デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



Categories:

私の道具

つい先日のこと、何気なく今までの「百人一緒」に目を通していてある写真を見たとき、思わず唸ってしまいました。バレン職人、五所さんの話の中にあったもので、よりによって私のバレンを握っている、その手を大写しにしたものだったのです。1991年ですから、恐らく撮ったのは6年以上は前になるはずで、今にして思えば、当時五所さんがこれを見たときはさぞかし渋い顔をされたことでしょう。バレンそれ自体はとても良い出来なのですが、竹の皮の包み方がへたなんです(もちろん包んだのは私)。五所さんは、これを見た人達が、「この程度の腕前か」と思うんじゃないかと、さぞ心配なさったことでしょう。

職人の技量をはかるのには、2通りあります。手っ取り早いのは、当然のことながら出来上がった物を見る方法です。直接見れば、どの程度の腕前かはすぐわかります。ふたつめの方法は、的をちょっとずらして見るやり方ですが、かなり信憑性があります。つまり、使っている道具を見るだけで、どんな職人か、また仕上がりがどんなものか、推し量れるのです。経験を積んだ職人がこの写真を見れば、わたしの版画がどんなかすぐにわかってしまうのです。芯を包む竹の皮は強く張ってないから、摺り上がった色味は浅いだろうとか、芯の周りのひだは均一でないし、また幅広だから、バレンの使い方だってそんなものだろうと。つまり力が一定せず不均衡な動きになっているだろうと。こういった的を射た結論に達するのに実際の版画を見る必要はなく、写真を見れば一目瞭然という訳です。

年季の入った職人さんを訪ねると道具に神経質な人が結構いるのは、きっとこういった理由からなのでしょう。彼等は、他の職人さんに道具をいじり回されたりするのは当然のこと、真近で見られるのも良く思わないのです。日本に来て間もない頃は、こういった職人さん達の気持ちがわからず、そんな失敗をいくつかしました。なにげなく彫刻刀を手に取って調べたり、刃先の鋭さについてうんぬん言ったりしたのです。私としては極く自然に、率直に振る舞ったつもりだったんですが、今振り返ってみるとみなさん腹立たしさを抑えていたんですねえ。刃先が鋭いなんて言うまでもないことであって、そんなことを言うこと自体失礼なことだったのです。

では、わたし自身どうかと言えば、年を経るに従いこだわるようにはなってきています。といっても、年季の入った職人さん達程ではなく、もっと単純で、私の道具を見たければ見てかまいません。まだまだ上達の余地があると思っていますから、何といわれようとあまり気にしません。とは言うものの、自分の道具へのこだわりは、やはりあります。自分と同じ、あるいはもっと若い職人が私の彫刻刀をつまんで刃先を調べ始めたら、やはり気になるでしょう。

仕事場にやって来る人達の道具に対する態度は、職人以外の人達の場合、とても丁寧な人から無造作な人まで実に様々です。それで、版画を見に来た人が、彫刻刀やのみを触ろうとした時には、「刃がとても鋭いから、怪我をしないように...」とだけ注意します。自分にも好奇心のあまり、同じ様な事をした経験があるので。でも、写真家やテレビのカメラマンが良い写真を撮りたい事ばかり考えて、作業台の上の道具の配置を変えようとし、鋼の部分をぶつけたりすると、つい「刃がとても鋭いから、壊さないように...」と言ってしまうのです。ま、こんなことはまれで、たいていの人は丁寧に扱ってくれますが。

あんな写真を載せて、五所さんご免なさい。そしてみなさん、この難しい仕事を五所さんほど巧みにやってのける人は、まずいないんですよ。彼の手にかかれば竹の皮もぴしゃりときまって、こうなるんです。


バレン内輪話

バレンの包み皮は、摺っているうちにどんどん擦り切れてくるので、しょっちゅう変えることになります。熟練した摺り師なら、摺り台から離れる事もなくさっと取り替えてしまうのでしょうが、そこまでいかない者にとってはひと仕事なのです。繊細で込み入った作業でして、竹の包み皮がきっちり芯を締め付けていないと、バレンはとても使いにくくなるのです。最初の写真を撮った頃は、ほとほとこの作業にはてこずっていて、写真に撮ったのは中でも出来のいい方だったんです。

摺りを専門にやっている人の場合、包み皮の取り替えはほとんど毎日の作業なので上達するのも早いのですが、私の場合は月に一度のペースで摺りに入るためどうしても間隔が開いてしまい、ちっとも上達しなかったのです。うまくいかないと尚のこと、取り替えは延ばし延ばしにするものですから、包み皮は擦り切れ、どうにも使い物にならないところまでいってしまうのです。そこで渋々取り替えに掛かるわけで、何枚かの皮を駄目にしてやっとどうにか使い物になる程度に包み終えたものです。まさに恐怖の作業でした。

こうして何年か四苦八苦した後、どうにかしないことには現状から抜けられないとつくづく思ったのです。そこでです、包み替えをするときには、ある状況を思い描くことにしました。つまり、部屋の中で熟練した摺り師達が自分の作業をじいっと見つめていると思うわけです。心を落ち着け、冷静にやります。周りで見ている摺り師達がいつもするように、自信をもって、落ち着いて滑らかな手つきでやってみたのです。こんな事を考えたのは二年ほど前の事ですが、とてもいいやり方で、以来少しずつ上達して来ています。今では、皮を取り替える時が来ても憂鬱ではなくなりました。こうして、とても五所さんの様にはいきませんが、確実に上達してきてますから、作業台の上にあるバレンを見られても、もう恥ずかしくありません。

そして 恐らく、恐らくですが、近頃私の作品に色合いの深みが出てきているのは、この事と関係があるのかも知れません。恐らくですがね。

コメントする