デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



Categories:

展示会の総括

新宿、高野での展示会も5回を過ぎると、大分と要領が分かってきました。新しい10枚の作品とエッセイはこの場所に、パンフレットはあそこに、80枚の総作品はあの壁面に、といった具合です。今回、80の全作品を壁面に飾ってみると、もうびっしりなので、一体来年はどうしようかなどと思ったんですが、ま、きっと何とかなるでしょう。

作品全部を壁一面に並べてみると、なかなか壮観です。皆さんもそうでしょうが、自分の家では一枚ずつしかみることができませんから、こうして作品の全てを見渡す事ができるチャンスは展示会の時だけなのです。毎年、全作品を一度に見渡してみると、それまでの年月の間にどれほど作品が変ってきたかということに驚きます。初期の頃の作品はまるで別の人が作ったみたいなんです。ほんとうのところ、別の人が作ったんじゃないかと思うんですよ、その人のことはほとんど覚えていませんけどね.....。

今年も、マスコミの人達の反応や取材は昨年とほぼ同じで、次々と取材の人達がきては説明をしたり実演をしたりと、忙しない日々が続きました。新聞を読んでいると、経済情勢が思わしくないことが毎日のように書かれていたので、収集家の方が増える事はあまり期待していなかったのです。ところが驚いたことに、私の'百人一首プロジェクト'に興味を示してくだる方は結構いて、これからもゆとりを持って続けられそうです。今年新たに収集家になられた人達の特徴と言えば、その人達のほとんどが、まるで知らなかった人達と言うのではなく、次のような方達だったのです。1) 現在の収集家の方に勧められた。2) '百人一緒'の読者だった。3) 元収集家で、1セットを集めた後暫く中断していた(版画の出来が良くなるのを待っていらしたのでは....)。理由はともあれ、みなさん、ようこそこのプロジェクトに!一緒に楽しんでください。

ところで、今年、大阪での展示会をしなかったことについて、かなりの人から理由を聞かれました。その一つには、雰囲気が良くて作品の展示に程よい広さのところが見当たらなかったということがあります。でも本当のところを正直に言うと、別に訳がありまして、それは大阪での2度の展示会を通して、何となく居心地の悪い思いをしたという事なのです。日本に来てから、関西人と関東人の違いについては何度となく聞いていました。でも、そんな違いは自分には関係のないことだと思って肩をすくめるだけだったのです。「百人一緒」の#25号をお読みになった方にはおわかりになると思うのですが。

さて、東京と大阪では、展示会に来る人達の振る舞いにずいぶんと違いがあります。自分が東京で『育った』せいか、どうも関西流に慣れるのは難しいのです。一番困るのは、ひと通り展示場見た後、東京のお客さんは、まずお礼を言って(口に出して言わないまでもせめて出口でお辞儀をして)出ていくのですが、大阪のお客さん達はそうでないということです。彼等は、作品を見、エッセイを読みながら会場をひと渡りすると、少しずつ出口の方に寄って行き、私がそちらの方を見ていない隙に目を避けるようにさっと出て行くのです。

このことを友達に話すと、これは単に作品を買わずに帰ることが気まずいからだと言うのです。だとすれば、気付かれずにそおっと出て行くほうが気楽という訳です。でも私としては、自分の作品を楽しんでくれたというちょっとした会釈の様なものが欲しく、何の反応も示されないとがっかりしてしまいます。

これを読んでいらっしゃるのが、関西かの方ならどうか気を悪くしないでくださいよ。私の独り善がりかも知れないのですから。実際、大阪の会場は狭く、私がいつも出口に陣取っている事も影響しているはずなんです。きっと、展示場の隅にある椅子に座って新聞でも読んでいて、お客さんの事なんか気に掛けなければ良いんです。そして誰かが満足した様子で話しかけてきてくれた時に、素直に喜べば良いのでしょう。

事実ここ東京でだって来るひとみんなが気楽に話し掛けて来ると言う訳ではないのですから。今年の展示会でしたが、こんなことがありました。一人の紳士が近づいて来て、なにも言わずに名詞を手渡して会場を出て行ってしまったのです。そして、名詞の裏にはこんな事が書いてありました。

『日本の良さ 外国人に 教えられ』

ご来場ありがとうございました!

コメントする