デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」の一冊の内容です。
ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。
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百人一首版画シリーズの世界へ、再びようこそ!このシリーズの最後段階への秒読みが進行中で、わくわくする気持ちが高まってきています。裏表紙には、1月に行われる最後の展示会のお知らせがあります。どうかカレンダーに印をつけていただけますように...
ニュースレターなどを書くためにワープロに向かっていると、時々、話が勝手に進みだして、私の思ってもいなかったような展開になってしまうことがあります。今回がそうでした。この号にはふたつしか記事がありません。
みなさんのうちほとんどの方が、木版画製作の実演をなんらかの形でご覧になったことがあるでしょう。しかし、それを見てみなさんは、どのくらい現実的な印象をもっておられるんだろうか、と思います。実演とは違って、実際の作業は、それほどわくわくするものではないし、もしそれを見ている人がいたら、何も考えずにやっているように見えるかもしれません。本当のところはどうなんでしょうか?この号の記事が、いくぶん答えになっているかもしれません...
いつもながら、このささやかなニュースレターを読んで下さってありがとうございます。この号を楽しんでいただけますように。
前回からの続く...
私のしていたふたつの仕事はどちらも高給ではありませんでしたが、2箇所から収入を得ていることで、私の銀行預金は着実に増えていきました。そこで、特にお金を貯めて何をするというわけでもないのなら、いっそ全部使ってしまおう、と考えて、使うべき所を探し始めました。当時、土地が値上がりを続けており、新しい家やアパートがあちこちに建てられていました。それらのいくつかを見てまわった後、私は小さなマンションを一戸買うことにしました。
いささか驚いたことに、銀行は私の抵当申請を承認してくれました。私は売買契約書にサインして、頭金を数千ドル払い、残りはローンを組みました。私はそこに自分では住まずに、地元の新聞に借家人募集の広告を出して、応募者の中からひとりを選びました。それは中年の女性で、彼女の年老いた母親とそこに住みたいというのでした。完璧な借家人でした...もの静かで、きちんとしていて...
私は24歳になっており、物事は非常にうまくいっていたと思います。若く、発展をとげている会社で安定した仕事をしていて、そこでは様々なおもしろい企画に関わる機会に恵まれていました。ミュージシャンとしての仕事も板についてきましたし、財産を投資した物件は私の経済状況を着実に良いものとしてくれていました。それなのに私は、今、日本にいます。ということは当然、その理想的な状況をこわす何事かが起こったのに違いないのです。そして、事実、起こりました。ほんの2、3ヶ月の間に、3つのことがすべてだめになってしまったのです。
まず最初はホテルの仕事でした。ある夜、仕事に行くと、トリオのリーダーから、バンドリーダーが、私よりはるかにサックスのうまい新しいミュージシャンを私の代わりとして手配した、と告げられました。これが初めて仕事に行った日に起こった出来事だったなら驚きはしなかったでしょう。しかし何ヶ月も過ぎた後だったので、私は自分のポジションは絶対的なものだと感じ始めていました。しかし、音楽の仕事に絶対はないのです、そういうことだったのです。数分後、私はホテルを出、楽器を手に自分の車までもどり、家へ向かいました。この後しばらくして、次の問題が起こりました。ある夜遅く、私のマンションの近くの警察署から電話がかかってきました。「すぐ来て下さい。お宅の借家人たちが通路に裸で寝ています。完全に酔っ払っています!」私の「完璧な」借家人はふたりとも重症のアルコール中毒だったのです。マンションの部屋はひどい有り様になっていました。更に悪いことに、彼女たちは家賃をまったく払わなくなってしまったのです。それなのに、強力な賃借人保護法のために、私は彼女たちを立ち退かせることもできませんでした。ローンの支払いが日に日に遅れ始め、銀行からの電話がかかってくるようになりました...
