デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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横田清子様

五日市街道に沿って車を走らせると、両側に並ぶ太い欅が昔の街道を思わせる。小金井橋を過ぎて間もなくの静かな武蔵野の一角に、横田さんのお宅があった。

こじんまりとしたアトリエに通されると、何ともぬくもりを感じたのは、部屋の中が、心を込めて作られたたくさんの作品で飾られていたためなのだろう。ひと針ひと針、気の遠くなるような作業の結晶である。

そんな作品の中で、花をモチーフにしたフランス刺繍に混じり、毛筆の流れるような草書体の文字がひときわ目についた。実際、私もデイヴィッドも、てっきり墨で書かれているのだと思ったほど、それは精巧に仕上げられた刺繍であった。目を近付けて細部を覗き込んで見ると、なんと書き順まで正確にたどられている。そう、筆の重なりもきちんと計算されて刺されているのだ。お聞きしてみると、日本語の文字をフランス刺繍に仕上げるというのはユニークな試みであるため、横田さんはそれこそ試行錯誤を繰り返しながら制作していらっしゃるとのこと。刺繍糸の束を御存じの方なら、その一本取りというのがどれほど細いものか、おわかりになることと思うが、よりリアルに仕上げるためにはできることならその一本よりも細い糸が欲しいというのであるから、その打ち込みようは並大抵のものではないことがわかると思う。話を聞きながら、デイヴィッドの彫りへのこだわりに、非常に共通したものを感じたのだが、それにしても、この草書体を刺繍するという発想はいつ、どこから出てきたものなのだろうか。

話は遡って、横田さんが女学校時代のことになった。ヘルマン・ヘッセといえば、青春時代に彼の作品に心引かれた人が結構いることと思う。横田さんもそんな一人で、彼女がヘッセの作品のなかでとても気に入った詩があり、いつかその詩を刺繍に仕上げてみたいと、乙女心に描いていたとのこと。女学生時代から、当時でいえばかなりハイカラなフランス刺繍を楽しんでいた横田さんならではの発想だと思う。

念願かなって、習字の先生に下地となる詩を筆で書いて頂き、こつこつ仕上げたわけだが、それで終わらないところが彼女の凄いところなのだと思う。もっときれいに仕上げたいという要求が高まり、文字を刺す面白味を深めてきているとのこと。ここが一つの事をとことん究める人とそうでない人との差なのだとつくづく思い至った。

話しの合間に、扉にまではめ込まれている美しい刺繍に見入っていると、横田さんはやや小ぶりの物入れのその扉をそっと開いて下さった。中には、デイヴィッドの作品がブルーの帙(ちつ)に入ったままきちんと収まっている。仕切られた棚には、デイヴィッドに関係した切り抜きからニュースレターまで、きちんと箱に入って整理されていた。一事が万事とは良く言ったもので、彼女の几帳面さがこんなところにも表われているのだった。

今こうしていても、アトリエで、時には生徒さん達と、そして時には一人で、穏やかに針を運ぶ横田さんの様子が目に浮かんでくる。

横田さん、これからも良い作品を見せていただくことをとても楽しみにしています。くれぐれもお体を大切に。

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