デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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杉森亮先生ご夫妻

日本の地図上で、私の版画を集めてくださっている方々が住んでおられる所に、ピンを刺してみたなら、それは全国均一に広がっている、ということにはならないでしょう。数か所にまばらにちらばっている、という感じになるでしょう。札幌、岡山、大阪、長野、新潟など。そして、断然多いのが、2か所にかたまることになります。ひとつは私の住んでいる多摩地域、もうひとつは新宿(私が毎年展示会を開いている所です)につながるいくつかの電車の沿線地域です。今回私たちが訪れる収集家の方は、かろうじて、この後者のグループに入ります。数週間前、私は新宿から小田急線に乗って、神奈川県西部にお住まいの杉森亮先生と奥様の富美子さんを訪ねました。初めて先生御夫妻にお会いしたのは、お二人が数年前、私の展示会に来てくださった時ですから、今度は私がお訪ねする番です。

訪問には午後がいい、とおっしゃっていたのですが、行ってみてその理由がわかりました。杉森先生は毎日、午前中は、自宅の隣にある病院で診察をしておられるのです。先生は町のお医者さんで、一般の定年退職年齢をとうに過ぎておられるにもかかわらず、まだまだ多くの患者さんを診ておられます。それにしても、病院とお住まいの規模の違いには、ちょっとびっくりしました。病院の方はとても大きいのですが、先生の御自宅は部屋数も少なく、こぢんまりしていて、私の小さなアパートとかわらないほどなのです。これは、私が日本のお医者さんに対して持っていたイメージとはかなり違うものでした。でも、お話しているうちに、御夫妻のエネルギーの大部分が、自分達の懐を肥やすためではなく、地域の人達に奉仕するために使われていて、小さくてつつましやかな家が御夫妻にはぴったりなのだ、とわかってきました。

私が通された部屋の壁には、市民団体や政府から贈られた賞状や勲章などがたくさん掛けてあり、先生が地域の様々な活動に関わっておられて、自分の住む社会のことをとても気にかけておられる、ということがよくわかります。私が部屋に入ってから数分もたたないうちに、私たちは現代日本の問題についてつっこんだ話し合いを始めていた、ということからも、このことがはっきりします。話し合いをしている間、私は、「年上の人の言うことに強く反論するものではない」という日本の教えを忘れていたかもしれませんが、先生は気にされていないようでした。そして、気がついた時には4時間も楽しい時を過ごしていたのです。

カナダに住んでいた頃、こんなふうに討論することは私の日常生活の一部でした。しかし、ここ日本では、これほど率直にはっきりと意見を交換する機会はほとんどありません。私が話している人達は、いったい自分自身の意見をもっているのかな、と思うこともあるほどです。でも、杉森先生は経験も豊富で、しっかり自分の意見をもっておられます。先生と私が育ってきた背景はずいぶん違いますし、先生が81年の人生のなかで出会われた困難や悲劇は、私には想像することもできません。でも、これは、自分の意見をはっきり言うだけでなく、相手の意見を注意深く聞こうとしているふたりの人間がコミュニケーションするのに、何の妨げにもなりはしません...

でも、議論を戦わしてばかりいた訳ではありません。日が暮れないうちにと、先生はお庭を案内してくださいました。庭に出てすぐに、私は家の中に座ってばかりいてもったいなかったな、と思ったのです。先生は盆栽に凝っておられて、広々とした庭の半分は、様々な素晴しい盆栽で埋められていました。とても小さな刈り込んだばかりのものから、十分に成長して整枝されたものまで、何百という盆栽が腰くらいの高さの棚に幾列にも並べられていました。ぶらぶらと庭を歩きながら、先生は特に興味深いいくつかのものを教えてくださいました。その間にも、先生の手は常に休みなく動いていて、つぼみを摘みとったり、枯れた葉を引き抜いたり、枝に巻いた針金を動かしてみたりしておられました。先生を拝見していると、なんだか、午前中は山北町の「人間」の世話をなさり、午後は別の「住民」のめんどうを見て過ごされているかのように思えました...

しかし、私にとってもっと強烈な印象があったのは、庭のもう半分のほうでした。というのは、ここは、40年以上前にはただのだだっ広い土地にすぎなかったのですが、杉森先生と奥様はここに自分達の森を作られたのです。かしこまった庭ではなくて、自然のままの姿を残した林です。深々とした緑があって静かです。私たちは、何十という種類の木々や何百という種類の植物の間を曲がりくねっている小道を歩きまわりました。途中には石燈篭の置かれている小さな川があったり... 外の世界のことはすっかり忘れてしまいます。フェンスの内側に、こんな隠れた緑の世界を作り出すには、ものすごい手間がかかったにちがいありません。何年も何年も、木を植えたり、せんていしたり、水をやったり。でも、その成果のすばらしさといったら!

先生はここでも、やはり手を休ませません。一緒に歩きながらも、この緑の世界にいろいろな手入れをしておられました。この庭のあらゆるものが、こうして、いつも手厚い世話を受けているのです。古い盆栽も、若い苗木も、森の頑丈な木々も、すべてのものが常に成長し、常に変化しています。誕生から死まで... 絶えず流れ、留まる事がないのです。そして、すべてがこのおふたりの優しい導きと世話のもとにあります。

歩きながら、私は頭の中でちょっと計算してみました。...私は今44才...この森を作るのに約40年...そう、私にもまだこういうようなことをする時間はある...今すぐとりかかりさえすれば! まず、良い土地を見つけなくては。それからたくさんアドバイスをもらわなくては。だって私は庭仕事の経験はあまり豊富ではありませんから。先生はどう思われますか? 何かおすすめがありますか?

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