デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



Categories:

円谷岩男ご夫妻

外国に住んでいる人に、日本について何を知っているか尋ねると、様々な答えが返ってくるでしょう。富士山、桜、ソニー、着物などなど。それぞれのリストは異なるでしょう。しかし、ほとんどの人が口にする言葉が一つあります。畳です。西洋人はもちろん、日本の家屋はすべての部屋に、壁から壁まで畳が敷かれていることを「知って」います。雑誌に紹介される日本の家の写真では、すべての床に清潔な黄金色の畳が敷かれています。

去年のことですが、円谷(ツブラヤ)岩男さんが私のお客さんになった時は二重の喜びでした。もちろん、新しいお客さんを迎えた喜びが一つ。さらに、畳について学ぶことができるという喜びです。円谷さんは畳屋さんなのです。新しい畳を新居に準備し、古くなったら取り替えます。

仕事場の上の部屋に座り、円谷さんと奥さんの千江子さんをまじえて話をした時、しばしば感じたのですが、まるで私と同業の職人さんと話しているようでした。たとえば、今回、写真を撮るために円谷さんをお訪ねしたまさに前日のことですが、私は彫り師の伊藤さん(次のページから彼の話が始まります)の家にお邪魔しました。その時のことをメモしたノートは、円谷さんに関して書いたこととよく似た内容でした。厳しい親方について学んだ若かりし頃「何も教えてくれようとはしなかった!」長く厳しい日々。世の中が変わって、需要が減っていったこと、など。畳と版画はまったく別のものですが、職人の世界は変わりません。

仕事や生活のことを話していて驚いたのですが、畳について私が知っていることの多くが思い違いだったのです。畳は、平安時代から日本家屋にはつきものだと思っていました。しかし円谷さんの話では、普通の人々が畳を使うようになったのは、ほんの百年ほど前からだといいます。畳の大きさも基準が決まっている思っていたのですが、必ずしも 1種類ではなく、 4種類あるのですね。一番大きなのが京都サイズで、東北サイズ、関東サイズがあり、団地サイズでは何センチも小さくなります。センチではなく、何「寸」も小さいというべきでしょう。版画の世界では長さの基準は伝統的な「寸」で表されるからです。

円谷さんが、近代工場ではいかに簡単に、そして速やかに畳を作れるかという話しをされた時、私はちょっと悲しくなりました。しかし円谷さんの立場から見ると、機械化によって辛い骨の折れる仕事がなくなったのです。若い頃は、厚く固いワラのマットを手で縫わなくてはなりませんでしたし、 1日 6畳分しか作れませんでした。今は「楽(らく)」に簡単になりリラックスできるといいます。

私の仕事を支えて下さる職人さんのことを語るときはいつも、和紙職人、バレン職人といった人々のことを考えていました。版画仕事の上では必須の人々です。しかし、円谷さんのことを外すわけにはいきません。同じように貢献していただいているのですから。カーペットに座って版画を彫り、摺る? 不可能です! ほんの数カ月前、円谷さんは私の部屋に新しい畳を持ってきてくれました。その後数週間、そこに座り仕事をしている時、新しいイグサの何ともいえない香りをかぎ、私はまるで田舎の谷間にいるような気がしました。やがて香りは薄くなり消えてしまいましたが、そのときの感覚は残っています。柔らかな黄金色の畳に座るすてきな感じ... 日本に座っているという感じです...

円谷さん、私の版画製作へ貢献していただきありがとうございます。私の仕事を支えてくれる人たちのリストにあなたの名前を入れることを、これからは忘れません!

コメントする