デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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David Stones

それは私達の訪問にあたって特にさい先のよいスタートというわけではありませんでした。私達は駅で会いましたが、彼の車は熱心に説きふせようが、ののしろうが動こうとはしませんでした。そこでJAFに電話をかけて、きてもらい、彼がマジックトリックをかけている間、私達は近くのコーヒー店で待ちながら雨が窓を打つのを見ていました。その作業はありがたいことに短く、私達はまもなく車に戻り、一軒の農家へと向かいました。この古い農家を改修した家には英国人の木版画家であるデイヴィッド・ストーンズと夫人の彰子さんが住み、それは又仕事場とギャラリーもかねています。

彼らは、ここ愛知県岡崎市の山間の村に11年以上も住んでいます。この家を下から上まで改修するに一年間かかりました。その前に名古屋に住み、版画製作にはふさわしくないと思いました。その夜、彼の家のギャラリールームにかかっている版画を見ていた時、彼がいろいろな季節の山のシリーズの版画を見せてくれることになるのですが、『コンクリートのマンションに住んでこれを描いている私を想像できますか?』 まさに、彼は21年も日本に住んでいますが、彼の芸術的能力が花開きはじめたのはこの田舎の谷間の村に来てからです。

彼の作品は、私のものとはぜんぜん違います。浮世絵版画に使われると同じ桜の版木や和紙から生まれたものですが、彼者絵と美人画の古いものとはまったく違っています。彼は、彼のまわりにあるものを版画にします...家の近くで泳いでいる魚、神社の木の橋、日本庭園、川岸の風景... 岡崎での田舎生活の間に、彼の版画はたくさん増えました。彼の作品は力強く、明るく壁一面の絵といったようなものではありません。彼の作品のほとんどは小さく、スケールは内にひめられ、印象は的確にとらえられています。人物を表わしたものは少なく、ムードとしては一様にのどかなものです。デザインと和紙や色は芸術家と彼の環境のように調和しています。自然そのものが彼の作品の大きなテーマになっています。家の近くを歩きまわりながら、彼はいろんな大きさの木々を誇らしげに指さします。『私達がこれを植えたんですよ... 向うのもね...』 それは彼の版画製作の為に使ったものを地球に返すということだけではありません。彼にとって一片の土地の管理人とは、託された時よりもよりよい状態で未来世代へと伝わっていくであろうことを責任を持って確かめることを意味します。彼の山林学は、最近の日本人の自然形態を破壊する商業的やり方とは違って単によりよい習慣をうえつけるということにあり、近くの農夫たちは、彼の最近の植林を見て首をかしげます。

未来を案じるということは、又彼の仕事での行動にも反映されます。その昔、彼に援助を与えた京都の版画家は今では80才代です。誰もその版画家の後をつぐものはいません。近頃の日本の職人に共通したことで、若い世代はよりお金になる刺激的な仕事に群がります。デイヴィッド・ストーンズの役割は、消えようとしている古い職人と伝統的芸術を熱心に学ぼうとするまだ現れてこない若い世代との間の掛け橋のようなものと見ています。もし伝統を守っていくことが外国人の版画家の仕事であるなら、それはそうなのでしょう。彼は伝統を守っていくことでしょう。そうしながら、彼の新鮮な血液をそそぎこむでしょう。そしてもう一世代生きのびる力を与えるでしょう。


私達は彼らのもとを辞します。デイヴィッドは、仕事場にすわり、彼のハンマーの音は彼らの美しい家に新しい版画の出来あがる音として響き、彰子さんは隣の部屋で彼女の生徒の為に茶道の準備をし、外では彼らの若木の一本が窓にサラサラと木の葉の音をたてます... そんな天国のような場所はないと誰が言えますか。

デイヴィッドと彰子さんは版画を見に来てくれる人大歓迎です。彼らはしばしばスケッチ旅行に出かけるので前もって電話をして下さい。彼らの所へは中央高速(岡崎インターチェンジ)か又は列車(名古屋〜豊橋間の名鉄線の美合駅下車)で行けます。彼は駅まで迎えにきてくれます(新しい車で!)
〒444ー33 愛知県 岡崎市 蓬生町字 坊ノ入22  0564(47)3277

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