今から十年程前、この「百人一緒」の初回の号を出した時に、「みなさんが集められる版画の製作に関わっている人たちを、20人ほど御紹介する予定です。」と書きました。そして初回の「職人を訪ねて」のコーナーでは、私の使う版木を作って下さっている島野慎太郎さんの仕事のことを書きました。それ以来、私自身もそれをとても楽しみとして、たくさんの方をお訪ねしては読者のみなさんに御紹介してきました。
始めは、この十年間のプロジェクトがまだ終わらないうち、早々と訪ねる人が尽きてしまうのではないかと思っていたのです。でも、あと2ヶ月で最終を迎えようとしている今、ネタ切れになるどころか紹介したい人がまだまだたくさんいるのです。腕効きの職人さんがたくさんこの版画プロジェクトに関わっているので、10年が過ぎてもここで紹介し切れ無いのです。よしんばこのシリーズをもう10年追加したとしても、おそらく足りないでしょう。
ま、そんな心配は先送りにしましょう。そして、今回もまた一人、その方の献身的な働きが無かったら私の版画は存在し得なかった、そんな方を御紹介することに致します。この話はどちらかというと地味なものですが、掛け替えの無い人の話なのです。
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過去にさかのぼることほぼ70年、福井県の山間にある大滝の岩野家が長男に嫁を迎える婚礼の日のことです。若者は、伝統ある和紙、越前奉書を引き継ぐ8代目となる人でした。紙の品質で、高い評価を得ていた由緒ある岩野家ですから、花嫁はその一員となることを誇らしく思っていたのでしょうか。それとも、そんなことにはあまり頓着せず、将来の伴侶となる花婿のことばかりを思っていたのでしょうか。
花嫁は、伝統工芸を受け継ぐ一家の嫁となるということの意味を、重々承知していたことでしょう。それは、主婦としての家事一切を任されるのみならず、家業の和紙作りの手伝いもしなくてはならなかったのです。休む間のない日々が待ち受けていました。
実際、働き詰めの生活となりました。戦時中は、当然のこととして家業もかなり途切れましたが、終戦後ひとたび事が安定し始めると、溢れるような仕事の量となったのです。占領軍の時代とその後しばらく、次々と日本にやってくる外国人が、木版画を土産物としてとても喜んだからです。こうして版画への需要が高まると言うことは、当然上質の和紙への需要も高まるということで、岩野家ではそれに応じるために大忙しとなりました。
一家の男達は紙漉きの仕事や、蒸した楮を繊維としてほぐすために叩くなど、力仕事をしましたが、女達に残された仕事もたくさんありました。そんな仕事のなかに、ほぐれた楮の繊維の中からとても細かな不純物を取り除く作業があったのです。
楮を作る人たちは、和紙職人に発送する前にほとんどの表皮を取り除きますが、それでもまだまだたくさん残っているのです。そして、上質の和紙を作るにはどんなに小さな塵も取り除くという作業が欠かせないのです。作業場には涌き水が流れる細長い水槽があって、そこに、蒸して繊維をほぐした楮を入れます。塵を取り除く作業をする人は、その水槽の縁に座って、水の中にただよう楮を一本つかむと、水中でそれを手繰りながら、細くよれた繊維の束の間を注意深く調べ、小さな小さな塵をみつけては取り除いて行きます。
塵取りの作業が済んだ分は水から上げて、脇に置いた板の上にのせます。すべての塵を完全に取り去るというこの作業は、大変重要なため、それを確実にするためには一度では不十分なのです。したがって、全ての束に同じ作業が、少なくとも、もう一度、同じ人かあるいは別の人によって繰り替えされることになります。水槽はたいてい細長く、数人が並んで座れるようになっていて、必要な時には家族中の誰でもがこの仕事を手伝います。
水はとても冷たく、たちまち指は凍えて感覚がなくなります。一般の版画用和紙を500枚作るのに、およそ25キログラムの、生の楮が必要です。25キログラム.......凍てつく水の中で一本ずつ塵を取り除く。それをもう一度くり返して........
