デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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関正信様

私の版画の収集家の中で、一番若い人は何歳位だと思いますか。4才位と言ったら、驚きますか。でも、ほんとうなんです。それも、一人じゃなくてたくさん。

ちょっと前のことになりますが、恒例の新宿での展示会をまだ始めたばかりの頃でした。コートを着てブリーフケースを持った、見るからに敏腕なビジネスマン風の紳士が展示会場にやって来て、作品を見渡した後、版画を注文したんです。申し込み用紙を見ると、送り先が幼稚園になっているではありませんか。そこで伺ったところ、福島市にある、大きくてけっこう昔からある「めばえ幼稚園」の所有者の関正信さんで、園長先生でもある、ということでした。正直言って、その時の私には、百人一首のような難しいものをそんな小さな子供達に見せるといった考えが分かりかねたのですが、関さんは揺るぎない自信をもっていました。

以来ずうっと、関さんは版画の収集を続けてくださっています。念願かなって、数ヵ月前にやっとこの幼稚園を訪ね、私の版画の様子を見ることができましたが、想像していたのとはまるで勝手が違っていました。

自分の娘達が小さかった頃、我家では幼稚園でなく、あえて保育園に通わせていました。というのは、双方の指導方針にはかなり違いがあるように思えたからなのです。日本の幼稚園では、子供達はみんな制服を着て小さな机に向かい、見るからに小学校に入る前の準備教育をしていました。それが保育園では、幾分かは監督されているものの、子供達は勝手放題に遊び廻っていたのです。これは大まかに見てのことであって、園によりけりということを知ってはいましたが、めばえ幼稚園に一歩足を踏み入れたとたん、それがはっきりしたんです。

小さな子供達がおりこうさんに整然と並んで座っている、という管理された幼稚園のイメージに反して、わいわいがやがやの真っただ中に飛び込むことになったのです。明るい色のスモックを着た子供達が、大きな声でおしゃべりをしながら動き廻っています。建物に沿って続く廊下からは教室の中が次々と見渡せて、どのクラスでも、子供達が興奮したように騒がしく、あっちこっち走り廻っていました。

これじゃあ関さんは、幼稚園じゃなくてまるで遊び場を経営しているんじゃないか、などと誤解されないうちに説明しておきますね。この日は何とも特別で、髭の生えた長身の外人がやって来て、大きくて面白そうな箱を開け、絵の具やら何やらを中から出し始めたのですから。

私は廊下の幅広になったところに仕事台をセットして、グループ毎に各教室から流れ出てくる子供達の洪水に囲まれて、午前中ずうっと木版画を作る過程を実演し続けました。こうして作業をしている私の後の壁、いえ、そこだけでなく建物のあちこちに私の版画が飾られていて、額の下には、子供達が読めるように、ひらがなで歌も書かれていました。活気に満ちた午前中の活動がやっと終わり、園長室で一息ついていると、関さんは私の版画を園内に飾っている訳を説明し始めたのです。

今の子供達は、あまりに現代の人気商品に囲まれて育つため、今まで日本人なら当然知っていた伝統文化に馴染む機会がなかなかないということ。もちろん、複雑な和歌を教えようなどというつもりはなく、何となくこういったものを身近に感じられるようにという配慮から置いてみているということ。丁度、今の大人達が子供のときに、家族とカルタや坊主めくりをしながら、自然と百人一首に馴染んで育ったように。

こういった説明を聞いて、この一見何気ないめばえ幼稚園の日常の中には、上手に教育方針が編みこまれているように思えました。子供達は御仕着せの型にはまったプログラムに管理されているのでなく、ここで過ごしながら掛け替えのない経験を身に付けて行くように、との深い配慮がなされているのです。私の仕事を、こんな広い視野のもとで活用してくださっているのを拝見し、とてもうれしく思いました。

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