私の楽器店での仕事はまだ安定したものだったのですが...というか、ともかく安定したものであったはずでした。しかし私は、またもや落着かなくなってきていたのです。仕事は主に学校で使うものを扱っていたので、あらゆる活動は学校の行事にあわせて季節的な循環を繰り返していました。9月には新しいバンドが結成され、12月にはクリスマスコンサート、などなど。私はこの仕事に携わって3年になっており、この繰り返しにいらいらしはじめていました。「また9月がやってくる、そして私は『同じ』バンド教本の在庫注文をし、『同じ』電話に応え、楽器を配達するために『同じ』所へ出かけていく...」こんな状況の中で私は、ホテルの仕事は終わってしまったものの、音楽の仕事のあっせんをする業者から、どこそこでちょっとした昼間の演奏の仕事をしないか、という電話をまだもらっていました。楽器店の社長は私たち従業員がそういう仕事をするために休暇を取るのをいつも認めてくれていましたが、頼むのは気持ちのいいものではありませんでした...
そういうわけで、ある日私は、「ここを去る時だ」と決意しました。どうやって暮らしをたてていくつもりだったのでしょう?わかりませんでした、しかしとにかくわかっていたことは、私はもう楽器店の店員ではいたくない、そしてそこにいるのが長くなればなるほど、仕事を断ち切って何か別のことを始めるのはむずかしくなるだろう、ということでした。社長は私が落着かなくなってきていることに気づいていたのだと思います。私がやめることを伝えてもそれほど驚かなかったようでした。彼は私の幸運を祈ってくれ、私は店を後にしました。
私の銀行口座は空っぽになり、銀行は私のマンションを抵当流れ処分にするための手続きを取り始めました。私はどこへ行けばいいのか、どうすればいいのか、わかりませんでした。しかし、きっと何かが起こるだろうとは思っていました...そして実際、起こったのです。再び指揮棒を握るチャンスがやってきたのです...
次回へ続く...
長く続いた彫りの日々がやっと終わりました。一日かかってほんの数センチ四方しか彫れないような、そんな日もありました。着物の込み入った模様や、文字の重なり合っているところでは、削り取った細かい木くずを一つずつ注意深く取り除き、作業はきわめてゆっくりと進行したのです。でも、彫りの最終段階になるとピッチが上がってきました。一たび細かな線の彫りが終われば、大きい平ノミの出番です。背景となる不必要な部分がどんどん取り払われていき、木片はバンバン飛び散りました。この作業は手早く済み、しっかり掃除をすると、今度は摺りの準備です。ひと月に何週間か納戸行きとなっている摺台を出してきます。
まず、バレンと刷毛を選びだして、その下準備です。バレンを包む竹の皮は、前回使って擦り切れているので取り替えが必要でした。刷毛のいくつかは、毛先が十分滑らかになるまで、サメの皮でこする必要がありました。和紙の準備もあって、これは大層手が掛かります。一枚ずつ、柾判(まさばん)から大判に切っていき、このとき、和紙を漉く時に付くかすかな桟の痕と紙の端とが平行になるように気を付けます。
切った紙の四隅の一つは、それぞれの版木の「見当」にピタリと合うように、すべて切り揃えました。それから、あったとしてもごく小さいものなのですが、紙に楮(こうぞ)の皮の黒い斑点がないかを全部調ベたのです。紙を作っている岩野さんとそのご家族がこれを取り除くのに、凍てつくような水の中で、とてつもない時間を費やされているのですが、何百枚という数の中には、どうしても、ごくかすかな点が 2、3 残されるということは避けられないからです。絵の目立たない所に来るのなら、そんな斑点もまるで問題がないのですが、顔の中やすぐに見て取れるような場所に来たりしないか、全部点検するのです。
