デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

(前回からの続き)

 はるか遠くに過ぎ去った年月を振り返り、自分の性格や人間性に重要な影響を与えたものを見つけ出そうとするのは、本人にはむずかしいものです。たとえば今、「自分はこういうタイプの人間だ」と考えているとして、それは私の子供時代に起こった出来事によるものでしょうか、それとも、単に遺伝子によるものでしょうか? 私にはわかりません。ですから、私が次に書くことは真実であるかもしれないし、そうでないかもしれません...でも、とりあえずやってみましょう...

以前書いたように、私の家族はしょっちゅう引越しをしていました。平均して、 2年毎に新しい家に移っていました。ということはつまり、私はしばしば友達みんなを失わなければならなかった、ということです。「ここが自分の家だ」という感じを抱き始めると、いつも決まって、その感じはぬぐい去られることとなり、また別の場所でいちからやり直し、ということになるのでした。ですから、大人になったデービッドがいとも簡単にカナダの家や友達を捨てて、日本で新しい生活を始めたからといってなんの不思議があるでしょうか? 大人になったデービッドが、親友と呼べる人は片手の指の数にも満たないほどだからといって、なんの不思議があるでしょうか? これらのことには何か関連があるのでしょうか?

おそらくはこうした事情のために、あるいは私の母の早期教育によって、本が私の生活の重要な位置を占めるようになり、それは今日まで続いています。ある幼い日の記憶があります。図書館から家へ帰る途中の車の中でのことです。本を開いて車の中で読み始めたら気分が悪くなるだろうということはわかっていました...でも、やっぱり本を開いてしまったのです! (ここ東京の狭いアパートで暮らしていて、残念に思うことはほとんどありませんが、私の本をみんなカナダのトランクルームに残してこなければならなかったことは、その数少ないことのひとつです。もっと広い家に住めるようになって、本をみんなこちらへ送ることができるようになる日を夢見ていますが...そうなったら、しばらくの間みなさんは私の声を聞くことなんかなくなるでしょうね!)

今回のお話しが、こういった思い出ばかりではいけませんよね。この小・中学時代には実にいろいろな活動をしました。昼も夜もアイスホッケーをしたこと、プラネタリウムで天文学を勉強したこと、熱心に切手を集めたこと、ボーイスカウトでの応急手当をできるように勉強したこと、とても寒いカナダの冬の間じゅう、新聞配達をしたこと(カナダではこれは大人の仕事ではなく、中学生の仕事です)、そしてもちろん、私の弟や、私が10歳ぐらいのころに生まれた妹と遊んだこと...

私はなんでもやりました...宿題以外のことは。私の学校での成績は確実に下降線をたどっていました。 1年生ではトップでしたが、12年生ではかろうじて落第をまぬがれる、という状態でした。毎年毎年、成績は落ちていきました。通知表を渡される時は、いつも先生に同じことを言われました...「デービッドは実力を出しきっていませんね...」

でも、この台詞は一体どういう意味なんでしょう? 「実力を出しきっていない...」とは。頭が良いと思われている子供はみんな、学校で...教室で...テストで良い成績を上げなければいけないのでしょうか? どうして私はそんなふうに判断されたのでしょうか? 「私が実力を出しきっていない...」だなんて、誰が決めたのでしょう。どういう規準で決めたのでしょう? 私には、この43歳のデービッドが、ある意味では12歳の少年の頃とほとんどまったく同じ人間に思えます。あれこれ何でも知りたがり、自分がおもしろいと思ったことにはひたすら夢中になり、それ以外のことには目も向けない... 今でも私は「実力を出しきっていない」...でしょうか? 年若い少年にそんなことを言うのは、なんとばかげたことでしょう!

幸運にも、私はそんな台詞を無視するだけの常識を持ち合わせていたようです。

次回に続く...

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