デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

前回からの続く...

私のしていたふたつの仕事はどちらも高給ではありませんでしたが、2箇所から収入を得ていることで、私の銀行預金は着実に増えていきました。そこで、特にお金を貯めて何をするというわけでもないのなら、いっそ全部使ってしまおう、と考えて、使うべき所を探し始めました。当時、土地が値上がりを続けており、新しい家やアパートがあちこちに建てられていました。それらのいくつかを見てまわった後、私は小さなマンションを一戸買うことにしました。

いささか驚いたことに、銀行は私の抵当申請を承認してくれました。私は売買契約書にサインして、頭金を数千ドル払い、残りはローンを組みました。私はそこに自分では住まずに、地元の新聞に借家人募集の広告を出して、応募者の中からひとりを選びました。それは中年の女性で、彼女の年老いた母親とそこに住みたいというのでした。完璧な借家人でした...もの静かで、きちんとしていて...

私は24歳になっており、物事は非常にうまくいっていたと思います。若く、発展をとげている会社で安定した仕事をしていて、そこでは様々なおもしろい企画に関わる機会に恵まれていました。ミュージシャンとしての仕事も板についてきましたし、財産を投資した物件は私の経済状況を着実に良いものとしてくれていました。それなのに私は、今、日本にいます。ということは当然、その理想的な状況をこわす何事かが起こったのに違いないのです。そして、事実、起こりました。ほんの2、3ヶ月の間に、3つのことがすべてだめになってしまったのです。

まず最初はホテルの仕事でした。ある夜、仕事に行くと、トリオのリーダーから、バンドリーダーが、私よりはるかにサックスのうまい新しいミュージシャンを私の代わりとして手配した、と告げられました。これが初めて仕事に行った日に起こった出来事だったなら驚きはしなかったでしょう。しかし何ヶ月も過ぎた後だったので、私は自分のポジションは絶対的なものだと感じ始めていました。しかし、音楽の仕事に絶対はないのです、そういうことだったのです。数分後、私はホテルを出、楽器を手に自分の車までもどり、家へ向かいました。この後しばらくして、次の問題が起こりました。ある夜遅く、私のマンションの近くの警察署から電話がかかってきました。「すぐ来て下さい。お宅の借家人たちが通路に裸で寝ています。完全に酔っ払っています!」私の「完璧な」借家人はふたりとも重症のアルコール中毒だったのです。マンションの部屋はひどい有り様になっていました。更に悪いことに、彼女たちは家賃をまったく払わなくなってしまったのです。それなのに、強力な賃借人保護法のために、私は彼女たちを立ち退かせることもできませんでした。ローンの支払いが日に日に遅れ始め、銀行からの電話がかかってくるようになりました...

私の楽器店での仕事はまだ安定したものだったのですが...というか、ともかく安定したものであったはずでした。しかし私は、またもや落着かなくなってきていたのです。仕事は主に学校で使うものを扱っていたので、あらゆる活動は学校の行事にあわせて季節的な循環を繰り返していました。9月には新しいバンドが結成され、12月にはクリスマスコンサート、などなど。私はこの仕事に携わって3年になっており、この繰り返しにいらいらしはじめていました。「また9月がやってくる、そして私は『同じ』バンド教本の在庫注文をし、『同じ』電話に応え、楽器を配達するために『同じ』所へ出かけていく...」こんな状況の中で私は、ホテルの仕事は終わってしまったものの、音楽の仕事のあっせんをする業者から、どこそこでちょっとした昼間の演奏の仕事をしないか、という電話をまだもらっていました。楽器店の社長は私たち従業員がそういう仕事をするために休暇を取るのをいつも認めてくれていましたが、頼むのは気持ちのいいものではありませんでした...

そういうわけで、ある日私は、「ここを去る時だ」と決意しました。どうやって暮らしをたてていくつもりだったのでしょう?わかりませんでした、しかしとにかくわかっていたことは、私はもう楽器店の店員ではいたくない、そしてそこにいるのが長くなればなるほど、仕事を断ち切って何か別のことを始めるのはむずかしくなるだろう、ということでした。社長は私が落着かなくなってきていることに気づいていたのだと思います。私がやめることを伝えてもそれほど驚かなかったようでした。彼は私の幸運を祈ってくれ、私は店を後にしました。

私の銀行口座は空っぽになり、銀行は私のマンションを抵当流れ処分にするための手続きを取り始めました。私はどこへ行けばいいのか、どうすればいいのか、わかりませんでした。しかし、きっと何かが起こるだろうとは思っていました...そして実際、起こったのです。再び指揮棒を握るチャンスがやってきたのです...

次回へ続く...

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