デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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松吉さんー絵の具の店

私は「百人一緒」の取材のための今回の訪問を楽しみにしていました。何故なら、そこは、私が東京のなかで一番好きな場所にあるからです。機会があるごとに私は何度もそのあたりへでかけています。いいえ、浅草ではありません。そこには多くの木版画職人がいて仕事をしていますし、もちろん私もそこへ行くのが大好きですが、今回は神田・神保町のあたりです。私が惹かれるのは九段下から小川町にかけての靖国通り一帯です... 何十という古本屋さんが列をなしているところです。たいていの場合、いったんこういう店に入ってしまうと、私はその日のうちにしなければならないことをみんな忘れてしまいそうになります。しかし今回、地下鉄の神保町駅を降りて東のほうへ向かった時は、私は、心を鬼にして山のような本の誘惑をふりきり、まっすぐ歩いて行かなければなりませんでした。今回の目的は本を見ることではありません。あらゆる種類の絵の具を扱っている松吉一行さんのお店を訪ねることです。私は、版画をつくるための顔料をここで手に入れています。

しばらく前まで、彼の店は、古い茶色の木造建築でした。しかし、不動産業者の圧力でそれはつぶされてしまい、今、この店は、背の高い近代的な建物の一階にあります。戦時中になんとか戦火を免れたこのあたりの古い木造建築はみな、戦争のような劇的なやり方ではありませんが、同じくらい強引なやり方でつぶされてしまいました。その結果、よく似た鉄やコンクリートの建物が両側にひしめきあっています。しかし、いったんこの店の中に入ると、そんな思いはふきとんでしまいます。棚という棚に、いろいろな色の絵の具の瓶が並び... 床から天井まで、私が届くよりもずっと高く、積み上げられているのです。緑色の絵の具が御入用ですか? いくつかの棚には緑色の入った瓶が92個並んでいます。そのひとつひとつが隣りのものとは違っているのです。黄色はどうでしょうか? 50種類以上あります。白はどうですか? 白色を選ぶなんていうことができるのでしょうか? しかし、ここには40以上もの違った色合いの白色が選ばれるのを待っているのです! そしてこれは、ある一種類のタイプの絵の具の話です。別のタイプの絵の具にも同様の選択が可能なのです。ここ松吉さんの棚と倉庫には、世界のあらゆる所の原料から作られた何百、何千という様々な絵の具がいろいろな芸術家たちに使ってもらうのを待っているのです。

ここにこの店ができてから約60年になります。初めは、京都の店の分家として松吉さんのお父さんが作られました。この仕事をするのにこの地を選ばれたのは、画家や出版社の近くがいいと考えられたからだろうと思ったのですが、そうではないようです。ここを選ばれた理由は、衣服を作る仕事場に近い、ということでした。衣服を作る仕事はいろいろな染料や顔料を必要とします。かつてここはそういう仕事場がたくさんあったところなのです。しかし、時は流れ、松吉さんの顧客はもはや限られた職業の人たちだけではなくなりました。今や、織物の染色をする人たちだけでなく、私のような木版画家や、看板屋さん、そしてもちろん、92個の緑色たちが待っている日本画家も彼のお客さんになっています。彼のお客さんは日本中にいます。その上、海外へ品物を送ることもあります。松吉さんは、「英語がうまくならないとそっちのほうまで手を広げられないけれど...」とおっしゃっていますが。

戦時中は、松吉さんはまだ小さかったので、田舎へ疎開しておられました。でも、松吉さんは、約15年前、お店の倉庫が火事にあった時のことをはっきりと覚えておられます。建物の中から消防士たちが出てきた時、絵の具のせいで色とりどりの制服になっていたさまをありありと覚えておられるそうです。今になって思うと、いろいろな色の絵の具の山に水をかける様子は、滑稽に思えてきます。でもその時は、有毒な物質が燃えて出る煙の雲は決して滑稽なものなどではありませんでした...

この店の製品のほとんどは「すぐに使える」状熊で売られています。しかし、収納庫の上に並べられたいくつかの瓶を見ると、ここの仕事がどんなふうに変わってきたのかを知ることができます。これらの瓶の中には様々な伝統的な色を作るための原料がそのままの形で入れられています。花びらや花の種、松笠など。ラベルには「ベニバナ」「ヤマモモ」「ヤシヤダマ」「ウコン」などと書かれていますが、これらはみな今日ではあまり聞かれなくなった言葉です。瓶の上のほこりを見ても、そのことがわかります。でも、ここが生気のない古い店だ、というのではありません。私が松吉さんと話していた数時間の間中、電話とファックスはひっきりなしにかかってきていました。彼の助手たちが、発送のためにたくさんの大きな箱を包装し、荷造りしていました。活気にあふれた音があちこちから聞こえてきました。

私はこの店のあまりいいお客ではありません。私はそれほど多くの版画を作りませんし、私の買うのは、高価でない絵の具の小さな包みのいくつかで、それで十分何年ももつのです。でも、ここのお客さんのほとんどが私よりも生産的で、松吉さんの仕事がずっと先まで続いてくれるといいなあと思います。私は本当にそう思います。何故ならこの仕事は、職人とそれを支える人たちとの鎖の大切なひとつの輪だからです。この人たちがおられなかったら、私は自分の仕事を続けることができません。でも、もちろん、これらの輪のどれもが、みんなきわめて重要なものなので、何が一番重要かなどと言うことはできません。これらのうちのどれかひとつでもこわれてしまったら、私の版画製作の全過程は停止してしまいます。松吉さん、まわりの店がみんな、このあたりを買占めている大きなスポーツ店に身売りしていく中で、この仕事を続けてくださってありがとうございます。私は本屋さんに首をつっこんでいないで、もっと頻繁にここを訪ねて来ることを約束します!

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