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「自然の中に心を遊ばせて」 : 第二章 : 夏の森 : 抜粋

今僕はテントの前に座っている。家からちょっと自転車に乗り、その後木々の間を縫ってなだらかな丘を十分ほど登ってきたので、ゆったりと心を落ち着けようとしているところだ。テントを広げているとき、前回キャンプしたときに入った土や昆虫の死骸がナイロンの床に散らばっているを見て笑ってしまった。この一年間の企画が終わる頃には、かなりの量が溜まることだろう……。

天気は変わり易い。家を出る時には今夜雨になるだろうと思っていたが、こんなにすぐに降るとは予想していなかった。荷物を出していると、すでにパラパラ降ってきたのだ。最近は朝晴天で午後は曇り、夜になると雨という典型的な夏の天気が一週間ほど続いているので、明朝目が醒めたらきっと晴れているだろう。パラパラ降ってきたと言っても、まだ体では何も感じない。木の高いところの葉に当たる雨音は聞こえるのだが、地面にはまだ落ちてこない。間もなくここまで落ちてくるはずだが……。

そして当然、話題は昆虫で始まる。とてつもない形をしたクモが歩いている。とても小さな丸い体は、限界と思えるほど細く長い足に支えられて、まるで高い位置に浮いているかのようだ。僕が子供のころ、ティンカートイ(*棒と接続パーツを組み立てるおもちゃ)で遊んですぐ学習したことがある。長くてヒョロヒョロに作った部分はすぐに壊れるが、低くがっちりした構造にすると長く遊べるということだ。このクモは、そんなこと聞いたこともないだろうなあ。それにしても、まるで問題ない様子だ!

次に出場するチビ俳優は、よく見かける甲虫。朽ちた枝や落ち葉の周りをうろうろしながら僕の方にやってくる。彼が近づいたので少し動いたら、僕が危険な存在かも知れないと察して、まるで巣に帰るハチみたいに、高速ギアーでまっしぐらに視界から消え去る。野生の生き物全部を怖がらせちゃうと、淋しい思いをしなくちゃならないなあ。

次に、今回のキャンプ全体を象徴するかのような出来事に遭遇する。一組の生き物(雄と雌)が人目を忍ぶ行為をしているのだ。双方とも非常に小さいので、最初は何をしているのか分からなかった。だが、二匹がピックニックシートの上、僕のすぐ目の前に着陸するとはっきりそうだと分かる。大きな方(雌だと思う)が上にいて、その下で彼女と向かい合っている小さな方とお腹をくっ付けている。「感情の高まる一瞬」だけ、彼らは動かずにいて、その後離れると別々の方向に去っていく。これを見て、とても複雑な気持になる。二匹がこの行為をしている間にやっつける、などということはとてもできないが、その一方で、潰して抹消してしまいたい衝動にも駆られたからだ。もう分かったと思うが、目撃したのは蚊である。蒸し暑く風もないこの山肌の環境で僕の周囲を猛烈な数が飛び回るのを見れば、この種の行為がどのくらい起きているかは明白だろう!

先ほど「今回のキャンプ全体を象徴するかのような出来事」と書いたのは、彼らの御陰で今回のキャンプを台無しにされそうだからだ。僕はこの心休まる静かな場所へ、何もせずにひたすらじっと座っているために来たのだが、蚊のせいでそんなことは不可能になっている。つい今しがた、不思議なクモについて言及したが、彼が移動しているのを観察しようとしても、数秒毎に微小なドリルが体に打ち込まれるのを感じて、腕や足や汗だくの背中をピシャピシャ叩いていなければならない。網で保護されたテントの中に避難できることは知っているが、森に来て二十四時間「室内」に籠っているのなら、一体何のために来たのだろう?

対策はただ一つ。動いて動いて、動き続けること。谷のこちら側の斜面には、いくつもある稜線と谷を繋ぐ小道がたくさんある。「じっとしている」という計画は、しばらくお預け。一日の終わりころになれば、蚊の数も減ってくることだろうが、目下のところは否応なしに探検に専念!

 

木々の間の下草は少なく、すっきりしていて風通しがいい。小道に沿って歩きながら横を見続けていると、自分と木の距離によって視覚的効果が変化することに気付く。自分に近い木は歩くに連れてすぐ後方に過ぎていくのだが、距離が離れている木はもっとゆっくり過ぎて行く。また、谷を挟んだ向いの斜面に生える遠くの木は自分と一緒に前進している。森がくっきりと立体的に感じられる。まるでレールの上を移動していく撮影用カメラを通して、この景色を見ているかのようだ。森が薄い靄(もや)に覆われ、遠くの方からセミの声が聞こえるので、この印象がより一層深まる。まるで自分が映画の場面の中に入り込んだかのような錯覚に陥る。

