デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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彫り師伊藤進さん

その部屋に足を踏み入れてすぐ目についたのが、彫り台でした。それは、固く重いケヤキでできていてどっしりとしており、何十年にもわたって毎日使われてきたために、すりへって傷がついています。台の表面は、版木の裏側を保護するための布でこすられて、てかてかと光っています。それは庭に面した窓の前におかれており、今日の曇り空からもれてくる光が、台の上にある彫りかけの版木の上にやわらかく落ちて、彫り跡をくっきりと浮かびあがらせていました。

台の上には、その版木のとなりに彫刻刀がのっており、その持ち柄もやはり長年の使用で垢光りしています。彫り師は仕事の手を止めて私たちのほうに向き直り、あいさつをしてくれました。作業台、版木、彫刻刀...それらは、百年以上昔と寸分違わない光景です。私は貞子さんとともに、木版画の名彫り師伊藤進さんを訪ねました。彼は東京の下町、荒川区の狭い裏通りにひっそりと建っている自宅で仕事をしています。今日は彼の仕事の様子を見せていただき、お話しをうかがうために来たのです。

彼はこの家で暮らし、この小さな2畳の部屋で、仕事をしてきました。何十年も... 私が生きてきたよりももっと長い間です。彼は、12才の時に彫刻刀を初めて手にしてから、80年余りの人生のほとんどをこうした彫り台の前に座ってすごしてきました。右手には細い彫刻刀を握りしめてーそれがまるで彼の手の中に埋めこまれているかのようにーそして、彫り、彫り、彫り続けて... どのくらいたくさんの版木がこの台の上に置かれてきたのでしょうか? どのくらいたくさんの版画を彼は作ったのでしょうか? 伊藤さんはそんなことを考えたり答えたりしたことはありませんでした。彼にとってこれは仕事であり、日常のごくありふれたことにすぎないのです。彼は彫り師です...彫ることが彼の仕事なのです...

今日ここへ来るために家を出る前、私は自分のもっている一枚の版画ー有名な歌麿の作品の複製ですーをしばらくの時間じっと見てきました。女性の顔のまわりの、ほとんど見えないくらい繊細な髪の線、布の流れるような曲線、彼女の持っているうちわのなめらかでくっきりとした線... これらの線はすべて、何年か前に伊藤さんがこの台で彫ったものです。それらは、私がとうてい到達することはできないんじゃないかと時々絶望的な気持ちになるほどの技術で、素晴らしい自信にあふれた彫りです。

ここへ来て私は、自分の版画を数枚と版木のひとつを伊藤さんにお見せしたのですが、この部屋でこうして彼の隣に座っていると、突然、私が「悪くないな」と思っていた作品が何か未熟で素人っぽいものに見えてきたのです。彼はそれらを眺めーかなり長い時間でしたーいくつかの思いやりあるコメントをしてくださいました。でも、私は彼が本当はどう思っておられるのかということを考えなくてはなりません。同じ様な道を進もうとしているこの外国人のことをどう思っておられるのかを。

私たちが、話している間、私の仕事のこと言う時は、伊藤さんは何度も「趣味」という言葉を使われました。でも彼は、決して人を見下したような態度でそういう言葉を使われたわけではありません。むしろ、私が彼とちがって、自由な立場で「何を彫るか、どういうふうに摺るか、どこでそれを売るか」などを決められるので、「本当に仕事を楽しんでいるんですね」ということを言おうとされているのです。一方で、伊藤さんのしておられることは「仕事」です。彼はこれらのことを自分で決めることなく、ただ版元がもってくる仕事内容が何であれ、それを受け入れるだけです。彼は広重や北斎の有名な版画と同じものを、何度も何度も彫ってきました。でも彼はこうした繰り返しを不満に思われるないでしょう。彼は彫り師です...彫ることが彼の仕事です... 私だったら、同じ版画を何度も何度も作ることなど考えられません。私は本当の意味では「職人」ではないのです。私はこの仕事で生計をたててはいますが、まだこの点ではいわば「アマチュアー」ーもともとのフランス語の意味は「愛好家」ーなのです。

でも、私はきっと伊藤さんも御自分の仕事を愛しておられると思います。彼はそんなふうには言っておられませんが。会話している間、しばしば彼は、私の質問したことに答える前にずいぶんと考え込んでおられました。というのもそんなことは今まで彼が考えたことのないことだったからです。木版画は彼にとって知的な職業などではなく、単に生活の手段にすぎないのです。彼が食べたり息をしたりするのと同じ様に...彫っているのです。

伊藤さんのお話しでは、彼がこの仕事を始めた頃には、彫り師として生計をたてている人は 250人以上いたが、今ではたったの10人かそこらになっていると思う、とのことでした。この数がもっと減ろうが、あるいは現状維持であろうが、伊藤さんはそんなことは少しも心配しておられないように見えました。このもの静かな、心安らかに生きておられる人は、窓の外の世界のできごとにはあまり関心をもっておられないように思われました。彼の世界は、この小さな部屋の中に、道具のつまった引出しの中に、台の上にある版木の中にこそ、あるのです。私たちがいろいろと「うるさい」質問をして帰った後、彼はきっと 2分もたたないうちに座布団に座り直して、鼻を版木から10cmと離れていないところまで近づけ、固い桜の木を刻む彫刻刀に全神経を集中させていたにちがいない、と私は思います。彼は彫り師です...彫ることが彼の仕事なのです...

私の年齢は伊藤さんの半分にすぎません。そして彫りの経験は彼が仕事をしてきた年月の 4分の 1にも満たないのです。私は時々自分の腕が上達したな、と思うことがありますが、今日のような訪問をすると、自分はまだまだかけだしの初心者なのだと感じずにはいられません。私が自分のことを心から「彫り師」だと呼べるようになるには、まだ長い年月がかかることでしょう。80代になった時、私はまだこうした彫り台の前に座って、彫刻刀を握り、こんなふうになめらかな線を彫っているでしょうか? 私には答えられません。こうした姿を心に描くことは私にはできません。私はまだまだ若造です。でも、これだけは言えますー私の行く手にあるさまざまな未来の可能性の中で、この仕事ほど誰かな手応えを与えてくれそうなものはほとんど考えつかない、と...

伊藤さん、本当に幸せな、生産的な人生を送っておられるのですね。これからの人生がこれまでをふりかえって安らかな満足に満ちたものとなりますように...

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