こういった作業がすべて済むと、紙を湿らせる作業で、ここからはもう後戻りできません。いったんこの工程に入ってしまうと、摺りが終わるまで、紙の湿度を一定に保ち続ける必要があるからです。和紙は、ニカワで「ドウサ引き」されているので、湿っていると、カビにとって格好の条件となるのです。そのため、摺りの工程は時間との競争となります。たとえ何があっても中断はできず、友達や収集家の方の訪問には「あのお、申し訳ないのですが....摺りに入ってしまったので......、今日は、ちょっと....」と対応する事になるのです。
湿らせる、というよりも浸すといったほうがいいのですが、これには、山羊の毛で作られた水刷毛を用います。和紙は2枚ずつたっぷりと水を塗り、すでに湿らせてある新聞紙の間に挟んで重ねて、一晩寝かせました。翌朝には湿り気がもっと行き渡っていて、それを摺りやすいよう小分けにして新聞紙に挟みます。残りの準備も、数時間後には完了し、それから墨摺りに入りました。墨版はいつも最初の日に行い、時間的にはさほど長くかかりませんが、かなりきつい作業です。なぜなら、この墨版の善し悪しが版画の決め手となるからで、もしも見当がピタリと合っていないと、その後に重ねる色がきちんとした位置に乗らないからです。それに加えて、この墨版は手早く摺り上げなければならないです。色版を摺る場合は、たいてい、広く平らな部分を摺るので、版木の上にたくさんの絵の具を付けます。こうすると、版木が常に湿った状態にあるので、作業のあいだに板が乾いてしまうということがないのです。ですが、墨版の場合、ほとんどが、くっきりと彫り残された線だけなので、墨はあまり要らない代わり、板が乾きすぎる危険があるのです。それを避けるためには、手早く作業を進めるしかない訳で、湿った和紙を一枚ずつ取り出し、墨を薄く刷毛で広げ、紙を載せると、乾ききらないうちにバレンで素早く摺らなければならないのです。電話がかかってきたら手を休めるかですって?とんでもない!宅配便のこの地区担当の人は、もうこのことを知っていますから、ドアーをノックしても私が出ていかなければ、玄関に包みを置いていってくれます。
摺りの作業は数日続きました。墨版を最初の日の夜に行い、続く2日間は何枚もの色版を摺りました。作業は順調に進み、あと4色を残すのみです。ほかのことに気を取られずに集中して仕事をすれば、今夜のうちには完成するはずです。
『今日は摺りの日だもの.........』
今日は、朝早くから仕事を始めます。月曜日で、いつも通っているプールがお休みのため、朝の水泳がないからです。7時半にはもう、今日最初の色版に取りかかっています。
使っているのは肌色です。この版画で肌が出ているのは、顔と手と足の3ヵ所です。ですから刷毛は版木の上を3回こすることになります、ササッ、ササッ..........ササッ、ササッ........ササッ、ササッ。 それから顔を傾けて、窓から差し込む明りの反対側から斜めに見て、版木の上に色がむらなく薄く載っているか調べます。こうして点検しているあいだに、私の手は、持っていた色用の刷毛を自動的に元の位置に戻し、積み上げられている湿った新聞紙の一番上に伸びて行き、その間からちょっと出ている和紙の角に達します。絵の具はうまく載っていますから、紙を抜き出し、表を下にして、素早くまず見当に当て、そこからそおっと板の上全体におろします。このときも、目を動かすことはなく、左手は正確にバレンの位置に伸びて行きます。
この3ヵ所は大きく離れているので、バレンは3ヵ所を一緒にこすることはできず、紙のかすか上方を移動して、色を付けたい部分だけに着地することになります。バレンが間違った所に触れると、作品に取り替えしのつかないしみが付くのです。紙の上では、顔と手の間のようにまるで力をかけない所と、逆にしっかり力を入れるところとが出てきます。この版では色を付ける部分が小さいので、くっきりと彫り残した面の隅に力をかけすぎて、そこだけ濃くなりやすいのです。作業は穏やかに見えますが、かなりの集中を要します。
一枚摺り終わると、和紙を右手で板から剥がし、表を上にして右側にある紙の束に載せます。この時に忘れてならないのは、見当が合っているか、色の乗りが弱すぎないかの確認です。そうしている間、左手はバレンを元に戻し、色を載せる「はこび」を取り上げています。大丈夫かな、よし、では次の紙に....
