったままの版木が時の課する変化を逃れ得ていたとしたら.....。ちょっと想像してみてください、一体どうしたらそんなことが起こりえるのか....。 .....そもそも、そんなことが起こりえるのでしょうか ........

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