デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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Odds and Ends ...

最近ニューズレターを読まれて少しばかり混乱されたであろういくつかのことについて説明する時がきたと思います...

彫り師井上さん  前回のニューズレターは彫り師井上新七郎さんの仕事場を訪ねた時のことだけを書きました。そのことについては最後の章で『説明した』と思ったのですが、その後、あなた方の何人かと話しているうちに、説明が足りなかったとわかりました。井上さんは江戸時代の人で、私が複製をしている原本の彫り師(親方)でした。彼の仕事場への訪問は完全に想像上のものです。

江戸時代の仕事の状況についての記録はほとんどありませんので、私の説明がどれくらい確実でしょうか? その当時の出版社(文字どうり数百ありました)のいくつかは、私が記述したような職人部屋を持っていたことは知られています。一方他の職人は自宅で仕事をしました。井上さんがどこで仕事をしたか私にはまったくわかりません。

春章の本は、私が記述した伝通院の前の『雁屋』から出版されました。その本の春章の序文には1774年 1月にあたる日付がついています。出版社の情報ページには1775年末と記述されています。この本を作るのに 2年も本当にかかったのでしょうか? その当時の職人は非常に早く仕事をしましたから、そんなに長くかかったとは考えられないのですが、年の変わり目には、たくさんの本が出され、これは、 1月カルタのシーズンに特別の感心がもたれます。たぶん1775年の新年には間に合わなかったので、版木はしばししまっておき、次の新年に間に合うように1775年末に作り終えるように又とり出したのでしょう。 私達には知るよしのないことです。

井上さんの仕事に対しての態度と私の記述は、もちろん推測です。それは今日そのような男達の間に見い出される基本的な態度で、私は江戸中期の職人は彼らの仕事に対しもっとひた向きだったと想像され、娯楽や、気晴らし(教育、旅行、メディア等)もずっと少なかったでしょう。

鮫皮  何刊か前のニューズレターで、風呂の中に浸している鮫皮の写真を見られたと思います。そしてたぶんどうしてかなと思われらたと思います。このことについてはまだ教えませんよ。 私は、いろんな話を書こうとしています...木版画作り、過去の職人の生活、百人一首の歴史... これらのどれもが始まりと終わりがあるようなわけにはいきません。この企画が行われていく年月とともにこれらのニューズレターも書いていくから、それらのことについては少しづつ少しづつ私に可能なかぎり書いていきます。細部が埋めこまれるにつれて徐々に明らかになっていく全体像のある大きなモザイクを作っているようなものです。これは私が何かを学ぶときのやり方で、それが次へ伝えていく唯一のやり方です。どうぞがまんして下さい、終わりにはすべて明らかになります。そして、少くともめちゃくちゃなぬかるみではなくなるでしょう...

百人一緒  どうしてこの名前を選んだのでしょう?それは単なる語呂合わせとそれ以上の意味合いがあります。この企画の初めの頃、これによって実際に生活していけるか、又はこれでは完全に経済的に支えていけないかについて考えざるをえませんでした。版画作りは極端に時間のかかるもので、大家さんは家賃を待ってはくれません。

私は大きな紙をとり出した(悲しいかなコンピュータ用紙ではありません)。そしていろいろ計算してみました。私は、版木、和紙、及び他の材料費を合計しました。これらの材料は大変高価で、一枚の和紙が 500円以上、各版木が一万円以上、バレンは五万円です。私はホルダー作り、包装、郵送を手伝って下さるパートタイムの方の賃金も計算にいれました。写真のひきのばし、展示会や宣伝費その他考えられるこれらのすべてをミックスし、それにもちろん日々の生活費、部屋代、食物、その他を加えました。 私は私のやり方で計算して、それぞれの版画を毎月 100枚づつ作り、 1枚一万円で販売するとしたら、版画材料費、税金及び基本的な生活費を出して、少しばかり貯金もできるとわかりました。

私は、そんなに時間におわれないで 1年に10枚の版画を作ることができると計算しました。彫りに約 3週間かかり、 100枚摺るのに、色の数にもよりますが、 4日〜 1週間位かかります。そこで 100はマジックナンバーのようでした。 そしてそれが私のゴールです。 100人の収集家...百人一緒。

私は毎月 100枚の版画を作ります。二人のパートさんが 100枚全部のホルダーを作り、包装し目下の収集家の方々の分を郵送します。後から収集に加わって、毎月 2枚づつ集めて下さっている方々にも同様です。残りは私の仕事場に保管します(毎月少しづつ少くなっています!)。最初の年の終わりには15人の収集家の方々がいました。  翌年は25人。 そして昨年は38人になり 6人はやめられ、 9人が 1月の展示会の際に加わってくださいました。このシリーズを終わるまでに 100人に達するでしょうか? どうでしょうね。せめて一ヶ月の部屋代ぐらいは前の月に用意できるといいのですが、しかしそんなことはまあそんなに重要なことではないですね。私は仕事を楽しんでいるし、子供達は元気に成長しています。その他に何がありますか?

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