一枚、そしてまた一枚、紙が版木の上を通過する度に色がついていきます。前方にある紙の山は確実に小さくなっていき、右側にある方の山は着実に高くなっていきます。和紙は、ほんの少し空気にさらされるその度に、少しずつ含んでいる湿り気を失って行くので、数分ごとに安定した仕事のリズムを止め、新聞紙の上から、失った分の水分を、水刷毛で塗って補給します。そして、また摺りに戻ります。一度摺りのリズムが安定してくると、その色を摺るのにどれくらい時間がかかるか見積もることができます。一枚にほぼ 45 秒、130 枚だからそれを掛けて、水を補給する時間も加えて、などなど。どうやらこの色に 100 分かかりそうです。
実際にはもう少しかかってしまいます。そして最後の紙を手にしたときは9時 20 分でした。ここで、ちょっと作業を中断しなければなりません。木目が絵の中の顔に移るようになったからです。「名倉砥」( 仕上げ砥の表面の修正に使うもの ) を取り出して、版木の表面を軽くこすります。私が作っているのは木版画ですが、顔の表面に木目が浮出ては、誰も欲しがらないからです。
こうして最初の色が済みました。出だしは好調です。まだ9時半なのに4色のうち一色が終わりました。重い紙の束の上下をひょいと逆にして、また表が下になります。それを再び、次の色を摺り始められるように摺り台の前のテーブルに置きます。そんなに急いで、すぐに始めなくても、ちょっと体を伸ばしてもいい頃かなあ。一日中胡座(あぐら)をかいていても平気なのですが、そのためには、数時間ごとにちょっと足を伸ばす必要があるのです。お茶を一杯入れようと台所に行きますが、この時、食堂のテーブルの脇を通ることになります。でも、一旦ここで立止まったらもうおしまい、摺り台に戻れなくなります。雑多な物の一番上にはフォルダーが広げられていて、夏のニュースレターに関するメモを書いてあります。もうこれ以上先延にできないんだけど....。その隣には、来年からの版画プロジェクトの概要を書いたノートがあります。この百人一首シリーズを終えるまでは、そのことを考えてはいけないのですが、そうもいきません。それから、アメリカにいる友人からの手紙があって、この中には私に版画として仕上げてもらいたいデザインが入っています。こんなこともやってみたら、なかなか面白そうで、ちょっと心引かれるなあ。
手がフォルダーにすうっと伸びて......ダメダメ!『きょうは摺りの日』! マグカップに紅茶を入れて仕事場へ戻る途中、ちょっとCDの棚へ。次の摺りをしながら掛ける曲は何がいいかな。2、3枚抜き出して、そのうちの一枚を座る前にプレーヤーに差し込み、リモコンを手の届く所に置きます。さあて、次なる色はカラシ色。足の肌色の上に重ねる藁草履(わらぞうり)と、この歌人が持っている扇子の骨の所です。こういった小さい所はいたって簡単で、どんどん摺れるのですが、その反面、位置が正確でなければならないので、見当に和紙を当てるときは、細心の注意を払います。
数分後には、再び馴染んだリズムに乗ってきます。絵の具を塗って、刷毛で伸ばし、紙を載せて、バレンで摺って、点検して......。いったん作業の波に乗ると、リモコンのボタンを押します。そしてCDが音を奏で始めます。
スピーカーは、ステレオになっていて、私が座る座布団の位置に音が集まるように合わせて置いてあります。向かい側にも、低音域の出るスピーカーを置いてあるので、たちまち荘厳な音の中に我を忘れる気分となります。作業は規則的に進行するので、もう、どのぐらい時間がかかるかなどと計算しなくても大丈夫。今までのように、そしていつものように、一枚一枚と紙が版木の上を通っていく毎に、目の前の山は着実に減っていき、摺り終えた紙の山は着々と増えていきます。
