デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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その7:絵の具のいろいろ

松崎さんとの接触により,まったく新しい摺りの技法を学びました。私は、摺りの技術をあげることに焦点を合わせました。そして、天智天皇を何回も何回も試し摺りしました。 以前私はチューブに入った水彩絵の具を用いていましたが、少し顔料を購入しました。これは、日本画に使われるものと同じで、使い方の練習をはじめました。版画に使われる色はチューブから直接出して使うのではなく、摺り師が自分で色を作り出すということに少し驚きました。もちろん、青と黄色を混ぜると緑色になるということは誰でも知っていますが基本色から無数の色が創り出されるということは信じ難いことです。 松崎さんは、版画を摺るのに、ほんの少しの基本色から驚くばかりしっとりとしたさまざまな色を作り出すことが出きます。三千代は、私の色についてのあまりの知識の無さにあきれてしまいました。『学校で習ったことないの?』 そうですね... よく聞いてなかったようです... (それ以来、日本では、小学生全員が、基本の色の混ぜ方、音符の読み方、版画の作り方、泳ぎ方、掃除の仕方、その他... もちろん読み方や書き方や算数を学ぶということがわかりました。)

「摺り師は芸術家」であるという概念は私には天啓のようなものでした。 私は木版画の摺り師は単に芸術家の指示にしたがっているにすぎないと思っていましたが、今ではいろいろわかりました。絵師(デザイナー)は単に墨書きをして、色については少しばかり簡単に指示するか、又はまったくしなかった。美しい浮世絵の色は、ほんとんどが無名の摺り師によって作りあげられたものです。

私は、新しく得た技術を試してみたくても時間がなくてイライラしていました。英会話教室が忙しく、それにテキストをいっさい使用しませんでしたので、準備に多くの時間を費やしました。これに加えて、毎週何百ページも三千代の医学翻訳を手伝いました。しかし私は、この版画シリーズの企画が私達の生活を変えるものになる可能性があるとわかっていましたので前進あるのみでした。20ケース注文した布張りの版画ケースが届き、それに貼るラベルを彫って、摺り、それから和紙で版画を入れるホールダーを作りました(ラベルも摺りました)。私は天智天皇の摺りのいいもの(一番最近のもの!)を選んでケースに入れ準備万端ととのいました。二ケースは私自信の為にとっておこました(二人の娘がいるので将来のトラブルを避けたいと思います)。一つは日本語のコーチ坂崎さんへ、この企画を始めるきっかけを作って下さったお礼に差し上げました。そしてこれを趣味から生計を立てる手段に変えるやり方について考えました。

私は又、難しい決定をしました。英会話教室へ新しい生徒を受け入れないこと。三月の学年の終わりには幾人かの生徒がやめ(入学試験にパスする等)、普通は新しい生徒を受けは入れてきました。版画製作が軌道に乗るやいなや英語を教えるのを止めようと考えているので新しい生徒を何年間か責任を持って教えられるとはどうして約束できましょう。 そんなことはできません。 そこで新しい生徒を受け入れるのを止めました。その結果として収入は月々容赦なく減少していきました。というのは生徒がやめていっても新しく受け入れなかったからです。英語の収入がなくなる前に版画の収入でやっていけるようになるでしょうか。

それは賭けでしたが私には他にやりようがないと思いました。

... 続く ...

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