デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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春章の本

春章の百人一首は一般の人にはほとんど知られていませんが、消失してしまったわけではありません。いろいろな教科書や百人一首の一般的な解説書には春章の画が使われています。これらの複製には常に後で出版された本が使われています。 これについてはおもしろい話があります。

江戸時代には、本はもちろん木版から摺られました、そして、基本的な技術は一枚の版画を作るのも、本を作るのも同じでした。版元が初版の版画や本が売り切れると、注意深くしまっておいた版木を出してきて摺り師に依頼しました。ほとんどの本の最後のページには芸術家や、版元、出版日付等のインフォメーションがのっています。そしてこのインフォメーションは、もちろんそのページ用の版木に掘られました。再度摺る必要が生じた場合、通常その最後のページを直したりはしませんでしたので、時として、いつ本が実際に作られたかを知るのはほとんど不可能となります。 春章の本も明らかに何回も摺られました。というのは色の違う版画が存在することが知られているからです。

私の手本として用いている東洋文庫の本は初版本です。どうして知ってるかって? そうですね。 春章の本は再度摺る場合に違った風にとり扱われました。何らかの理由で、2回目の出版をする時に版元は歌を違った書にしました。春章の美しい書(美しい彫り)は元の版木から削られてしまいました。完全に新しい歌が大橋流の書家「さやまちかゆき」によって書かれました。歌人の姿はそのままでした。元の版木(春章の書の削られたもの)と、新しい書の版木を用いて、後の版画が摺られました。書は、この初版のものと後の版のものではまったく違います。春章のものはデリケートで歌人の姿によく合っています。一方ちかゆきの書も流れるようで優雅であるが、歌人の姿を圧倒してしまいます。(私は両方好きです。この百人一首の企画の始の頃は二つ作ろうと考えていましたが、あまりに大変なのであきらめました。)

春章の書のある版本は今では非常に希で、一度だけ摺られたものであろうと推測されます。 後からの出版の本は神保町の古本屋に時々あらわれますが、保存状態はよくありません。再版が何回かなされたのでしょう。(最近保存の大変よいものがここ東京の古本屋から手に入れられます。原画を手に入れたいとお考えなら'only'¥780,000です。)

これらの江戸時代の版木はどうなったのでしょう? 三つの推測がなされます。 1)春章のものは売れていて、版木をこわしてしまう理由がありませんので、江戸の度重なる火事や地震で消失してしまった。 2)何年もの間、何回も出版され、ついには売り上げが落ち再出版する価値がなくなり、版木は薪として使われたか、他の新しい版画を作るのにカンナで削られてしまった(もし版木が十分厚ければ)。 3)売り上は大変よく、版木はあまりに度々使われ、たくさん摺られ、版木が使用できないほど減ってしまったので、すててしまった。

版木がどうなったか知ることは、おそらくできないでしょう。もちろん、時としてこのことは、私が彫っている版木がどうなるんだろうと考えさせられます。版木が壊されてしまうなどとは絶対考えたくありませんが、時がすぎるとすべては、ちりになってしまうのでしょう。少くとも、私の時代が過ぎ去ってかられであればよいと思います...

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