デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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その6:松崎さん

版下の準備や版木を手に入れることがなかなかうまくいきませんが、この仕事の他の面でいそがしくしていました。版画のホルダーや、収集家の方々が版画をしまっておく布を張ったケースのデザインをしました。ホルダー(和紙で作られている)は自分で作ることができるのですが、ケースの方は時間がかかりすぎるので、いろいろなケースを作る会社をあたってみました。 東京周辺のいろんな会社を訪ねてみましたが、私の場合はオーダーが少なすぎるということに問題がありました。そんなおり佐伯さんが 又 助けてくださいました。 彼は、彼の版画セットのケースを作っている会社をおしえてくださり、そこの戸田正孝さんを訪ねることになりました。彼は、即座に私の要求を理解して、いくつでもたとえ一個でも作ってくださるということでした。値段も適当で、私はサンプルとしてブルーの布張りのケースを20個注文しました。まだ、次の版画を彫る版木が手に入りませんでしたし、次の版画を彫る為の版下の方法もまだみつけられずにいました。皆さんに見せるほどの版画を作ることすらまだできませんでしたが、私はひたすら前に進み、どこまでいけるかみてみようと決心しました。

3月初め、大きなきっかけがやってきました。英語の生徒の一人が、木版画の実演をする『カルチャーセミナー』案内がのっている『毎日ディリニューズ』の切り抜きをくれました。幸いなことに、それは英語のクラスのない月曜日に行われ、私は出席することができました。講義そのものはたいくつで、典型的な日本の大学タイプの講演者が不可解な名前の一連の芸術家の誕生日についてどうでもいいような調子でものうげに話していました。浮世絵の歴史は、実際にその文化と芸に発展したり衰退したりする芸術家の大変おもしろ話しがあるのですが、そのようなことは一言も聞かれませんでした。しかしながら、話が終わって実演が始まると、違ってきました。彫り師の方は伊藤進さんでした。彼については将来このニューズレターに書かせていただきたいと思います。摺り師の方は? それは夏号で紹介させていただきました松崎啓三郎さんでした。

彼の仕事を見ることは、天の啓示のようなものでした。このことに先だって私の最初の来日は 7年前でしたが、私の版画製作についての知識は当時初歩的で、何を見ているか本当には理解できなく、ほとんど何も学ぶことはできませんでした。カナダにもどってからの何年間かは、まったく一人でやってみました。それは、試みと失敗というくり返しで、いくらかの成功と多くの失敗でした。私の小さな娘は『自分でできる』とよくいいました。新しい分野にとりくんだり、新しい技術を開発するのはこのやり方がうまくいきますが、伝統的な技術については、自分でやってみて技術を上げていくというやり方は無理なことです。私はこの出会いを待っていました。

その夜に書きとめた日誌が語っています...『無駄な動きなし、静けさ、穏やかに加える力、緊張しない』...この時までの私の経験は版画製作過程の機械的なこと...どれぐらい糊や水を使うか...に焦点を合わせていました。もちろんこれらのことは重要ですが、職人さんの『精神的』な状態とは比べものになりません。そしてその日は短い時間でしたが、次の週、彼の家を訪ねて一日すごすことにより、本当のことについて松崎さんから垣間見ることが始まりました。レッスンは続けられていきます...

私は版木がどうなっているか知る為に島野さんを訪ねました。そしてちょっと...  彼の親方が仕事をやめて、島野さん一人で仕事をすることになりました。二人分の仕事量ではないが、一人でするには多すぎる仕事量とのことで、いつ版木を届けてくださるかについての私の問いには、彼は肩をすくめるだけでした。もちろん彼の長年の顧客は優先し、新しい客は、待たなければなりません...そう、待ちました。

... 続く ...

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