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「自然の中に心を遊ばせて」 : 第八章 : 冬の森 : 抜粋

前回、森までずっと歩いていったのがとてもよかったので、自転車を使うなどということはもう考えられない。家からキャンプ地まで歩いていくと、徐々に気持が切り替わってとてもいい。少しずつ人家がなくなり、森の小道を進んでやっと目的の場所に着く頃には、ゆったりと時を過ごす心の準備が整っているのだ。

今日も、とても穏やかな気分で歩く。しとしと雨は霧雨に変わり、気にならなくなる。見通しのいい場所に来ると、目的地である丘が見えてくる。斜面全体に帯状の霧がかかり、遠くなるに連れて段々と景色を薄くしている。まるで山水画の中で一夜を過ごすみたいだ。林道を進んでいくと、一月に降った大雪が、木々にかなりの損傷を与えたことが分かる。登り道はかなり急で、その上を覆うように斜めに伸びる木々がたくさんある。下から見上げると谷の中央に向かって落ちてくるかのようだ。実際、前回来た後に倒れた木がたくさん見える。町中でも、送電線や線路の上に倒れた木がたくさんあるとラジオで聞いていた。この森でも、雪嵐に耐えられなかった木がたくさんあったのだろう。この森はまるで手入れがされていないので、倒れたらそのままだから……。

道の何か所かに木が横倒しになっていて、その一つは右上の斜面から落ちてきた桜の大木で、完全に道を封鎖している。なんとか通れるようにと、誰かがチェーンソーで枝の一部を切り落としたのだろうか、絡まり合う枝の間にトンネルができている。横たわった状態から大まかに推定して、高さが十二メートルはありそうな木で、上の方は枝が大きく広がっていたらしい。壮観な姿だったことだろうが、今となっては倒れて散らかっているだけだ。こんな急斜面で不安定な場所で育つことを「選んだ」のだから、避けられない運命だったのだろう。

地面に散らばる落ち葉に当たる雨が、絶え間なくパラパラと音を立てている。林道が終わると、僕の進む道は急坂となる。足元に視線を向けながら登るので土に落ちる雨粒が見えるのだが、それが凍ってきているようだ。五分ほどして坂を登り詰める頃にはこの変化が完了し、もう雨ではなく雪になっている。今日の天気運はいいかも知れないぞ! タイミングもよかったかな。

 

驚いたことに、朝までほとんど眠り通す。夜中に何度か浅い眠りになっても、辺りが真っ暗なので寝返りを打って再びまどろみの中に戻ってしまった。浅い眠りが何度目かにやってきたとき、テントの中に早朝の光が満ちているのに驚く。ぐっすり眠った!

朝になると、テントの中はまるで様子が違っている。頭上には見慣れたドーム型天井があって、中には三人くらいが快適に過ごせる空間があったのに、今はまるでピラミッドが潰れたようにへこんでいる。寝袋の中に入ったまま起き上がって座ることすらできない。これほど変形するとは、よほど大量の雪が降ったのだろう。

雪の重みで天井を支えるパネルが落ち込み、壁の部分は内側にへこんでいる。どうなっているのか外から見てみたいので、中から叩いて雪を落としたい気持を我慢する。狭い中でどうにか服を着て、入り口のファスナーを開けると……。

目に入ってきた景色を表現するのにピッタリな言葉は、「すごい!」の一言。どこもかしこも雪だらけ。どの木もすっぽり雪に包まれ、どの大枝も細い小枝も雪の中。テント入り口のすぐ前にぶら下がっている枝を見ると(昨夜こんな枝がここにあったっけ?)たくさんの雪がくっついていて、最も細い小枝でも太さが三センチ以上に膨らんでいる。また雪は、水平な面全てに積もっているだけでなく、垂直に伸びる幹にもくっついているのだ。ここから見るかぎり、どの木もまるで幹肌が見えない。見渡す限り、ほぼ一帯が白で覆われている。空を見上げると、雲一つない快晴! なんて運がいいんだ!

