デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

前回からの続く...

フルートの演奏に夢中になっていた何年もの間、私は父から何か音楽的な影響を受けようとはまるで考えていませんでした。私は父のやるような音楽を 完全に見下していました。しかし、楽器店での仕事を通じて多くのポピュラー音楽に接するようになると、次第にそういう音楽に馴染んできて、偏見を持たなくなりました。オーケストラの仕事を得るのに失敗してしまった私は、クラシック音楽にこだわ らなくなっていたのだと思います。ですから、ある日友達が「町のホテルで演奏する仕事があるよ」と電話してきてくれた時、行ってみる気になったのでした。

町で一番高級なホテルのとても豪華なレストランでは、7人のミュージシャンが音 楽を担当していました。まず、フルートを含む3人のグループが、ディナータイムに軽音楽を、その後4人が加わって小さなオーケストラとなり、ダンス音楽を演奏しま す。こう いう流れが毎晩繰り返されます。とてもおもしろそうな仕事でしたが、ひとつ大きな問題がありました。フルート奏者はダンス音楽の演奏時にはサックスに持ち換えなけ ればならなかったのです。

採用を担当している人のところに電話をかけると、彼は「楽器を持って、家に試験を受けに来るように」と言いました。私はサックスのこと、つまりそれを持っていないということを言おうとしたのですが、彼は「それも持ってきて何か曲を吹いてくれ!」と言って、私に最後まで言わせてくれませんでした。 私たちは翌日会うことになりました... その時私は、何年もプロのサックス奏者と一緒に暮らしていたのに、自分がそれに何の興味も持たなかったことを、本当に後悔し始めました...でも、それほどくよくよはしませんでした。心の中ではまだ、クラシックの音楽家のほうが優れているのだ、と思っていたのです。私は楽器店でサックスを買って家に持って帰り、どうやって吹けばいいのかやってみました。

翌日、非公式のオーディションを受けに行くと、くだんの担当者は待ちわびていて、私を見るなり、「よし、フルートから始めよう!」と言いました。彼はポピュラー音楽のサックス奏者を何人も知っていました。彼らの多くはフルートも吹きましたが、その演奏はひどいものだったので、彼はまずフルートの演奏を聴いて私の実力を試そうとしたのでした。しかし私がフルートを吹き始めると、彼の目は輝きました。私の演奏は良かったのです!いくつかの曲を一緒に演奏した後、彼は言いました。「これはすごい!仕事は君に決まりだ!」そして彼は、仕事を始める日を数日後と決めました。私がサックスのことを言いかけると、「大丈夫だよ」と手をふってさえぎってしまいました。彼は明らかに、フルートをあんなにうまく吹ける者ならサックスの演奏に問題はないだろうと決め込んでいたのです。そういうわけで、数日後、私は真新しい黒のスーツを着て、ホテルのミュージシャン控え室で仲間に紹介されました。私を含む3人がまず最初の演奏を始め、私の「プロのミュージシャン」としての仕事が現実のものとなったのです。私は、演奏する曲を全部は知りませんでしたが、トリオのリーダーが始めると私が後に続き、そして合奏になりました。それは大変楽しかったのですが、1時間ほどして、別のミュージシャン達がステージにあがってくると、この後はそう簡単にはいきませんでした...

みんなが持ち場につき、私はサックスを取り上げてストラップを首にかけました−フルートと比べるとなんと重いこと!リーダーが最初の曲名を告げました。それは大変なヒット曲でしたが、演奏が始まると私は、ページの半ばくらいに、コードネーム(和音)の他には何も書かれていない大きな空白部分があることに気づきました。テナーサックスの長いアドリブソロなのです!ソロの部分が近づいてくると、リーダーは私に手を振って立ち上がるように合図をしました。私は生まれて初めて即興のソロをやり始めていました...

今でもこの時のことを思い出すと、恐怖で目をぎゅっと閉じたくなります。でもその時は私は目を開けていたはずです。というのは、私は決して...決して、あの時のオーケストラリーダーの顔を忘れることができないからです−私の出すものすごい騒音がマイクから漏れ出てきて部屋中に響き渡った時の−。それはガチョウの群れの瀕死の叫び声のようだったのに違いありません...しかしありがたいことにすぐ、リーダーは狂ったように手を上下させて私にやめるように合図を送り、ギタープレイヤーを指差しました。彼はさっと飛び出てきて素晴らしいソロを奏で、空白部分を埋めてくれました。

その夜の演奏がすべて終わった時、私はただちに首になるものと思っていました。 しかし驚いたことに、そうはならなかったのです。彼らは私のフルートの演奏を大変気に入って、ダンス曲のアレンジを変えてオーケストラの別のメンバーがソロをするようにしてくれました。そのメンバーはもちろん、自分の演奏のチャンスが増えることを喜んで受け入れてくれました。私はそれからも毎夜サックスを吹ましたが、どの曲もテーマのところを吹いただけでした...もうソロを吹くことはありませんでし た...   こうして、生涯で最も素晴らしい経験のひとつが始まったのです。私は相変わらず、日中は仕事で大変忙しくしていましたが、それが終わると毎日、ホテルへと車を走らせて、4時間の音楽活動の時間を楽しみま した。私の音楽的技術は日に日に磨かれていきました。私はもちろん、初日のひどい出来事のことは、すぐにみんな忘れてしまいました。ついに私は「本物の」ミュージシャンになったのです!

次回へ続く...

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