デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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彫師 ...

もう何年にもなりますが、この「百人一緒」で摺師の松崎啓三郎さんをご紹介しました。私に、摺りの技術に関するアドバイスをしてくれています。ところで、どうして私は彫師のことも紹介しなかったのでしょう?

皆さんはすでにご存じのように、伝統的な版画の世界では摺りと彫りは必ず別々の人が手がけています。20世紀の芸術家タイプの版画家は、もちろんすべてを自分で行います。デザインからサインまでというわけです。しかし、いまだに18世紀の方法で暮らす職人は、自分の仕事の密度を薄くしようとは考えていません。そういう人たちは一つのことに従事します。そのことだけを巧みにこなします。摺師は摺りを、彫師は彫りを。

しかしそうした分かりやすい違いとは別に、摺師と彫師を分けていることがあるようです。しかもそれは江戸時代から延々と続いているように思えます。摺師(の集団)は社交的で開放的で愉快な人ばかりで、自分たちの仕事について互いに話をするのが好きで、技術を教えあい、仲間がしている仕事にも興味を持ち、つまり隠し事はしないのです。

彫師(この場合も集団としてです)は、かなり風変わりな人々です。私がお会いした彫師の方々は、いつでも私の質問には答えてくれます。でも、仲間同士として、積極的に知識を共有しようとは考えていないように思えました。私が外国人だからという事とは関係なく、単に彫師の特殊技術の歴史が反映しているのだと思います。「昔」を振り返ってみましょう。彫りには異なる流派がありました。それぞれの流派では自分たちのやり方が他よりも優れていると信じ、それを守らなければならないと考えていたように思います。その後長きにわたり、こうした秘密主義的な習慣が身につき、今日まで続いているのです。こうした考え方は、伝統を維持するためには逆効果になっています。

このことに関しては(摺師の友人とはもっとも意見が食い違うところです!)、彫りのほうが摺りよりもかなり難しいという見方があります。聞くところによると、摺師の平均的な見習い期間は、およそ10年だそうです。一方、彫師が「彫りで食っていく」までには15年かかると言います。若い摺師でも(簡単なものなら)とても魅力的な仕事をこなすことができますが、若手の彫師の仕事は簡単には受け入れられません。ごく「簡単な」仕事でも、人の注目を集めるような彫りができるまでには、何年もの修行が必要なのです。彫師は、摺師より優れていると考えています。(少なくとも彫師のデービッドは摺師のデービッドに対して優越感を感じています)

摺りは彫りに比べて肉体的な力が必要ですから、様々なタイプの人々を引きつける(あるいは産み出す?)のかもしれません。摺師は「陽気」で社交的であり、彫師は「孤独」を好む集中型という私の見方は間違っているでしょうか? 昔から伝えられていることですが、摺師にとっては40代から50代が一番油ののっている時だといいます。豊富な経験を積み、しかも体力が落ちる前の時期です。一方、彫師は、まさに引退する直前まで素晴らしい仕事をし続けることができます。実際のところ、彫師の晩年の仕事に最良の作品が多いのです。

では今まで、どうしてこの「百人一緒」に「彫師を訪ねて...」という記事がなかったのでしょう? 単純なことですが、まだ一度も彫師を訪ねていないからです! 以前、伊藤進さんを訪ねる機会がありましたが、これはテレビ局の依頼であり、個人的な話をすることはできませんでした。数年前のある日の午後、お年をめした彫師のお宅に、事前に知らせずに「立ち寄った」ことがありますが、その時はとてもお忙しく、また私の態度がぶしつけだったのでしょう、くつろいだ話はできませんでした。

でも私も今は必死です。来日したのは、まさにこういう人々と共に時間を過ごすためです! もう 9年近くになります。一体いつになったら彫師の横に座って、仕事ぶりを見ることができるのでしょう? 皆とても忙しく、仕事の邪魔をされたくはないのです。きりのない質問を浴びせられて、悩まされると思われているのかもしれません。でもそんなことはしません。約束します! ただ座って...見て...聞いていたいのです。もちろん、できる限り技術を吸収したいと願っています。  最高の職人さんは、一年ごとに年をとっています... 秘密を「盗み」たいと思うのは私のわがままでしょうか? まだ、私はおメガネにかなわないからでしょうか?

きっと今年こそ、機会が来るでしょう。

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