 

麓(ふもと)の方からラジオ体操の音楽が聞こえてくる「イチニッ、サンシッ……イチニッ、サンシッ……」。こんな素晴らしい景色が広がっているというのに、体操なんかしておかしいなあ。チャンスを無視して「いつも通り」にするつもりなのだろうか。きっとそうだろうなあ。僕だって、いつもはそんな風に暮らしているんだから批判なんかできないよ……。

覗いている双眼鏡を動かしながら遠くを見ていると、どこもかしこも同じに見える。どの木も白い布ですっかり覆われているかのようだ。でも、数分くらい同じところを見ていると、動きが捉えられる。雪の固まりが崩れ始めて滝のように落ちると、それが連鎖していく。こんなシーンを撮りたいカレンダー専門の写真家がいたら、急いだ方がいいな。

ここでも同じ現象が起きているので、尾根沿いに歩き続けていると、何度か落下する雪の固まりの直撃を受ける。分かったぞ、立ち止まって景色を見たくなったら、まず真上を点検することだ。枝の下でなく、ぽっかりと空が抜けて見える場所を選ばなくては。すると、目の前に続く小道の中央に、きちんと一列に並んだ足跡を見つける。動物の足跡だ! 僕の方に向かって進んできているのだが、途中で横に逸れて茂みの中に入っている。まだ付いたばかりらしく、どんどん落ちてくる雪に消されることなく、くっきりしている。こっちにやってきて僕の気配を察し、避けるように横道に逸れたのだろうか。じっと耳を澄ますが、もちろん何も聞こえない。

去年の夏に川辺で足跡を追跡した後、図書館に行って動物の足跡について調べたので分かるのだが、これはきっと小さなタヌキだ。この動物の足跡は犬に似ているのだが、左右の足跡が横に広がらず、ほぼ直線上を進んでいるのだ。あ〜、こいつが小走りに歩くところを見たかったなあ。もっと静かに歩くようにするといいのかな。

 

テントまで半分ほど戻った辺りの小道をちょっと外れたところに、古くてあまり手入れがされていない小さな社(やしろ)がある。見上げるような杉の木やこんもり茂った植え込みに囲まれて太陽の光があまり届かない場所で、入り口の両側にある狛犬も屋根もまだ厚い雪で覆われている。敷地の端の方にある赤いものが僕の注意を引く。小さな小屋があって。その外壁に何かが山のように積まれているのだ。一番上に乗っかっているのは両目が入れられたダルマだから、どんど焼きを待っているのだろうか。厚く積もった雪の中から出ているのは、ダルマの顔の部分だけで、頭にかぶった冷たい雪の重みで眉毛に皺が寄り、まるで人間みたいな表情をしている。とても不機嫌そうだが、僕にはおでこの雪を払いのけてやるくらいのことしかできない。まったく同じようなダルマが僕の仕事場にあって、百人一首シリーズを制作していた十年間、ずっと僕を見守ってくれていた。シリーズが完成するともう片方の目も入れたのだが、そうすべきと知ってはいても彼を神社に持っていくことはとうていできなかった。いつまでも家に置いておくと、ダルマに課せられた使命を妨害して不運を呼ぶのかもしれないが、苦労を共にしてきた忠実な相棒を炎に投じるなんて心ない行為のように思えるのだ!

ダルマの後ろには、色褪せた千羽鶴の束がいくつもフックからぶら下がっている。ひっそりと森にたたずむ小さな神社の冷えきった片隅にある、もの言わぬものたちの背後には様々な人間模様が隠されていることだろう。でも、そんなことにかまけていても仕方ないから、春の日差しが注ぐところへ戻るとしよう。あれ! 僕、「春の日差し」と言った! まだ二月なのだが、今日はまるで暖かな春の日和だ。連続して起きたことが事実だなんて。昨日の午後は冷たい雨の中を重い足取りで登ってきて、夜は湿っぽい雪の積もる寒いテントの中で縮こまり、今朝は雪が何センチも積もった小道を苦労しながらとぼとぼ進み、そして今はジャンパーの前を開けて「春の日差し」の中を気持良く散歩している! これが全て半日ほどの間に起きたとは……。