デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

前回からの続く...

楽器修理店には様々な道具や材料があります。そこで仕事をしていたおかげで、私は長いことやってみたいと思っていたことを実行にうつす機会に恵まれました。フルートの設計と製作です。フルートを吹き始めたその日から、私はこの楽器がどういう仕組みになっているのかを理解しようとしてきました。これまでに何度も分解したりまた組み立てたり、調整が必要な時にはやってみたり、どうしたらもっと改良できるかについていつも考えていました。

みなさんはフルートの設計についての講義なんて聞きたくないでしょうが、このことだけ覚えておいて下さい。この楽器の基本的な設計は、1800年代の半ばに「近代化」されて以来、100年以上もの間変わっていないのです。どうやったら改良できるかについて、私は2つの考えを持っていました。ひとつはキーの配列を新しくすること、もうひとつは(こちらがもっと画期的なのですが)、電気的に管の長さを調節する方法です。

店にころがっている古い楽器の部品を使って、私は第一のタイプの試作品をいくつか作り、吹く練習をしました。「きちんと仕上げよう」という気はなかったので、見かけはひどいものでした。これは単なる実験でした。それでも私は、大きな紙に、私の考えた新しいキーシステムの仕様を細かく丹念に書き込みました。私が思い描いている第二のタイプの実際のモデルを作れるほどの知識はありませんでしたが、構想を練って、自分の考えを丁寧に書き上げました。

そしてもちろん、いつものことですが、それ以上のことはしませんでした!またもや私は横道にそれてしまったのです...またギターでしょうか?いえ、今度はハープシコードでした。どういうわけか、古いイタリアのハープシコードの複製を作ってみたくなったのです。どうしてそんな気になったのかはもう何も覚えていないし、鍵盤楽器をやっていたわけでもないのに、でもとにかく、その考えにとりつかれてしまいました。ハープシコードについて、私は何か知っていたでしょうか?−いいえ。しかも、そのようなことについて書いてある本も1冊も見つけられませんでした。できることはただひとつ−自分で書くことです。というわけで、私はやりました。見つけられる限りの参考資料を探しだし、それを隅から隅まで読んで、やがて1冊の本を書き上げました。そのような楽器の歴史や、楽器の製作方法−木材の選定と準備から、できあがった楽器の音程の調整まで−について書いたのです。

それで私は実際にハープシコードを作ったのでしょうか?いいえ、準備はすべて整っていたのですが−木材をはじめとして、弦などその他の部品も全部。実際に作ってみることはもう必要ない感じがしたのです−ただ、本に書けるほど細部にいたるまで製作の過程を考えることだけで、私の好奇心を満たすには十分だったのです...私はそういう楽器がどんな仕組みになっているのかを知りたかったのです。

ここ羽村のアパートには、まだこういったものがたくさん箱にしまいこんで残っています。フルートの設計のため詳細な音階を記した図面、いくつかのフルートの試作品、ハープシコードの本の原稿、弦に使うワイヤーまで...これらの考えがこれ以上具体化することはもうないでしょう。私の生活は今や木版画のことでいっぱいで、楽器のことを考える余裕などはありません。道はたくさんあるものです...

こうして楽器製作をやっていた間、私はまだサックスを吹いていました。ホテルでのサックス奏者としての「キャリア」はみじめに終わることになりましたが、まだ時折、町で仕事をすることがありましたし、修理工場の友達と一緒に、人数の足りない大学のジャズオーケストラの演奏に加わることもありました。そのグループではバリトンサックスを吹き、彼らと一緒にレコーディングも何度かやりました。しかし私は自分にジャズの即興演奏の才能がないことに気づき、そのために何かしようと決めました。どうしたかって?もうおわかりでしょう...本を書いたのです!

次回へ続く...

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