デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

ここに、バックナンバーがすべて集めてありますので、号数あるいはテーマ別分類から、選んでお読みください。

41号から最新号まで

1号から40号まで



Categories:

相馬さんーこうぞ職人

相馬さんが電話を下さって、いつ私がたずねていくかについて断固とした、断言するような早口で聞かれた時に、この訪問はいつもの「職人さんを訪ねて」とはちょっと違うと気がつくべきでした。 私は、彼を訪ねていくことに躊躇しました... それは長い道のりで、茨城県のはしまで行くには、私は大変忙しく本当に時間もお金の余裕もありませんでした。 彼は私の躊躇に明らかにうんざりしていました。 そこで、「来ますか?」彼はこのことにかたをつけて、自分の仕事に戻りたがっていました。 私は訪ねていくことに決め、手はずを整えましたが、電話をおいてから、私は首をかしげました。 それは相馬さんが、紙漉の原料を山口さんに提供する為に、蒸した楮(こうぞ)の枝から皮をはがすのに何時間も座っている根気があるような人には思えなかったからです。 そこについた時、私は何を発見したでしょうか?

私は、朝 5時ごろ家を出ました。 そして電車を 5回乗りついで、 5時間後に水戸市から北へ走っている水郡線の袋田駅に降りていました。 相馬さんは、まさに電話で話した時の相馬さんと同じでした。 活発、すじが通り、いそがしい人で、「カメラを持った? さあ、いこう。」 それから 4時間ほど、休みなしに行動しました。 私は、彼の生活全域...畑から最終産物の束まで...全部見てまわりました。 もちろん彼は根気のいる職人ではなくて、実業家でした。

実際に、いそぐには理由がありました。 その楮加工過程は季節に影響される為です。 この仕事をするのは、ほんの短い間に限られています。楮の枝を切るのは、お正月直後に始まり、枝を切ってから約70cmに切りそろえ束にして、 2時間蒸します。 

やわらかくなった枝を蒸気釜からとり出し、手早く皮を木からはぎます。 枝の端をすばやくねじって、皮をはがしむいていきます。 木、そのものは、必要なく、伝統的な木のオケをしばるのに使う為に売られます。 

そばの大きな納屋に、はぎとった皮の束がラックにかけてあり、近くの山にある農家へ運ばれていくのを待っています。 その農家ではもっとも労働力を要する仕事が行われます。 不必要な黒い外皮を白い内皮の楮の繊維からとり除きます。 相馬さんは、その過程を私に見せてくれる為に山まで車で連れていってくれました。

これは、私が予期していた以上のことでした。 古く雨風にさらされた田舎屋。 もちろん大きな藁葺きの屋根でした。 冷たい風から守られ、冬の太陽が当たる軒下の、 4つの仕事台が置かれた縁台で年寄り達が座って働きます。 毎冬、彼らはこの仕事を相馬さんから請負っています。 そして彼らは、明らかに長年それをやっています。 ここには、早く早くといった緊張はなく、三人が(その日は一人休み)実際の仕事よりも互いのおしゃべりに笑いころげるのにより多くカロリーを消費していたのは確かです。 それでも仕事は確実になされ、きれいになった楮の太い束の列が竹ざおに下っていることから彼らがいかに朝早く仕事を始めたかがわかります。

私が写真をとってから、一人が休憩をとって、私を古いイロリに招いて、お茶と食べ物をすすめてくれました。 なんとおいしい! 田舎風の焼モチとつけものと野菜でした。 私は、我を忘れて、いかにモチがおいしいかを強調してしまいました(それは私がいつも食べている白いもちよりずっとおいしかった)というのは次に何がおこるかわかるからいつもは気をつけるのですが... 帰りには、私のバッグに大きなモチのつつみが入っていました。 (山を下りてから気がついたのですが、私は全員のお昼の食べ物を全部もらってきてしまったに違いありません。)

今はまだ早すぎますが、80いくつかになったら、誰もやりたがらないけれど、美しい木版画を作るのに絶対必要なこの仕事を、友人とともに日なたに座りながらこなすことほど楽しい時間の過ごし方はないと思います。

下の仕事場では、きれいになった楮は束ねられ紙すき職人のもとに送られます。 次のシーズンまで仕事は終わります。 再植林の必要はなく、 5月には、再び新しい芽が出ます。 年間を通して手入れの必要はほとんどありません。 農薬は散布しません。 この地域では楮につく害虫はないし、単にいらない枝を折ってしまうだけです。 しかし10週間ばかりはこのように忙しく過ぎていきます。彼らは、他の 9ヶ月寝てるというわけではありません。 同じ畑の楮の木の間にコンニャクを植えます。 でも、コンニャク作りのことは別の話ですね...

相馬さんは楮の産地でもっとも有名な場所の一つであるこの谷間で楮の仕事をしてきた家系の三代目です。 彼の祖父は福井県からうつって来たのです。 相馬さんの親戚の方々が今も福井に住んでいます。 紙すき職人の山口さんの家の近くです。 彼は、楮の皮を日本中の紙すき職人のもとに送ります。 そして彼はそれを大量に送っています。 手すき和紙は今日「成長産業」ではありませんが、非常に重要な日本人の生活の一部分で、質の高い楮は大きな需要があります。 相馬さんが直面している大きな問題はたとえ季節的であったとしてもこのような労働集約的な仕事を望む労働者を見つけることです。 この田舎の人口はだんだん少なくなっており、労働者を見つけるのはだんだん難しくなって来ています。

午後半ば頃、駅まで送ってもらって同じように 5回のりかえして家へもどりました。 ちょうど娘達がベッドに入る前でした。 日実と富実は自分達だけで一日中朝から夜まですごすということにとても興奮しましたが、問題はありませんでした。 どなたか私の娘達が本当に日本人になったかどうか疑う方にお知らせしますが...彼女達は、今までに私が持ちかえった中で、この焼モチが最高のおみやげだと思いました...!

コメントする