ところが、この色でも、ちょっとした中断を余儀なくされます。紙の山が半分程になったところで、見当がわずかにずれだし、色の境がピッタリ合わなくなってきていたのです。前の色の所でも、ほんのわずかずれていることがわかったのですが、その版では、幾分ずれても大して問題ではなかったのです。何日か前に墨摺りをした時に、版木が墨から水分を吸い上げて、何時間か作業を進めるうちに、ほんのいちミリ近く膨張してしまったらしいのです。墨板が膨張するということは、摺られている絵の大きさが、わずかずつ違うということなのです。始めのころは幅 xxミリで、後のほうのものは xx+α ミリという具合にです。和紙に通し番号は付けてないので、毎回の作業は、常に摺った順番通り行っていかなければなりません。もしも順番を崩してしまうと、何枚もの色をきっかり重ねていくことは不可能になるのです。 でも、いい解決策があります。山桜で小さな楔(くさび)を作り、見当の脇にノミを使って押し込みます。それから、紙が正しい位置にくるように、必要な分だけ楔の余分な所を削りとります。この後からはピタリと位置が決まります。
この色版も 130枚摺り上げ、カップに残っている紅茶はまだ冷え切っていません。11 時ちょっと前、ここで決断を迫られます。昼ご飯の前にもうひと色終えられるだろうか、あるいはいったん紙をまとめて別の仕事をした方がいいのか。今日は摺りの作業に集中すると決めてはあるけれど、他にもやっておかなければならない仕事があるのです。この版画を仕上げて乾燥し、点検が済み、サインをすると、いつも包装と発送を担当している市川さんが版画を取りに来ます。その時、版画に添えるエッセイも渡さなくてはならなりません。エッセイは数日前に書いて、土井さんに翻訳をしてもらってあり、コンピューターの脇に置いてあります。これを入力していくのですが、私は日本語を打つのがうまくないので、ちょうど昼までの仕事になります。決めると、新聞紙ごと和紙をまとめて、暑い季節の和紙の休息所となる冷蔵庫の棚に、再びていねいに戻します。そしてキーボードを打ち始めます。
この作業は結構面白いんです。仮に私が日本語学校にでも通っていて、ここに出てくる漢字を勉強しなくてはならず、後でテストも受けるとしたら、あまり楽しめないと思うのです。でも、自分からやってみようと思ってしていることなので、ストレスがないのです。良い辞書も手元にあり、読めない漢字や熟語が出てくると、読みを調べて入力します。同じ字を繰り返し調べることがありますが --それもほんの数分しかたってないのに -- 何年もこうしているうちにゆっくりではありますが、読む力が付いてきています。日本語が読めるのかって? 新聞の、経済や政治について書かれている欄を声を出して読めと言われたら、すぐに行き詰まってしまいますが、そうでなく、自分で書いたエッセイを読むのなら、かなりうまくできます。勉強アレルギーの僕としては、結構うまくいくと思うのですが。
毎月のエッセイはあまり込み入った内容のものではないので、昼までに入力は済み、打ち間違いなどの訂正をしてもらうため、それを電子メールで数人に送ります。これで終了!昼ご飯だ〜。この時間になると、たいてい、道路を隔てた所にある、長さんのべーカリーに行きます。長さんは、私の版画全セットのコレクターで、いつも一番新しい作品をお店に飾ってくださっているので、おいしい昼を調達するときに、それを見ることもできるのです。
家に戻ると、もう一杯紅茶を入れて昼食と一緒にコンピューターの前に座ります。食事をしながらコンピューターのスクリーンを見て、メールを読んだり返事を書いたりするなんて、あまり行儀が良くないと思うでしょうね。もし私が誰かと暮らしているのなら、とんでもないことです。でも、一人暮しの私には、かえってこの方が良いのです。なぜなら、のんびりできて、ゆっくり食べることにもなるからです。テーブルについて食事をしたら、ムシャ、ムシャ、2分もすれば食べ終わってしまいますから。でもこうして画面の前に座っていれば、手と目が忙しく動いているため、食事はゆっくりと進んでいくのです。お行儀は悪いでしょうが、体にはこのほうが良いわけで.....。
