デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

前回からの続く...

このところ、このシリーズではフルートの話ばかりだな、と思っておられますか?もしそうだとしたら、ご安心ください。このエピソードは終わりに近づいています...

オーケストラのフルート奏者になるためのこのオーデションは、私にはとても大事なチャンスでした。うまく行けば、将来は保証されるのです。というわけで、私は特別に練習してオーデションに備えようとしたでしょうか?いいえ、私は今までと同じように、日中は仕事を続け、夜はのんびりしていました。自分がうまく吹けることは「わかって」いましたし...オーケストラがよく演奏する曲目をどんなふうに吹いたらいいのかも「わかって」いましたし...そのオーケストラのメンバーもたくさん「知って」いましたし(夏のキャンプで友達になったのです)... 私が仕事をもらえることは「わかって」いたのです。

そこでどうなったかは、もちろんおわかりですね。私は完全に失敗しました。練習していなかったので、調子はよくありませんでした。私が与えられた曲は今まで見たことのないもので、私は、初心者のやるようなミスをしてしまいました。指揮者がテンポの指示をしていたのを見逃してしまったのです。おそらく、オーケストラにいた友達は、私とつきあいがあることを恥ずかしく思ってしまったことでしょう...そして、日本から来た若者が大変素晴しい演奏をし、他の者はみんな打ちのめされてしまいました。彼はしっかりと準備してきていました。彼は練習してきていました。彼はこのチャンスに備えて、何年も練習を重ねてきたのです。彼が仕事をもらいました。

私は何か自分への言い訳を考えたのでしょう、この失敗でひどく荒れたという記憶はありません。でも、今、当時のことを振り返ってみると、これで私のフルート奏者としての活動が終わり始めたのだな、と思います。

オーデションの失敗がそれほどつらくなかった理由のひとつは、楽器店の仕事が大変忙しくて、他のことを考える時間がなかったからです。そしてもちろん、私の性格上、与えられた仕事だけで満足しているなんていうことはありませんでした。職場の仲間のひとりと私は、いつもいろいろなおもしろい音楽を聞いているうちに、自分たちで出版事業を始めることにしました。何人かの作曲家に頼んで、ジャズバンド用の曲を書いてもらい、その楽譜を出版したのです。「カナダ・ジャズ・プレス」の誕生です!私たちは、最初の2冊を、北アメリカ中の楽器店に送り、成り行きを見ていました。このまま続けていればどうなっていたのかはわかりませんが、結局、その友達は別の仕事のために楽器店をやめ、私たちの小さな事業は消えていったのでした。

そして、私は音楽の世界で成功しなかったけれど、それがどうして決定的な痛手とならなかったのかというのには、もうひとつ理由があります。「音楽のパートナー」とも、だんだんと離れていったからです。私たちふたりは、結局のところ、最高の組み合わせではなかったのです。彼女はとても外向的で明るく、活気のある輪の中へ入っていくことが好きでした。彼女はオペラ歌手になりたいと思っていましたし、自分が華やかな世界-コンサートやパーテーのようなわくわくする世界-の一部となる日が待ちきれませんでした。彼女は私を社交ダンスのレッスンに連れて行きました。でも、私は彼女の足を踏んだだけでした。彼女は私を歌の先生の所へ連れて行きました。でも、私にできたのは、おかしなしわがれ声を出すことだけでした。つまり、私は彼女の理想のタイプではなかったのです。私たちが初めて出会った頃、彼女は、私が指揮をする姿に実物以上の私を見ていたのですが、実のところ、私はただの楽器店の店員でした。そして、彼女が地方のオペレッタで主役を務める日がやってきた時、相手役の男性は、ハンサムで、渋いバリトンの声の持ち主だったのでした...

もし違う慣習を持つ社会に住んでいたならどうなっていただろうか、と時々考えることがあります。まず結婚をしなければならず、その後で、パートナーが自分の思っていたような人ではない、と気づいた場合。私たちはなんとかうまくやっていく方法を見つけていたでしょうか。それとも不幸せな夫婦になっていたでしょうか?答えは知りようがありませんが、私たちの両親が私たちにこういう経験をすることを認めてくれ、社会もそれを許してくれたことには感謝しています。彼女が行ってしまった時、私は大変落ち込みました。彼女と一緒の時、私は本当に幸せだったからです。でも、あの頃の経験が私をずいぶんと変えたのだ、と気づくようになりました。もし彼女に会わなかったなら、私は内気で未熟な少年のままだったことでしょう。彼女は私にとって、大変意味のある人でした。

そしてもちろん、時々考えることがあります。彼女の人生はどうなったのだろう、と..

次回に続く...

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