デービッド・ブルが発行している季刊誌「百人一緒」に掲載された記事です。

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その2:春章の本

春章の原本を見に出かけました ... 東洋文庫は、わかりやすい場所で、東京本駒込の有名な六義園の近くにあります。 私は、その本を見せてもらえるだろうとはあまり期待していませんでした。 というのは、以前、他で版画のコレクションを見せてもらうことができなかったからです。 シカゴの Art Institute、 カナダの Royal Ontario Museum、 又 太田美術館及び東京の国立美術館でも、そこにしまってある版画のいくつかを見せてほしいと思いましたが、許可されませんでした。 彼らは、同じことを私に質問しました...『あなたの大学はどこですか』。 そして、私に学位がないのがわかると、そそくさと会見は終わりました。

東洋文庫では、そのような問題はありませんでした。 スタッフの方が私の希望に耳をかたむけ、地方の図書館長からの手紙を見てくださいました。身分証書用紙にいろいろ書き込み、私は中に入りました! 私は、そこのカタログシステムに慣れていなかったので、小山さんが、必要なカタログ番号等を見つけるのに時間をさいてくださいました。 私の研究の為にその本を持ってきて下さり、テーブルに本を置くと、それを勉強する為に一人にしてくださいました。

そう、やっとたどりつきました。 長年本でいろいろな浮世絵版画の複製の研究をしたり、展示会で遠くからじっと見たりしましたが、今『本物』を手にしているのです。 そしてそれはとても美しく、江戸時代の版画を、本の挿絵でしかみたことのない人や、どこかの屋根裏で見つけたぼろぼろの古い版画を調べたりしている人には、それらがどんなに美しいか、想像できないでしょう。 それは版画の表面に単に芸術家のデザインを見ているというのではなく、それを作るのに手をくだした全部の職人の専門技術の蓄積を手に持っているのだということです。 紙のやわらかさ、摺り師の手のひらで圧迫されてできた浮き出し、やわらかい色のとけあい...これらのほとんどがどの版画についての本にも表われてはいません。 私の版画や、今日作られている他の版画が古い版画の美にちかずくことは出来るが、古い版画の渋みを持つにはあまりにもぱりぱりで新しい。 新しい版画の紙のドーサがやわらかくなり、そのようなフィーリングが出るまで十分にやわらかくなるにはかなり年月がかかるでしょう。(あなたよりも、お孫さんの方がより版画を楽しむでしょう)

私は、数時間その本のページをめくるのに費し、だんだんと春章の作品に親しんでいきました。 前に図書館で小さな挿絵を見た時に感じたと同じ思いにうたれました。 それは、あたかも春章が、一人一人の歌人の性格のちがいを出そうとしているかにみえました。 これは、私が見なれているほとんどの浮世絵の顔がその個人的表情にとぼしいのに対して正反対です。 誰もが有名な春信、歌麻呂、北斎、等は、知っていますが、春章については専門家以外はあまり知らないようです。

あまりにも早く家へ帰る時間がきて、最後にもう一度ページを繰ってから、残念ながら本を返して、その場を離れました。 家に戻って、羽村図書館から借りた本をみながら春章の本の最初のページ、天智天皇の複製を作ろうと決心しました。 この時点では、これらの版画シリーズを作ろうという考えはまったくなく、単に私がおもしろいと思った版画を作りたいと思っただけでした。私は、その本から版下を準備し、版木に貼りつけて彫り始めました。それは、1988年の一月で、一年後の1989年の一月に出来あがりました...

... 続く ...

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