デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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奥ノ野

 鷹は、古く朽ちはてた農家の上を高く飛んで行く。しかし誰も見る人はいない。風は、山の木々をさらさら揺らせていく。しかし誰も涼しい風が肌をなでていくのを感じる人はいない。冷く澄みきった谷川は岩から岩へと飛びはねながら遠い海へと流れていく。しかし誰もその音を聞く人はいない。

『奥ノ野』、昔から続いてきた開拓地に今は誰もいない。草は腰のあたりまでのび、かつての田んぼ道をおおっている、猪垣(ししがき)はあちこちにかたむき、田んぼや畑はいろんな雑草におおわれ、猪の足跡がそこいらじゅうについている。今では 5年になる...年寄り達が、そのせまりくる年や自然との絶望的な戦いをあきらめ、この山での生活を拒否してきた子供達と生活するのに山を下りた。猪はこの時を待っていた。彼らは長い間待っていた...

奥ノ野に至るには三重県南部の紀伊半島を山の中へと入って行く。電気もガスも電話も車道もなく、近くの村から約、一時間ほど山道を歩く。森の道を登るにつれて、ゆるやかに高度が増していき、他の見捨てられた田んぼの跡が木々の間にかろうじて残っている。 山道を歩いて行くと、谷川の流れの音が下の方から聞こえ、その同じ流れがかつては、これらの段々になった山田に水を注ぎ、ここにかつて住んでいた人々に食物を供給していた。この谷間にかつては、たくさんの人々が住み、農家は次々に長く続き、その一番山奥が奥ノ野である。子供達の声は澄んだ空気の中に響き、緑の山々にこだましていた...

何百年も前、何人かの人々が安住でき、開拓できるくらいのそんなに急でない場所を求めてこの谷間を登っていった。彼らは棒を土につきさし、肥沃な土を堀出しこれ以上さがす必要はないと決めたにちがいない。日本のいたる所の隔離された村はその昔戦いに敗れた平家の落人によって始まったと言われており、この場所がそれを語っている。それは真実に違いない。彼らの声は、夜の風の中に聞かれ、彼らの明かりは、田んぼの上の森の中にある古い神社の近くでゆれている。神社は、高い杉の木で守られている。それらの人々はどんなにか苦労して開墾したことであろう。溝を堀り、家を建てるのに木を削り、急な山に田んぼを作るのに必要な石垣を築くのに用いる何千個もの石を運んだ。 彼らは、これらのことを出来うる限りきちんとやった。この谷間を決して離れることはなく、又彼らの子供がこれをうけつぎ、祖先の努力の上に彼ら自身の成果を築きつづけるであろうということを知っていた。段々になった田んぼは山へとつづき、荒々しい台風がかならずおそってきて、地盤がゆるむことを予測して石はしっかりと積み上けられた。石垣は何百年ももちこたえていた。何百年も、共に働く父から息子へ、母から娘へと。もちろんそれぞれが生きる為に食べる為に、そしてそれぞれが又田畑をよりよい状態で子孫に伝えていく為に働いた。

何百年も...この時まで。その鎖は断ち切れ、田畑を相続していくものは今では猪である。ここに住み、彼らの子供達の声が谷に響きわたっているべき世代の人々は違った生活を選んだ。彼らは交換をした。 遺産も歴史も交換してしまった。鷹や木々や美しい流れと、コンクリートのアパートやスーパーマーケットや車や雑踏や騒音との交換...

5年前、おじいちゃんが田畑を永久に残して、町へおりていった時、最後にふり返って見ただろうか? 祖先のことを考えただろうか? 雑草がおい繁ることを思っただろうか? なぜ?とたずねてみただろうか? 心痛をおぼえただろうか?

私は毎年夏に、町のアパートを離れ、ここにきて、この地に立つ。あたりをみまわし、その変わり様に気がつく。木々は折れ、道をふさぎ、農家の屋根にはもう一つ穴がふえ、石垣のくずれも増えている...そして自分にたずねる、『どうしてほっておくんだ』。おじいちゃんのせいじゃない。彼は一生懸命ここでやり、町に少し住んで、今では村里のお墓に眠っている。彼は自分の役割は果たした。責任があるのは私だ。私の前のくずれた石垣の石の一つ一つが私への静かな非難だ。私は頭をそむけ聞かないふりをするがそのメッセージを避けることはできない。ここを訪れる度に沈黙の響きは大きく執拗になっていく...もどっておいで...もどっておいで...

それに答えるとしたら早くしなければならない。すでに短い 5年の間にすら、損傷は、はげしくもうすぐ手おくれになってしまう。台風は、祖先の成したことを無にし、猪は昔々に取り上げられたものを取りかえすことになる。

今夜これを書きながら、涙が流れました。これを読んで心を動かされない人がいるだろうか?

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