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「自然の中に心を遊ばせて」 : 第十章 : 春の川 : 抜粋

今日はどう考えても、出遅れてしまったようだ。今朝は日本晴れだったので、僕はキャンプ行きを決断したのだが、だんだん増えてきた雲が太陽を隠してしまった。午後も大分過ぎたので、何か新しいことを発見する時間はないだろう。でも、明日はきっといい天気になるだろうから、チャンスに備えて早起きしよう。

ここ数日間の豪雨の形跡が、川辺に沿ってずっと見られる。降った雨が急傾斜の土手を流れ落ちるとき、たくさんの葉や枝などの残骸を水辺に運んだに違いない。そんな残骸が、現在も流れに運ばれているのが見え、水はかなり濁っている。数日もすれば再びきれいになることだろうが、目下のところ、水に入りたくはならない。ま、どのみち泳ぐつもりはなかったけど……。

川辺に沿って左の方を見ると、崖の上にある木の上空に薪を燃す煙が上っていく。この煙の出所は分かっている。駅を降りて歩いていたとき、かなり古びた小さな家があり、そこで一人のおじいさんが小さな釜に焚き付けと薪をくべていた。釜から突き出たパイプが家の壁の中に繋がっていたから、きっとお風呂を沸かしていたのだ。彼はこの川辺にしょっちゅう来るのだろうか。もしも僕の家がこれほど川に近く六十秒くらいの距離だったら、ちょくちょく下りてくるだろうか。それとも、しばらくすれば慣れっこになってその気もなくなるだろうか。いずれにしろ、毎日下りてくる必要はないのだから、近くに川があるだけで十分だろう。自然や公園に対するほとんどの人の気持は、きっとそんなものだろう。実際に利用することはなくても、近くに住みたくはあるのだ。この話を読んでいるみなさんは、僕に現場へ行ってもらい、その報告を聞けば満足だろうか。それとも、いつか自分の足で行ってみようと思うだろうか。

 

川の流れはかなり速いのだが、水中にある大きな岩が防壁のようになって水溜まりを作っている場所が、岸辺に沿ってあちこちにある。そんな場所の一つで、チラチラする影が水の上に見える。近寄ってみると、アメンボウの群が足を広げてスケートをしているように水面上を動いている。彼らがこの静かな場所を選んだ訳は分かるが(流れのある場所だったら呑まれてしまいどうしようもないだろう)一体何をしているのだろう。ほとんどは、特に何をするともなく滑り回っているが、数秒毎にあちこちでピョンと飛び上がる。動きが速すぎて確かなところは分からないのだが、足全部を水面から離している様子だ。空中高くは飛び上がらず、せいぜい五ミリかそこらで、何かをつかんでいるかどうかは分からないが、食べる虫が何であれかなり小さいはずだから、どのみち見えはしないだろう。かつてアメンボウについて読んだことがあるので、彼らが水面を歩くメカニズムはおおよそ理解している。体が極めて軽いために表面張力を崩さないのだが、分かっていてもこうして動き回っているのが信じがたい。人間の僕が感じる水の感触からは理解できない……。それから、彼らは水を飲むのだろうか。もしも飲むとしたら、凝縮しようと引き合っている分子のバランスをどうやって崩すのだろうか。

昆虫について、僕が不思議に思うことは他にもある。今は春だから連中は出てきているが、数か月前の寒い冬にはほとんど虫を見なかった。夏から次の夏へと変わる間、彼らはどうしているのだろうか。暖かい時が来るのを待って、冬の間はどこかに隠れているのだろうか。東京のような場所なら、なんとか理解できる。冬といってもそれほど寒くならないから。でもカナダの大草原のような所は、たくさんの昆虫がいるのに冬は猛烈な寒さになるのだから、およそ信じがたい。どんな生き物にせよ冬を越せるはずがないほど寒いのに、一体昆虫はどうするのだろう。

別の可能性として当然考えられるのが、卵で越冬するという手段である。成虫が寒さで死ぬまでに、安全な場所に卵を産みつけるのだ。こういう手段もあるだろうが、僕が目撃した何種類かの昆虫には当てはまらない。その一つが蚊だ。僕は版画制作に水を使うので、いつも傍に桶を置いているが、夏の間は頻繁に水を取り替えないと、時折ボウフラが湧いてしまうことが分かった。桶の中に蚊が卵を産みつけてしまうのだ。そこで、もしも夏の間に産まれた蚊の卵が同じ季節に成虫に育つとしたら、春一番の蚊はどこから来ることになるのだろうか。数少ない頑健な個体が冬中どこか安全な場所に「隠れて」いて、それが春になって出現し次の季節に発生する大量の蚊の親になるのだろうか。そんなことはありそうもないが、他にどんな説明があるのだろうか。

 

対岸は、空を背景に黒い輪郭を見せるだけになっていて、木々の細部はもう分からない。薄暗がりの中を時々石につまずいたりしながら、水辺に沿って歩いていると、もう僕の一日は(少なくとも「行動」できる時間は)終わりに近づいていることが分かったので、方向を変えてテントに戻ることにする。すると、視界の端の方で何かがサッと空中を過ぎる。僕は夕方、家のベランダで同じような体験を何度もしているので、今起きたことがとてもよく分かる。観察しようと空を見上げると、たくさんの小さなコウモリが飛び交っている。