コンピューターのメールボックスには、いろんなものが来ています。まず、私のホームページを見た人からのコメント。楽しめたことを知らせてくださったことへの簡単なお礼の返事を書きます。次に、メンバーとして登録している、発売予定の新曲情報を分かち合うサークルからの案内。ざっとみて面白そうなものがないので、消去します。その次は版画家の友人からで、面白い版画が見られるホームページを知らせてくれています。彼のリンクをたどって、その作品をみて見ると、なかなかいける!そして今度は、私のほうから、今自分が受け取ったような手紙を書く番となります。「たった今、そちらのホームページを拝見しました。あなたの版画は、とても興味深く.....」数分で手紙は書き終わり、カチャカチャと「送信」のボタンを押せば、もう手紙はサイバースペースを駆け巡り、紅茶を飲み終わるころには先方に届いているはずです。相手の方も、食事をしているかも.....。昼食とっている人もいれば、夕食をとっている人もいるでしょう。相手が世界中に散らばっているので、生活の時間帯もまちまちですから、コンピューターを見る時間もバラバラになってきて、時折、いったい何時なのか混乱してくることがあります。
おいしいものはいつも一番最後にとっておくのですが、ここでメールボックスの中に残っているのは、「Barenフォーラム -- 版画愛好会」からのものです。このフォーラムは、昨年の暮れに私が開設したものです。版画家や、また版画そのものに興味をもつ人達の誰でもが、情報やアイデアを分かち合う場を提供する目的で始めたのです。現在のところ、日本、カナダ、アメリカ、イギリス、そしてオーストラリアから42人のメンバーがいます。メンバーの一人から送られてきた内容は、すべて自動的に全員に送られるので、版画作りに関わるものならどんな興味のある話題でも、またメンバーの誰とでも、自由に話合いができるのです。
今日フォーラムから届いたメッセージはメンバーからの質問で、版木にする材料についての問い合わせでした。即、返事を打ち始めたのですが、どうやら私が仕事をしているあいだに誰かがもう答えてあげたようです。残りのメッセージは、メンバーの一人が自分のホームページに載せた版画についての議論でした。彼は、彫刻刀を使わずに、剃刀と針を用いて独自の「彫り」を開発し、その技法を会員のみんなに説明しているのでした。自分で試してみようとは思いませんが、なかなか面白い内容で、でき上がった作品も独特のものでした。寄せられたメールを面白く読みましたが、グループのみんなに向けては何も書きません。みんな、今私が摺りの真っ最中だということを知っていますから、2、3 日何も書かなくても気にしないでしょう。
こうして昼の時間は過ぎていきます。おいしいパンと世界中の友人とのコミュニケーション。さてさて、もう仕事に戻る時間です。忘れてなんかいるもんですか、『きょう〜は、摺りの日』
次の色版は、この歌人の烏帽子(えぼし)になる深いねずみ色です。これも摺るのは比較的楽なのですが、見当が厳しい場所です。ほんのちょっとでもずれると、髪の毛と烏帽子のあいだに、見苦しいすき間ができてしまい、作品全体をダメにしてしまいます。すぐ前の版で、狭い面積に辛子色を使い、あまり強くなくてかなり偏平なバレンを使いました。でも今度は、 底の面がちょっとカーブする、もっと強力なのに取り替えます。もしもこの版に底の平らなバレンを使ったりすると、烏帽子の縁に力が掛かり過ぎて、他の所より濃く出てしまうのです。底がしなったバレンを使うと、色をつける面積全体に均一な力がかかり、むらがなくなるのです。
