つい先日のことですが、ちょっと読みたい本があって物置で箱の中をかき回しているうちに、うっかり他の事に気をとられてしまいました。今から十五年ほど前、日本に旅行で来たときに買った一綴の本を見つけたのです。その旅行の時は、版画の役に立ちそうな資料を探してずいぶんと古本屋を見て回りました。箱の中に何年間も詰め込まれていたその本を取り出してページをめくっていると、次第に夢中になってしまい、そのうち何をするはずだったのか忘れてしまったのです。
今回はこの本のことをお話ししたいと思います。と言いますのは、これが私の人生に強い影響を与えた本だからなのです。実際、もしも私がこの本に出会っていなかったら、今頃こうして百人一首の版画シリーズなど手懸けていなかったかも知れないのです。ある分野で活躍している人の中には、教師あるいは教授でも、誰か自分に強い影響を与えた人がいて、その人がきっかけとなって人生の方向が変わったという人もいるでしょう。でも、私の場合、人生を変えてしまうほど強い影響を与えた人は見当たりません。たいていの人がそうであるように、私も多くの人から影響を受け、また助けられてきました。でもほとんどの場合、そういった経験の結果、自分がすでに始めていた特定の活動を、これでいいのだと確認することになったように思えるのです。
この本はまさにそんなたぐいの物と言えるでしょう。神保町の古本屋でこの本に出会った時は、すでに木版画に興味をもっていたのですから。もしあの時木版画に興味をもっていなかったら、この本の価値など分からず、心を揺さぶられることもなかったわけです。それは19世紀の始めに、かの有名な葛飾北斎によって描かれた富嶽百景でした。
本には文章がなく、百枚の画だけでその当時良く見かける生活風景を表わしていたのです。どの画にも、良く知られている富士の姿が、あるときは圧倒的な大きさで、またあるときは遥かかなたに小さく描かれています。この本が江戸時代に出されたころ、いったいどんな人達がこれを買って行ったのか、あるいは、なぜこのような本が望まれたのかはまるで想像できません。でも、この版木はかなりたくさん摺られていますし、今でもこういった物を扱っている古本屋では良く見かける本なので、きっとかなり売れたのでしょう。富士という広く知られた題材で、しかもそれを描いたのが有名な絵師だったので、きっと人々に人気があったのだと思われます。
描かれた画はたしかに美しいものではありますが、私にとってこの本が意味深いのは、こういった内容ではなく、繊細な紙と墨によって生みだされたこの本それ自体なのです。江戸時代には美しい本がたくさん出され、息を飲むような構図や豪華な色使い、そして繊細な摺りによる素晴しいものが数多くありますが、中でもこの本は群を抜いています。日本の木版画の歴史の頂点に立つと言えるほどです。このように卓越した技術で彫られた作品は後にも先にも出ていませんし、これほど豊かに墨の微妙な色合いを使いこなした作品もないのです。(この本は、いわゆる色刷りではなく、墨の濃淡だけで摺られています。摺り師の達人は、墨だけで多彩な色合いを表現できるのです。)この秀作を手にして、頁を一枚そしてまた一枚とをめくると、彫師と刷師そして和紙職人の織り成す世界に息を飲むばかりです。日本の木版画は、本物を目のあたりにしてこそ良さが分かるのであり、人間によって創り出された、たぐいまれな作品を見ているという実感も湧くのです。
葛飾北斎は、版画制作の世界を良く知っていましたから、自分の画を桜の版木に彫れる状態にして版元に渡す時には、彫師を江川留吉に指定したのです。北斎は、一番腕の良い彼にしかこういった質の高い画は彫れないということを知っていたのです。江川さんは、一流中の一流でした。当時から今日に至るまで、版画の世界でやってきた何千もの彫り師の中で、彼と肩を並べられる人はまずいないでしょう。中には優れた彫り師もいますが、彼にはとうてい及ばない。でもだからといって、今日の彫り師達に失礼になどちっともならないのです。だって、江川さん程の人はこれからも出ないでしょうから。着物の流れを示す一筋一筋、木々の葉の一片一片、浪のうねりの一巻一巻、鳥の羽の一枚一枚、どれをとってもそのすべてが目の前の和紙の中で息づいているのです。
北斎のことは誰でも知っていて、彼の作品に描かれたものがまるで生きているように見えることも周知のことです。それなのに江川留吉さんのことを知っている人はどれほどいるのでしょう。彼も北斎同様、まがいなき芸術家なのです。誇張していると思うかもしれませんが、この本を実際に手にとって見ないことには分からないのです。しかもこれは、彫られて新(さら)の版木を使って、一流の摺り師が手がけ手がけるた、それも摺り始めのものなのです。私の言っていることを納得するためには、とにかくその目で見ないことには無理です。擦り減ってきた版木で、並みの職人が摺った作品からは、こんな感動は得られません。