彼らの行動は見ていると面白いので、テントに戻るとエアーマットを入り口から半分引き出して、セーターとジャンバーをしっかり着込み仰向けになる。薄暗くなった空を背景に彼らのシルエットが見渡せるようにだ。コウモリは、夕方鳥たちが巣に戻ってから真っ暗になるまで、昆虫が安心して出てくる束の間に出現する。鳥についてはトンチンカンなことばかり書いている僕だが、コウモリにはちょっと興味があるので、彼らの生態はかなり良く知っている。コウモリが夕暮れの空を飛ぶ姿を見て最初に気づくことは、あっちこっちに突然方向を変えたりして、不規則でめちゃくちゃな飛び方をするということだろう。良く知られているように、彼らは反射音を利用して獲物を取る。僕は今まで、コウモリが口を大きく開いて昆虫などを捕らえているような印象を持っていたのだが、これは正しくなかったようだ。彼らはほとんどの獲物を、両方の翼と尾の皮膜ですくうように捕獲しているらしい。そうして捕獲した昆虫を、飛びながら口を伸ばして食べるらしいのだから、彼らの飛び方が不規則になるのも最もだ。

コウモリは、平均して一時間に一千匹の昆虫を捕らえるという。この数を聞くとちょっと信じられないが、計算してみると三から四秒間に一匹ということになる。彼らがすごい速さで空を飛び交う様子を観察すれば、あり得る数だろう。もっと信じがたいのは、彼らのこんな猛攻撃を受けても、なお生き残る昆虫がいるということだ。今、目の前には何十匹ものコウモリが飛んでいるが、この饗宴が毎日開かれている! 昆虫の繁殖力がいかに猛烈かをはっきり証明しているようなものだ。昆虫の繁殖を抑制するこの要素が消えたら、地球は数日で虫だらけになってしまうだろう!(昆虫の繁殖で思い出した。今夜寝る前に水辺の岩のところへ行って、さっきの「ダンスの大集会」がどうなったか見てこなくては!)

何匹かのコウモリは他のよりも幾分大きく見えるが、それはきっと僕に近いところを飛んでいるからだろう。こんなに暗くなって、しかも素早く移動されたのでは、きちんと目の焦点を合わせられない。時折、翼のはばたきを感じるほど近くをヒューと飛び過ぎるのがいる。ニュッと手を伸ばしてつかんでみたらと思うが、まず不可能だろう。ちょうどその時、別の動きが僕の視界に入る。黒っぽいものが突然、川向こうの真っ暗闇から飛び出した。音を立てず流れるように美しい動きで視界を過ぎり、テントの上を通過して木々の暗闇の中に消えた。

 

数分で「事務所」に到着。川を見渡す大きな岩は、冬に来たとき、ひなたぼっこをして何時間も過ごした場所だ。なだらかな斜面のあるその大岩を見つけるとシートを広げ、重要な役目を果たすための場所に落ち着く……何もせずにいるという役目だ!

この企画を考えていたときには、どんな日々になるかということが気がかりだった。僕は基本的に自分ひとりで版画制作をしているので、買い物か何かの用事でもなければ、朝から晩まで誰とも会わずに過ぎるのはいつものことだ。だから、ひとりきりで終日過ごすのはまるで問題がない。だが、一日中家にいて「何もすることがない」ということはまずない。なぜなら、僕の仕事は非常に多岐に渡るので「何もすることがない」などということはまったく起きないからだ。毎日、版画制作を始めとして帳簿付けや顧客管理をし、随筆の執筆から家の雑用もある。たいていの日は、ひとつの仕事からすぐ別の仕事へかかり、その仕事が終わればまた次の仕事が待っている。

でも、何もせずに休暇を過ごすという経験はしているはず? ところが実際は、「砂浜で日がな一日寝そべっている」というような「何もしない」休暇を取ったことは一度としてないのだ。この点においては、全てが相対的なものだと思う。例えば、毎朝満員電車に揺られてオフィスに通勤し夜遅く帰宅するお隣さんから見たら、僕の毎日は休日の連続みたいだろう。のんびりと好きなことをして過ごし、上司からの圧力を受けるでなし、時間を気にすることもない。

僕は比較的ストレスのない日常を送っているが、それでも仕事は仕事であり、しなくてはならないことで一杯だ。だから、自然の中でのキャンプは僕にとって休暇のようなものだが、さっきも書いたように、切れ目のない仕事からくる緊張や混乱に満ちた日常から開放されても、動き回ることなく我に返る時を静かに味わうことができるか疑問だった。

でも、このシリーズで決めたキャンプはそろそろ季節を一巡りするので、答が見えてきた。全体として、家での忙しい生活から戸外での何も計画しない日々への切り替えは、かなり上手くできていると思う。かといって、何もせずにいる達人になったなどとは言わない。僕の書いたことが示しているように、心の中を空にして禅の境地に達するかのような時は過ごしていないのだから。何か刺激を受けて興奮することが多い環境なので、僕を試すには不向きな場所のようだ。答えを知りたくなる疑問がどんどん出てくるのだから。

それでも、最初に自分で決めた基本ルールはほぼ守っている。好奇心や探検心に駆られて動き回るようなことはしない、という決まりだ。座ってじっと待とう、静かにしていよう。そして、こちらにやってきたものを見る。実際そうしていたら、一年間書いてきたように面白いことが僕の方へやってきた。