顔料を混ぜて、紙切れに試し摺りをしてから、和紙の束を冷蔵庫から取り出し、作業の再開です。数枚を摺ればもうリズムに乗り始め、いったん乗ると、再びリモコンに手を伸ばして.....。 でも、今度はCDのボタンではなく有線の放送の方を選びます。ここ東京で昼の1時ということは、ワシントンで午後 11 時ということになります。月曜日のこの時間には、前の週のニュースやその放送局の特別番組のダイジェストを放送している、コマーシャルのない局があって、それが聞きたいからです。彫りの作業は、たいていとても静かなので、仕事をしながらラジオを聞くのは、なんの問題もありません。でも、摺りの作業は、バレンが和紙の裏を擦る音がしてうるさいことがあって、そうすると、ラジオから聞こえてくる人の声がかき消されてしまうのです。でも、今摺っている面積はとても小さいので、バレンの音は聞き取れない位です。ですから、紙が目の前を一枚ずつ通過していくあいだ、この番組を落ち着いて聞くことができます。
今度の色は順調にでき上がっていきます。半ばにくると、見当を調整するタイミングが一番良くわかる時なので、細心の注意を払って点検します。ところが、半ばをすぎて間もなく、道具を置いて目をこらさなくてはならない必要に迫られます。摺ったばかりの烏帽子の中央に小さな白い点があるのです。顔料がそこだけ紙に付かなかったかのように見えます。版木を見てみると、小さい何かが板の上に付いています。一粒の木のかけらでした。数分前、見当を調整するために削った楔のかけらに違いありません。削り屑を吹き飛ばしたときの不注意でした。ほんの一粒が板の表面にくっついてしまったのです。摺る直前に、板の上の絵の具の付き具合を調べる時、見逃してしまったのです。とにかく、その塵を取り除いてから次の紙に移りますが、もう付いてしまった傷は直しようがありませんから、この版画は捨てるしかありません。でも今捨てるのはよしましょう、全部済んでから。もしもこういった不良品を抜き取ったり、束の中の定められた位置を替たりすると、きちんと保たれている順番やその連続性が失われて、見当がばらばらになってしまうのです。取捨選択は、摺りすべてが済んでからでなくてはなりません。間もなく、再び摺りの作業に戻って、中断のことは忘れてしまいます。聞いているラジオ番組はこの色がまだまだなのに終わってしまいました。で、ロンドンの BBC 放送に切り替えます。ロンドンでは朝の5時になったばかりですが、世界中の人が聞いているので 24 時間放送です。短い全般的なニュース番組ですが、アナウンサーの品格のあるイギリス英語のアクセントと、つい今し方まで聞いていた米国のものとの違いが、なんとも面白く思えます。ニュースが終わると、週に一度のドラマが始まりますが、摺りの作業をしている今は気が向きません。ドラマは気を取られてしまうので、聞いていると仕事に集中できなくなるからです。音楽番組に変更。
前方にある紙の山は順調に小さくなっていき、間もなく底がつきます。同じ束を何回も摺っていると、見分けのつく版画がでてくるので、もうすぐその回も終わりだな、とわかるってくるのです。たとえば、終わりから3番目の紙のある位置にできた、ちょっとした皺があると、その紙を取り出して版木に載せる時に、もうすぐ終わりだなとわかる訳です。130 枚もの、まるで同じに摺られている紙の違いをみんな覚えているなどという訳ではありませんが、ちょっとした癖がついた紙は結構あるので、摺師にはすぐそれとわかるのです。そうすると一回分のどのあたりにいるのかが感じ取れるのです。
烏帽子が終わって、またちょっと決定を迫られます。最後の色版は、袴の紐の部分で、面積は1 平方センチメートルもありません。ここは、着物を摺るときに同じ色を付けてあります。そこに同じ色を「2度摺り」することによって、質感と深みを出そうと考えたのです。それにしても小さすぎるし、やったところで、込み入った着物の模様に埋もれてしまうし、それに、だれも気付かないだろうなあ。まずわからないだろうなあ。この版木は使わないで、完了したことにしちゃおうか。だれにもわからないんだから.....。