あれは、今から十五年前、神田の原書房と言う本屋でのことでした。頼むと、店の主人はガラスのケースを開け、小ぶりでとても軽い冊子を取り出して私の手に載せたのです。それは第二巻で、初めのほうに摺られた完璧なできの物でした。(三巻は各々年数をおいて作られていて、最初の二巻だけが江川さんの手になるものでした。)当時、版画を始めたばかりの私のような者にでさえ、手にした本のことはすぐに分かりましたから、もうぼおっとしてしまい、ひたすら丁寧に頁をめくりました。少したったらそれを帰さなくてはならない、だけどいったいどうしたらその数分の間に目の前にあるすべてを心に焼き付けることができるだろうか。こんな短い間に江川さんから何か吸収するなんて。
何分かがたって本はきちんと元の場所に収められ、私はその店を離れました。でも、心は離れなかったのです。そう生きている限り、この数分の出会いは私の心から離れることはないでしょう。江川さんは過去の人ですが、この本が存在する限り私達の心の中に生き続けるのです。彼程の腕前には、たとえ私が九十九才まで生きて、そのときまで毎日十時間彫り続けても、なれないでしょう。江川さんはきっと、うんと若い頃に丁稚奉公を始め、とても厳しい親方に使え、その当時誰もがそうだったように休みは祭の日だけという働きかただったと思うのです。給金はほんのわずかで、自分自身が親方になってからもそうたいした収入にはならなかったのでは。私は、摺りの方もすれば、収集家の方達とのおつきあいもします。料理、洗濯、掃除もすれば、エッセイも書き、ニュースレター作りもするしコンピューターも扱います。でも彼はそうじゃなかったのです。たった一つのこと、そのことだけしかしませんでした。その代わり、それまでの誰よりも、そしてその後誰にも再現できないほど巧みな彫りができたのです。
版画を彫っていて時折、あの本を手にした時のことを思い出します。彼が彫った線を思い出し、この道でやって行くのはいっそ止めた方が、などと考えるのです。彼の技術にとうてい及ばないことが分かっているのに、続けたところでいったいどうなるのでしょう。意気消沈して彫刻刀を置き、彫ったばかりの線の見苦しさに嫌気がさして版木から目をそらしてしまいます。それでも、間もなくまた版木に向かうのです。諦めない、あの彫りの線を覚えている限りは。諦めることができないのです。本物を手にしたことのない皆さんに、こうお話しても難しいですね。私のようにじかにを本物をみられ、私の言っていることの意味が本当に分かる人は、地球上に五本の指ほどもいるでしょうか。こんなこと書いてきて、意味があったかなあ....。
この話の題を、『後悔』としましたね。実は、こんないきさつがあったのです。店で私が手にした本は売り物でした。それはバブル経済が始まる前、日本の版画本の値が高騰する前の1981年のことで、十万円の値が付いていました。たった十万円です。店の主人はこのすごい芸術作品をたった十枚の色付きの紙切れで喜んで譲ろうとしていたなんて、今考えると信じられません。どうかしていたのでしょうか。それにもまして信じられないのは、自分がそれを買わなかったと言うことです。お金がなかったわけではないのです。預金もあったし買えたのです。でも買いませんでした。(正直にいえば、珍しい本に使うよりも、日常の食品を買ったり家賃を払ったりするのにとっておかなくてはならなかったのです。)その後状況は変わり、たとえそのような素晴しい版画を手に入れられる機会があったとしても、とても手の届くものではなくなってしまいました。そういった作品は今では、大金持ちか美術館に保存されていて、その計り知れない真価までは十分理解されていないのかもしれません。
そんなことがあって後しばらくして、別の本屋でオフセット印刷の物を見つけました。良質の紙にていねいに印刷されていて、昔のように針と糸で綴じられて、見た目も感触も今日の技術でもって、できる限り原本に近い形に作られていました。当然、即座に買いました。こうしてこの話を書いている今、机の上にあるのはその本です。頁をめくると、本物の感触を思い出します。実体感には欠けますが、北斎の画ははっきりと分かりますし、輪郭を作っている江川さんの彫った線もそこにあります。でも、達人に彫られた版木、手漉き和紙、そして巧みに調節された墨の濃度、こういったすべてが総合して醸し出す感動は、そこにはないのです。大勢の職人の作業の集大成が、摺り師のバレンの元でぱあっと一瞬に全体像を表わす、その感動はこの中にはありません。私が持っているのは薄っぺらな紛い物でしかないのです。
でも、本物の味は忘れやしません。忘れられないです。
訳者からデイビッドヘ;『違いが見える』ということは、『進む道が開けている』ということになりませんか。時折襲ってくるジレンマや自分への苛立ちがなかったら、『停滞』ということになりませんか。いちど触れたきり、二度と会えない恋人への想いを募らせて、これからも良い作品を作ってください。
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