デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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東洋文庫の小山さん

二年ほど前、このニューズレターで東洋文庫とその司書の小山さんについて書いたことがあります。小山さんは、当時私が復刻しようとしていた勝川春章の原本を閲覧することを許可して下さった方でした。お陰様で必要な原本のスライドすべてが手に入りましたし、その後、自分でも原本のひとつを手に入れていたので、最近は頻繁に東洋文庫に足を運ぶ必要がなくなっていたのです。でも来年からのプロジェクトのことで、小山さんとお会いして将来の作品についての可能性などを相談しようと、先日久しぶりに出かけてみました。

 

ところが、彼と話をすることはできなかったのです。読書室の受付に行くと、そこにいた若い職員からこんな説明を受けました。小山さんは昨年の夏とても具合が悪くなって入院し、間もなく末期癌で亡くなられたと。

私は、この出来事をどう受け止めていいのか戸惑ってしまいました。小山さんは友人というほど近しい存在ではなく、資料を求めて東洋文庫に行った折に何度かお会いしただけで、話した内容も極限られたものでした。ですから彼の個人的なことについては何も知りません。それなのに、小山さんの訃報に一瞬当惑してしまったのです。この東洋文庫はなにも変わっていない。使い古された机や椅子も、埃っぽいカード入れも、書架に延々と並べられた本の列も。そして、あの机の向こうに座っていた小山さんの姿も、変わらずにあるはずだったのに。

埃っぽい窓から見える東京の町は来る度に変わっていて、古くなったビルは消えて新しく建て直されています。でもここは、そういった周囲すべてから守られているのです。私たちの生活の中で、いつまでも変わらずにあるものなどほんの少しだけれど、この部屋はそんな数少ない場所の一つだと思い込んでいたのでしょう。そこにもってきて、受付の若い職員から「小山は亡くなりました」とあまりに事務的に伝えられたので、変わらないものなどなくここも移り行く場所なのだと、いきなり思い知らされることになったのです。

私は心理学のことは良く知らないし、また小山さんのことを聞いて、どうしてあれほど頭が混乱したのかを分析する気もありません。今日は小山さんの身、明日は我が身かもしれない。文字通り「明日」というわけではもちろんないにしても。自分は今、とても健康で元気だと思っているけれど、小山さんだってきっとそう思っていたに違いない。彼は、東洋の建築にとても興味を持っていたので、病気のためにその研究を続けられないことを知ったときは、さぞかし残念に思われたことでしょう。もしも私がそんな病気になったら、『イヤだ、イヤだ、まだ厭だ。やることがいっぱいあるんだ。版画を作りたいんだ』と叫びたくなると思う。

いつか私にも「くたびれ果てる日」が来るでしょう。そうしたら道具を置いて、本も片付けて、何やかやと質問をするのも止めましょう。避けられないのですから。他の人達の人生がそのまま続いても、自分のはおしまいになるということを。それでも、そんな日はずうっと、ずうっと先であって欲しい。復刻を待つ美しい版画が山とあるんですから。

今はもう、小山さんに仕事のことでお世話になったお礼を再び述べることはできなくなってしまいました。でも、亡くなられても、私たちに知識の蓄えを残してくださった。司書の仕事を始められた時点で、ご存じだったのです。御自分が居なくなっても、あの延々と並ぶ蔵書の数々に収められた情報は、変わることなく保存されることを。この私も、そのことは、わかってる. .つもり. . で. . .す. .

ぼくの作品、良く面倒をみてやって下さいよ . .ね . .

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