こうは思いながらも、紙の束を上下ひっくり返して、前方に置き直すと、最初の紙で試し摺りをしてみます。ほんのちょっぴり濃いめになった、ちらりと見える紐は、なかなかいいじゃないか。考えてみれば、だれも気付かなくたって、僕だけにはわかるんだから。こうして、最後の版を摺らずに済ませるなどということはよして、小一時間かそこら、また安定したリズムの作業に戻ります。この色版は簡単。うんと小さい面積なので、ほんのちょっと刷毛を動かせば十分なだけの絵の具が付いてしまうし、バレンで素早く「シュッ、シュッ」と擦ればもう色が付いてしまう。摺る毎に慎重な点検をしても、一枚につき数秒のペースで版木の上を通過していきます。
そして、およそ45分後、再び「あいつ」、見覚えのある小皺のついた紙がくると、もうすぐ終わりになるとわかります。最後の摺りが数分後に済むと、和紙の山の一番上に置いてしばらく眺めます。悪くないなあ。今月の版画は取り立ててどうということはないけれど、落ち着いて好ましいデザインです。配色は溶け合って、まずまず満足のいく出来です。
胡座に組んだ足の感覚から、明らかにもう休憩をとる頃です。また紙を束ねて冷蔵庫に戻します。そして、絵の具を入れていた器と刷毛を片付けて、流しで洗います。版木も、流れる水で、彫られた部分に付いている余分の絵の具を擦り落とします。それから仕事場の壁に立てかけ、数日の間ゆっくりと乾かした後、ていねいに包んで納戸にしまいます。毎回版木をしまうときに、もっと摺る必要ができて再び日の目を見るのはいつのことだろうか、などと考えます。この山桜の板はかなり固くて、130 枚位はウオーミングアップみたいなものですから、もっともっと摺ってもきれいな版画ができるのです。現代の版画家の中には、摺る枚数を決めて、その枚数だけ摺ってしまうと版木を壊してしまう人もいますが、私は絶対にそんなことはしません。そもそも版画の目的は、できるだけ多くの人に行き渡るようにということですから、個人的には、この版木がもう一度使われることを望んでいるのです。来年一月の最終展示会で、このシリーズを求める人の数が多ければ、もうひと摺りすることも考えています。でも、この次は自分で摺らないでしょう。次のプロジェクトに移りたいのです。同じ版木をもう一度最初から摺る気はしません。もしも次の版を作るとしたら、きっと別の人になるでしょう。下町に住んでいて、今も摺師として専門にやっている人なら、この仕事を快く引き受けてくれるはずです。
考えて見れば面白いことです。もし私が手元にある版木を他の人に委ねるとすると、自分よりももっと経験を積んだ職人が決める色合いになるので、一味違った作品になるでしょうから。でも、そんなことを考えるのは来年のこと。今はとにかく今月の版画ができたところです。明日になれば、絵の具がもう少し和紙に馴染んでいます。私の名前を「空摺り」にして、ていねいに乾燥させ、それから不良品を取り除き、待っている収集家の方達に発送する分にサインをします。その後、市川さんに電話をして取りに来てもらえば、作品は手元を飛び立っていきます。その旅の果て、やがてどこにたどり着くのでしょうか。今発送される場所は当然わかっています。このプロジェクトを支えて下さっている収集家の方達のところです。でも、それから年月が経ち、家族構成が変ったり、引っ越しがあったりもするでしょう。どうなるのか先のことは予測できません。次の世代に譲られて受け継がれていくのか、あるいは売られてしまうのか、はたまた火災や地震で駄目になってしまうのか。何百年も経って、今は想像すらできない未来のいつかどこかで、だれかが帙(ちつ)の止めをそっと引き抜き、今できあがったこの版画の包みを引き出します。その中から版画を取り出して、下の方に目をやると、『摺 彫 David Bull 』と文字が窪んで見える。でもその人にはそれが何を意味するのか、ましてや私のことなど皆目わからない。でも、これを読んでいるあなたと私は、知っているんですよね......。
『きょ〜は、摺りの日〜で、し、た。』