冬ごもり
ある本について、お話させてください。それは、今この文章を書いている机の上にあります。一体いつ頃出版されたものか、正確なところはわからないのですが、どのような観点から見ても明治の終わり近くのようです。「本」と書きましたが、こう言ってしまうと中身について勘違いされるかもしれませんね。中にあるのは絵だけ、文章はまるでなくて、言葉のひとつもありません。木版画で作られているこの本の絵師は柴田是真、当時、ここにあるような作品だけでなく、漆製品や根付などのデザインをしたことでも良く知られていた人です。
連続する絵が何かを物語ることはなく、かといって共通の題材があるわけでもなし、季節的な順序もありません。彼の作品を、まったくでたらめに放り込んだような感じです。白い空間がたくさんあって、絵がまばらにあるといった風。手に取った人は、数秒間でページをめくり終えてしまい、あとは脇に置いて... あくびをして... ほとんど見るところがない... と思うかもしれません。
でも、むかしむかし... 現代とは、ちょっと趣きの異なる社会があったのです。ほとんどの人たちにとって、絵というものが日常生活の一部ではない状況でした。テレビも映画もなく、新聞も雑誌もなく、目の前に「絵」の行列が止めどなく続くこともない状態だったのです。肉筆画も版画も、あるにはありましたが、今日に較べれば遥かに特別なもので、一般の庶民が毎日のように目にするような存在ではなかったのです。
さあそこで...御自分がそんな時代にいる誰かだとしてみてください。そして、是真の本を手に取ったとしたら、どんなものを御覧になることでしょう?絵のひとつひとつを、じっくり飲み込むように見つめるでしょうか... そうしたら、本の中にある物や場面の、本当の感覚をつかみはじめるでしょうか。
この是真の本は、きっかり24頁で作られていて、この絵が最初を飾っています。みなさんの玉手箱の中にも、ちょうど同じ枚数の宝を収め、その最後を同じ絵で静かに閉じることにいたしました。どうか楽しんでいただけるようにと、心から願っております。 では、また...
David