花嫁が直面したのは、この大変な仕事でした。そしてそれ以来ずうっと、皆さんがこうしてこの話を読んでいる今日に至るまで、来る日も来る日もこの仕事を続けてきたのです。
嫁いだ娘は、間もなく母となりました。赤ちゃんは、今日の岩野市兵衛氏で、もう何年間か、私の版画の和紙を作ってくださっています。この親子はどのくらい一緒に仕事をしてきたのでしょう。まだ小さい男の子が庭をかけまわったり、母親の仕事場にやってくるのが想像されます。仕事場では母親が、正座をしたまま冷たい水のなかに手を入れて作業をしている。子供は「僕にも手伝えるよ。やらせて!」おそらく母親は楮をひとつかみ彼に渡したでしょうが、子供は少しの間それを玩ぶとすぐに飽きて、また遊びに飛び出して行く。
「遊びに飛び出して行く」こんなことは母親には許されません。版画ができるのを待つ人がいて、その版画を作るため、紙を待つ人がいます。その紙を漉くために、楮を待つ人がいるのです。みんなが、この、塵を取り除く作業の終わるのを待っているのです。彼女が根をつめて一本ずつ仕上げて行くのを。
彼女の仕事振りを「献身」などという言葉を用いて説明したら、本人はきっと当惑することでしょう。彼女としては、和紙作りの一家の一員として、仕事をこなしているだけなのですから。夫はやがて、その腕を認められて人間国宝という名誉を賜わりました。そして、その夫が先立った後は息子が家長となり、九代目を継ぎました。そして今、彼女は、孫息子と並んでその作業をすることがあり、家業は、つぎの世代へと引き継がれて行きます。
岩野氏を訪問した日、私は鞄の中にカメラを入れていて、この話に載せるための写真を何枚か取らせて頂く予定でした。でも、彼女がこうして働くのを脇で見つめながら、どうしてもそれを言い出す事ができなかったのです。何十年間とこの仕事を続けている間に、きっとたくさんの人たちがやってきた事でしょう。この仕事場にやってきて、彼女の作業を見ようと冷たい水の中をのぞきこんで、決まりきったように「大変ですねえ」と言う。それから写真を撮ると、日の当たる屋外へと去って行く。岩野氏の母は、一緒に外に出て行くことは無い。彼女は水槽の前に座って、一本一本の楮の繊維の束に目を凝らし、貼り付いた小さな小さな塵を見つけては取り除く。彼女の手は、束を手繰り寄せながら絶えまなく水中で作業を続ける。分を刻む時が時間となり、時間が日数となり、そしてやがて年月となりました。
もしもこのページに彼女の写真を載せたとしたら、これを読んでいる皆さんはきっと、ほんの一瞬だけ彼女の働く姿を見て、ページをめくってしまうでしょう。今まであの仕事場を訪れたほかの人たちと同じように。皆さんには、そうして欲しくないのです。どうか、この話をひとまず置き、私の版画を取り出してみてください。それから、一枚を机の上に置き、天井の明かりを消してみてください。紙の表面の柔らかくふわりとした感触がお分かりになりますか。なんとも美しい和紙。そうしたら、そっと目を閉じて、この婦人の事を思ってください。水槽の縁に座り、凍てつく水の中に手を浸す作業を70年。そのお陰で、今、皆さんの手にしている美しい和紙があるのです。私には、この話のために、働く姿を写真にして拝借するなんてことはできなかったし、またそんな必要もないのです。なぜなら、彼女は今、皆さんと一緒に、一枚一枚の紙の中にいるからです。
何年間かこのニュースレターを読んでこられてお分かりのように、それぞれの版画の背景には連綿と連なる人の輪があります。仕上がった版画にサインをして、収集家の方たちにお渡しする私自身は、その長い連鎖の最後の輪に過ぎないのです。他のどの輪も私と同じく大切です。よしんばその輪のたったひとつでも欠けたなら、全工程が崩れてしまうからです。
今ここに彼女の写真をお見せすることはできません。私は、名前すら知らないのです。でもどうか、お手許にある美しい版画が出来上がるのに、生涯をかけて働いてこられたこの方への感謝の気持ちを、私と共に表して頂きたいのです。『岩野氏のお母様、私達一同、心から感謝して居ります。』
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