デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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東洋文庫を訪ねて...

その昔、私がほんの子供だった頃、将来はジェットパイロットになろうと思っていました。いつかこの考えは消え去り(たぶん、メガネを着用しなければならなくなったからでしょう)私は次なる夢に移りました。おそらく、ほとんどの子供がそうであるように、その当時は、今思い出せるよりもずっとたくさんの夢があったのでしょう。でも、一つのことが思い浮かびます。7年生のとき(中学1年)、私は図書館の司書になりたいと思っていたのです。放課後、学校に残って司書の雑用を手伝ったことを思い出します。新しい本のための分類カードを作って、ラベルを貼り、書架にきちんと並べました。魅力的だったのは、司書という仕事よりもむしろ、図書館の中で働くということだったのです。たくさんの本が、何列も何列も並んでいる光景... 時がたち、最初の「本当の」仕事、楽器店で職についたとき、この夢の一部は実現しました。私のおもな仕事は、ごみごみした倉庫に雑然と積まれた、山のような音楽の本を整理し、それを管理することだったのです。私にとっては、完璧な仕事でしたし、うまくやってのけたと思います(その結果として、すぐに上級職に昇進しましたから。でもその結果が自分にとってよかったかどうかは疑わしいのですが)。

ですから今回のこのお話のための取材をすることは、ことのほか興味深かったのです。5月のある日、貞子さんと私は東洋文庫を訪れました。ここは東京の文京区にある研究図書館で、私が復刻している春章の「百人一首」のオリジナルを保管しています。小山勲(いさお)さんは私たちを歓迎してくれました。私の版画の仕事の仲介をしてくださっているのが小山さんですし、今回は、わざわざ時間をとって、この興味深い場所を案内してくださいました。

「普通の」図書館と違って、ここでは本を目にすることはありません。足を踏み入れても大きくてほとんど何もない閲覧室には、古くて、かなり質素な椅子とテーブルが置かれているだけです。ここを訪れる人はほとんどが学者や研究者で、図書館のスタッフに自分の見たいものをリクエストします。すると建物の奥深くにしまわれている書物がこの部屋に運ばれます。数年前の「百人一緒」に書きましたが、初めてこの東洋文庫を訪れたときには、コレクションを見せてもらえるとは思っていませんでした。私は「公式の」研究者ではありませんし、コネも紹介者もありません。ジーンズをはいたむさくるしいヒゲの外国人でした。しかしその日、なぜか小山さんは私を信用することに決めて、ゆっくりと読んでもよい、と春章の本を持ってきてくれました。今でも覚えていますが、私が古いテーブルの前に座り、本を開いたときの小山さんの顔には不安な表情が浮かんでいました。こう思ったのに違いありません... 「彼はこんなに古い本の扱い方を知っているんだろうか? ページを汚しはしないだろうか? 破かないだろうか? 私の判断は、...」

今回の訪間では、小山さんはそのことで大笑いしました。そうです、私に本を渡したときはあまり落ちついた気分ではなかった、と認めました。小山さんのような立場の人にとって、これはいつもついてまわる問題なのです。大事な宝物を守ることと、研究のための来館者に提供することのバランスをどうとるかということです。私は版画製作者として本に触れて、柔らかな和紙の感触を指先で感じて、作者たちに近づきたいと思うのですが、収蔵物を最良の状態に保って次世代に手渡すことは小山さんの責任です。ですから、最低限の接触だけが許可されることになります。

「彼の」コレクションは莫大な量にのぼります。現在は80万点以上の品々が、この建物に保管されています。私が興味を持っている江戸時代の本のみならず、韓国や中国を含めたあらゆるアジアの国々からのものがあります。東洋文庫はおよそ70年前に、三菱グループの創立メンバーの一人、岩崎久弥氏の手で設立されました。彼はさまざまな個人の収集品を買い上げ、アジアに関する多量の品々をコレクションし、研究者が利用できるように財団を設立しました。昭和23年以来、コレクションは国会図書館の収蔵品の一部になっています。

可能なことかどうか、私はあえて尋ねませんでしたが、私たちが訪問したときに、小山さんは私たちに蔵書をひと目見ますかと申し出てくださいました。重いドアを通り抜けて倉庫に入ったとき、そこは私が想像していたところとは全然違っていました。私が想像していたのは、奥深く暗い鉱山のような場所に、ほこりっぽい学術書がはるか遠くまで並んでいる... 神田の古書店のようで、それを1000倍もの規模にしたような...。頭上にランタンをかかげて、ときおり後ろを振り返りながら迷子にならないようにしなくてはならないかな?

もちろん、こんなふうではありませんでした。信じられないほど清潔でした。床はつるつるに磨きあげられ、本はまっすぐに、書棚にきちんと並んでいます。陰になっている部分がありますが、そうです、これは照明を暗くして、本が傷まないようにしてあるからです。でも陰気な感じはしません。小山さんに運れられて歩いていると、私が自分のささやかな本棚を知っているのと同じにように、小山さんははるかに続く蔵書について熟知していることが明らかでした。あちらこちらで立ち止まっては、特に面白そうな品々を指し示してくれます。チベットの修道院で使われていた古代の祈願用の道具。アジアについて書かれた莫大な量の西洋の書物。目を見張るような奈良時代の手描きの絵本。事実上、「死滅した」モンゴル語で書かれた本の完璧なセクション。これは、世の中に保存されている最後のものとなるかもしれません。もちろん小山さんは、ふたつの特別な場所でも立ち止まりました。ご自身で研究している東洋建築に関係した品の前と、最後に立ち寄った階のひときわ離れたコーナーにある、一番下の棚のはずれの角に。そこには、なじみのある紺のケースが並んでいました。だいぶ部数が増えてきた私の「百人一首」の版画です!

それを見たとき、貞子さんと私は笑いました。この版画は、図書館の信じがたいほどのすぐれたコレクションと比べると、はるかにかけ離れていることを自覚しているからです。閲覧室の研究者がこの版画をリクエストするまでには、まだまだ何十年も何世紀もかかるでしょう。「うーむ、面白い... 平成時代に作られたのか。ここには何と書かれているのかな? 『彫・摺 David Bull』。誰だこれは?」 彼らが、私のしたことを、あるいは何故作ったのかを理解するかどうかはわかりません。でも少なくとも私の仕事を見る機会はあるはずです。この素晴らしい組織、東洋文庫のおかげで、未来の人間が、いつでも過去とつながりをもてるのです。小山さんとご同寮は、このように重要な歴史遺産を管理し、最良の状態で保護することに誇りをもっていらしゃいます。

駆け足での見学が終わり、またいつもの世界に戻りました。重たいドアが閉じられ、果てしない宝の書棚が消えていきます。小山さんはご自分の仕事に戻り、私たちは明るい日差しの下に踏み出し、帰路につきました。しかし、建物からの道すがら、新たな誇らしい気持ちになりました。私の版画は、これらの宝のコレクションの一部になっているのです。棚の一番下に収められていても少しもかまいません。人類が獲得した素晴らしいコレクションの一部である限りは...

「すみませんが、今から5百年後の2496年になったら、いつか東洋文庫を訪れてみませんか。閲覧を記入して、古ぼけたテーブルの前に座り(きっと今とそう違わないでしょう)私の版画を見て下さい。気に入ったら、製作者の私にだけではなく、小山さんとご同寮にもありがとう、とお願いします。この人たちのおかげで、過去に戻り宝物に触れられるからです。

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