デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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金子商店

最初に金子商店を見つけたのはまったくの偶然でした。私は版木屋の島野さんを訪ねる途中でした。そしていつものように道にまよってしまいました。東京の元浅草は単純な格子模様の道になっており、曲がりくねっはていませんが、通りや店がまったく同じように並んでいるから目的場所が見つけやすいということにはなりません。毎回この場所を訪ねる時は混乱してしまい、目印をさがしてぐるぐる回り、徐々に目的地に近づくということになります。私は東京に竹皮の店のあることは聞いていましたが、さがしてみたことはありませんでした。幸いなことに、この日はたまたま行き当たり、時間があったので何があるのか見に入りました。

それはもちろん古い店で、私は店という言葉を用いていますが、あまり店のようには見えません。通りから一歩で倉庫に入るような、竹皮の束の山にかこまれてしまいます。ここの人達はどうやって生計をたてているのだろう?そんなにもたくさんの版画職人が仕事をしているのだろうか? そうではありません。 版画職人は、彼らの商売のうちのほんの一部にすぎません。これらのほとんどの竹皮は食物を包むのに使われます。おにぎり、洋かん、その他の食物がラップが開発されるよりも何百年も前からこれらのしなやかで強い竹皮で包まれてきました。そしていくつかの古いスタイルの店では今なお竹皮を用いるのを好んでいます。

近代の日本語の使用は、動物と植物の皮の違いをなくしてしまいました。そして漢字でも両方共通に使われていますが、金子商店の名札は竹の皮の廃語(◆)を堂々とかかげています。この商売は安政(あんせい)時代(1850年代)から続けられ、この現在の場所では明治17年(1884年)から続いています。今世紀になってから 2回火事に遭っており 1度は関東大震災で、 2度目は第二次世界大戦中です。現在の経営者は、金子泰夫さんと金子満夫さんのご兄弟で、お店と97才の母親をみておられます。このちょっとした話を書く為の情報集めに訪れた時、彼らの祖先がいつ生きて、いつ死んだかについてあれこれ議論するのを聞きながら彼らの長い歴史と私自身のそれが非常に短いのとを比べてみました。(私は祖父母が何をして、どこに住んで又どこに埋葬されているか知りませんし、名前さえ知らない人もいます)。

◆についてはこの二人の知らないことはそんなにあるはずがありません。彼らは、どの地方をとっても、版画家に最上の*がどこからみつけられるかを言うことができます..千葉のある特定の場所、大阪近くの場所、群馬の特別な丘でさえ... 竹の構造、厚さや強さは、明らかにそれが育つ土の性質やそれを囲む微妙な気候によって決まります。

関東地方では、◆は 7月に集められます。集められましたというべきでしょう。これは伝統的に子供の仕事でした。村の子供達は落ちた◆を 求めて竹林をさがし、集めた*は束ねて金子商店に送られました。何十年も前のそのような場面を想像するのはたやすいことです...継ぎあてされた夏の着物を着て、わらぞうりをはいた子供達が◆を集めて、いくらかの小銭にかえる為、村に持ち帰ります。今の子供達ではそれは想像しがたいことです。

もしそんなことをしないにしても、宿題やビデオゲームにいそがしくしています。もちろん今日の日本の子供達は、ポケットマネーをかせぐのに丘を狩り歩く必要はありません。だから金子さんが日本で◆を手に入れるのはむつかしく、他に供給源を求めています。それは台湾からです。(もしあなた方がこの青い目の版画家が日本の版画を作るのに日本のではない材料を使わざるをえないことを不思議に思われるとしたら和紙はどうでしょう。いずれ和紙にづいて書く日を待っていて下さい..) 日本全国の美しい◆はその落ちた所にとどまっています。

金子商店の将来はどうなるのでしょう? そうですね、彼らにとっての未来は、彼らが今までずっと続けてきたことを単に続けていくだけのことです...得られるかぎりの最上の◆を購入し、現代の代用品は用をなさないと考えている人々に供給し、それは版画製作者のバレンを包むか、又は伝統的な食物の素朴な包装となるかです。もちろん印刷機はバレンよりも『いい』し、プラスチックは◆よりも『いい』、そして、それらがとって代ることも正当なことです。しかしもし我々の社会が、効率と利益にそんなにも魅せられるとしたら、『ローテク』だけれども『ハイタッチ』(手ごたえ)な◆のような産物はその時にはまさに悲しみの日となるでしょう。

金子さん達は、古い伝統の守護者です。私の版画製作への助力やアドバイスを感謝致します。 そして何よりも、その奇跡の産物である◆を定期的に供給して下さいましてありがとうございます。 そして今からは私も廃語になってしまった古い漢字を使うことにします。(ただ画数がもうちょっと少ないといいのですが...)

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