デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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ハリファックスから羽村へ

(前回からの続き)

このささやかなシリーズは「ハリファックスから羽村へ」というタイトルですが、これは一ヵ所から別の場所へ直接移動したということではありません。この話の準備の為に、私たちはいままでに一体何ヵ所くらいの「家庭」を持ったか、数えてみようとしました。でも、ざっと20まで数えたところであきらめました。しかし、こうした引っ越しの中でも一番最初がもっとも重要だったように思います。それは私の両親が生まれ故郷を離れた時でした。結婚後、二人は家族や友人、それに住み慣れた土地を離れて独立し、ハリファックスから大都会ロンドンに引っ越しました。

父は子供の時から音楽にかかわっていました。最初はラッパを、後年はサキソフォンを演奏していました。テレビが家庭に娯楽をもたらすようになる前のことです。「ビッグバンド」全盛期で、イギリスのどの町にもダンスホールがありました。今の若者が、有名なロックバンドでギター演奏することを夢見るのと同じように、当時の世代はトランペットやサキソフォンに夢をたくしていました。父は、地元の工場で人生を過ごすよりも、音楽の世界で仕事をするほうが望ましいと考え、実行することにしました。

父は極めて短期間に成功しました。当時もっとも名の知れていたバンドリーダーの一人、オスカー・レイビンのもとでバリトン・サックス(と歌)の地位をつかみました。今では、その時代にもっとも知られていたほんの数人の名前しか覚えている人はいません。グレン・ミラー、トミー・ドーシーなどです。しかし当時はもっと多くのバンドが名をはせていました。父が所属していたのもそんなバンドの一つでした。ベストセラーになったレコードも作り、様々なラジオ番組にも出演しました。しかしバンドの一番の収入源はダンスの伴奏です。巡業で何度も国中を回り、あふれかえる群集の前で夜ごと演奏しました。

この結果、父は家には不在がちになり、母は、自分で勝手にやっていくしかなかったと思います。バンドが巡業でロンドンに近くに来たときか、長期間町に滞在する時しか父に会えませんでした。「有名」なミュージシャンと結婚するということは寂しいことに違いありません。私が生まれる予定の時、大都会の見知らぬ病院で一人寂しく出産するよりはと、母は一時的にハリファックスに戻りました。ですから私はハリファックスで出生登録されたのです。(数年後弟が生まれましたが、その時は母はロンドンで出産しました。) これは一般的な日本人のパターンと似ていることに気づいて、なんだか奇妙な気がします。

もちろん私はこの時代の事はほとんど覚えていませんが、一つだけ分かることがあります。私が生まれた瞬間から、やがて弟がやってきて(妹はかなり遅れてきました)一緒に行動するようになるまで、私は家族の活動の中心だったということです。母は日課のように、私と遊び、本を読んでくれ、公園に、博物館にと連れていってくれました。これは断言できますが、母は仕事で外出するときも、私を保育園に預けるといったことは考えもしませんでした。このことも、最初の息子を持った日本人の母親の行動と似いています。でも一つ、とても大きな違いがあります。日本の母親が自分の役割として考慮するのは、子供の面倒を見て、可能なかぎり保護し、子供のために出来るかぎりの事をすることですが、イギリスの母親は(少なくとも当時は)違いました。もちろん子供の面倒はみますが、それはなるべく子供が、自分でいろいろなことが出来るようにするためです。自立するための手伝いを、とても早い時期から援助するのです。

たとえば 4才で、私は学校(私立の小学校のようなものです)に行くことになりました。毎朝一人で、ロンドンの地下鉄に乗って通いました。母が心配していたことは確かです。しかし同時に母は、いつも大人が回りにいて道を示してくれることなしに、私が一人で何かをすることの重要性も理解していました。(何と冷酷な母親だろうと思われるかもしれませんが、ご安心下さい。母が話してくれたのですが、私が初めて一人で出かけた時、迷子にならないようにと、少し距離をおいて私の後をつけてきたそうです)

 母は学校からの「通知表」を保管していました。これには私がどんな勉強をしたかが書かれていてとても面白いです。もちろん「3R's」(読み書きソロバン)という科目も含まれますが、中には発声法やボクシングもあるのです! こういう科目から学んだことが今も私の中に残っているとは思いませんが。 6才になるまではこれが私の生活パターンでした。

6才の時に両親は、住み慣れた土地を離れて再び引っ越す決心をしました。今度は別の町に多るのではなく、海を越えて新しい国に移るのです。移住してカナダ人になるのです...

次回に続く...

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