デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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展示会の総括

ここ数年の展示会の様子はまったく違っていたので、今年の展示会がどうなるか、私には本当にまるで見当がつきませんでした。 2年前は...惨憺たるものでした。昨年は...素晴らしい成功をおさめました。今年はどうだったでしょうか?

そうですね、いくぶん驚いたことに(そして大変ほっとしたことに)、今年もまた大変な成功でした。会場を訪れて春章の作品を楽しんでくださった方の数のうえでも、またこの企画に加わることを決めてくださった方の数のうえでも。昨年は、ちょうど折り返し点での展示会ということで少し特別の感があり、マスコミも大変協力的で、私はその恩恵にあずかることができました。しかし、それは同時に、今年はそれと同じだけの協力は期待できない、ということでもあります。私は、自分の仕事はおもしろくて、知らせるのに価するものだと思っていますが、新聞やテレビが毎年毎年同じ話を載せる、というものではありません...そして実際、載せませんでした。

でも、多くの人に来ていただくために、何もそれほど多くのマスコミの報道が必要なわけではないのですね。いいところにいい話がひとつあればよかったのです。そして今年は、朝日新聞がその「ひとつ」を書いてくれました。新聞の全国版に私に関するおもしろい記事を載せてくれたのです。今年の展示会が昨年と同じくらい忙しく、実り多いものとなったのは、ほとんどがこのひとつの記事のおかげでした。

マスコミの取材が全然ないだろうと思ったので、私は今年は関西の展示会を企画しました。関西では私は比較的知られていませんし、マスコミも何かおもしろくて書く価値のある話を見つけ出せるだろうと思ったのです。しかし御存知の様に、あの不幸な阪神大震災があって、当然のことですが、私の重要でない小さな企画は隅に追いやられてしまいました。東京の展示会が終った後、大阪のギャラリーの支配人と話をして、私たちは予定通り、30日から展示会を開催することに決めました。大阪での生活はかなり平常に戻りつつあると思われたからです。

もちろん、ホテル取る事はできませんでした。でも、豊中市の斎藤さん御一家が「どうぞ」とおっしゃってくださったので、私はその暖かいもてなしのおかげで、心地好い 1週間を過ごすことができました。私の母が、イギリスから東京に来て娘たちの世話をしてくれましたので、家のことは何も心配する必要がありませんでした。そのうえ、私の仕事に大変興味をもってくださっているように思われる方にも何人かお会いし、その方々は、私の企画に加わって下さったのです。

全体として、ふたつの展示会から、これ以上の結果は望みようがありませんでした。確かに、まだ「完売」ではありません。(収集家の方は 100人に達していませんから) しかし、今年もまた、経済的な心配はしなくてよさそうです。この成功を手助けしてくださったみなさんに、心からお礼を申し上げます。

そして今、これらの非日常的な出来事はみんな終わって、私も腰を落ち着けて、自分のすべき事に戻る時が来ました...彫り、彫り、そして又彫り...

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