10年前に来日した時に、何年か前に聖作された木版画を吉田遠志氏から買いました。それは、福井県の大滝にある大きな朱塗の鳥居をあらわしたものです。吉田氏は、この町の紙漉きをしている方を訪ねられたおりにスケッチされたものにちがいありません。というのは、ここは、昔から紙漉きで有名な所だからです。何百年もの間、ここの住人の主な職業は、江戸時代のこの地方の呼び名である『越前』からつけられた、越前和紙を作ることでした。
8月の終わりのある朝、私の家族がこの村を通ってゆるやかな坂を登っていた時に、吉田氏の版画にでてくる風景に出会いました。そのながめはそんなには変わってなく、石の燈龍が守護し、わらぶき屋根は道路をまたいで立っている、大きな鳥居のそばに立っています。年の流れによる変化は、舗装された道路、ファミリーストアー、そして古い仕事場にとってかわって、工場からの紙の束をつんだトラックがこの鳥居をぬけて走っていくことに表れています。
私達は、朝早くホテルを出ましたが、仕事場についた時にはその日の仕事はかなりすすんでいました。山口和夫御夫妻は、木の皮をその芸術的作品であるすばらしい和紙に変える仕事で忙しくしています。彼らは、実際の紙漉きの仕事の前の最後の準備をしていました。和夫さんは細かくした楮『こうぞ』の繊維の山を洗っており、絹子さんは、木の皮の黒い不要な部分をとり除いています。
この部屋で、15才の和夫さんが初めてこの仕事をしたのは、終戦後数ヶ月たった時で、この工芸職人の 7代目になりました。その時から彼は、楮繊維の入った桶にかがみこみ、竹の大きなスクリーンを持ち、つけてはゆすり、つけてはゆすり、一枚の紙が形づくられるまで一週間に 7日ここですごしてきました。45年後の今、彼の傍に立って見ているうちに、彼の仕事がどんなにきびしいものかと言うことにびっくりしました。木枠をゆっくりと前後に動かしている間、彼の目は出来上がってくる紙のすみずみまで目をはしらせて、ゴミ等問題になるものに注意を払います。何気なく木枠の角を持ちあげて繊維のかたまりを木枠の外にほうり出します。少しだけ強くゆすって厚い部分をなめらかにします。彼は、出来上がってくる紙を完全にコントロールしています。
だんだんと時間が過ぎ日の光は部屋の中まで伸び、桶の中の楮の繊維をてらし、それを不透明な液体のシルクに変えます。和夫さんの動きにつれてその液体も生き物のように動きます。紙はだんだん高く積み重ねられ、日が沈み、仕事が終わる頃には 100〜150枚の紙がてきあがるでしょう。2~3日のうちに、水が切られ、古い圧搾機にかけられ、広い板の上でかわかされ、ついには、待ち切れないでいる日本の、又カナダやヨーロッパの版画家のもとに送られるでしょう。
かってこの場所は、山口さんのような人々の仕事場でにぎわっていましたが、長い間に、一人二人と、パルプを用いた機械作りに変わったり又、若い後継者がないためにやめていきました。今日では、父親のあとをつごうという若者は非常に少いのです。特にその仕事が一ヶ所に立って、古いやり方と同じことをくり返す場合はなおさらです。山口さんの作るような紙の需要は高いので、注文をことわらざるえません。一人の人間が桶に手をつっこんで立ってられる時間は限られています。
材料の仕入れも又問題です。楮の栽培も、刈り入れも、人手を要し、基本的に報いられない仕事で、充分な原材料の供給がだんだん難しくなってきています。毎年毎年栽培者が減っていきそして皆同じように言います...年とった人にかわって働く人がいないんです。心配になって将来の紙の供給について彼にたずねますと、笑って心配しないようにと言います。彼は私の版画シリーズが完成するまで 7~8年は確実に紙を作ることができるでしょう。しかしその先は...彼は肩をすくめるだけです。
このあとのニューズレターで山口さんのことをもっと書くつもりです。和紙は、私の仕事で大変重要な部分をしめています。版画には、他の紙を使うことは絶対にできません。摺りの過程でしめった紙の裏をくり返しこすれば西洋紙や弱い和紙のほとんどはだめになってしまいます。楮が材料です...山口さんがそれを紙にします。彼の紙を使って版画を作り始めてから、完成した版画を山口さんの所に送り続けています。私は、彼がどんなに重要な役を演じているかということを十分に意識してほしいと思います。通常は、ひとたび紙が山口さんの手を離れると二度と見ることはありません。しかし私は、山口さんが桶の前に立っている時に最終作品を心の中に描いてほしいのです。この版画シリーズの企画の一つの大きな楽しみは、木の皮、鉄のかたまり、土のかたまり、鮫の皮、竹の皮、とあげていけばきりがありませんが、これらから作られていくものの全課程を見ることです。
次に版画を受けとられた時に紙の右端を見て下さい。和紙山口和夫という言葉がすべてを語っています。
もっとも古い伝統への献身に対して山口さん御夫妻に心から感謝いたします。
I'm Kazuo's daughter.Thank you for writing this article.When I was watching the Internet,I found this site accidentally.I was glad to read it.