八月になると、日本の山々ではセミの鳴き声がうるさいほど聞こえるものなので、この音に囲まれたら自分の考えがまとまらなくなるのではと、ここへ来る前にはちょっと心配だった。だが、この森にはそれほどセミはいない様子だ。今年は特に少ないのだろうか。それとも、歩いていると突然落ち葉の中から飛び出して近くの木まで飛んでいくセミがいたりするので、まだ時期が早いのだろうか。こんなことを考えていると突如、家族で紀伊半島の山で過ごした夏のことを思い出す。僕たちが行く直前に大きな台風が目的地を通過していたので、その頃あまり手入れをされていなかった杉の枝がたくさん折れていた。森を歩くと、足元一面が落ちた枝で覆われていて、その下でもがいているセミの声がいたるところから聞こえてきた。僕と娘たちは、必死にもがくセミたちを助けようと片っ端から枝を持ち上げていったのだが、無数とも思えるセミが下敷きになっていたのだから、全部を助けることなど到底できなかった。セミの一生の周期はよく知らないが、その七年後か十七年後にはセミの鳴き声のとても少ない年になったことだろう。

この森には数種類のセミが生息しているようだ。一番多いのがミ〜ンミ〜ンと鳴く種類だが、合間に別の鳴き声が混じる。ここでちょっとした錯覚が起きる。セミは至る所にいるのだが、自分のいる場所にはいない。遠くの方からは聞こえてくるのだが、今僕が立っている場所の近くにある木からは何も聞こえないからだ。僕の足音が近づくと鳴き止むのだろうか。普通セミは、そんなことはあまり気にしないようだが。他の場所だったが、木立の下に立っていたらすぐ目の前から鳴き声が聞こえてきたようなので、どこにいるのか見回したことがあるから。でもここでは、そんな遊びはまるでできない。「鳴き声不在の輪」が、僕と一緒に移動している……。

 

外に出てみると雨は止んでいるようだ。軽い雨音は周囲から聞こえ続けているが、少なくとも今僕の上空を囲む緑の天蓋からは聞こえない。風はそよともしない。小道を登ってテントが見えなくなる辺りまで来ると、倒木の上に腰を下ろして周囲を見回す。動くものは一つとしてない。まだ鳴いているセミの声が聞こえないように耳栓をしたら、時が静止したかのように感じるだろう。森が凍り付いたタブローとなって、僕がその中にいるかのようだ。今度は映画の場面ではなく、神秘的な森のモノクロ写真の中だ。完全な静寂。

こういった場所にいる気分をどう伝えたらいいのか悩む。自分の好きなように歪曲して書くのは簡単だ。今までの記述を読めば、「夢のような状態」にあるかのようだろう。だが、もしもこう書いたらどうだろう。ノートに記録をしようとすると、鉛筆では書けないほど紙が湿っているのでボールペンに変えなくてはならないとか、霧で眼鏡は曇り衣服もべたべたするとか、足首の周囲で空中を浮遊する蚊が煩わしくてたまらないとか書いたら……。きっと読者はこう思うだろう。「そんなキャンプなら僕はたくさんだ、ご免被るよ! エアコンの利いた家の中でテレビを見ているのは快適だからね」。でも考えてみて欲しい。僕たち、いつも快適な状態の中にいる必要があるだろうか? それが理想だろうか? 汗で眼鏡が滑り落ちてくるような場所にいる僕は、君よりつまらない思いをしていると感じるだろうか?

ここに来る前にある人にキャンプのことを話すと、「私もキャンプに行きたいけど、『四つ星』テントじゃなくっちゃ!」と言われた。僕だって、熱いシャワーも本に囲まれた部屋にある快適な椅子も好きだ。そういったものを諦めて永久にこのテントで暮らそうなどとは考えていない。でも、ちょっとした不便を厭(いと)うあまり、こういった経験をするチャンスを逃してしまうのは、どんなものだろうか。心休まる景色を見回しながら、自分がそれほど潔癖症でないことを幸いに思う。このキャンプをするためのちょっとした不自由など、得られるものに比べたら些細な代償である。

今夜は熱いシャワーを浴びることはできないが、食事に関してなら「不自由に甘んじる」つもりは毛頭ない! どんどん暗くなるので夕飯にしよう。今夜の献立は、マッシュルームリゾットとコーンスープにホットココア付き。デザートにリンゴもある。夕飯の支度をしているうちに夕方から夜に変わる。懐中電灯をテントの一番高い場所に付いているフックに吊るし、光線が広範囲に伸びて室内全体を均等に照らすように設定する。ちょっと外に出て見ると、テント全体が柔らかく光っている。暗闇の中、とぼとぼ家路に向かう誰かがこれを見たら感動することだろう。とてもいい眺めだ! 中では温かな食事と柔らかなマットが待っていることだし……。「四つ星」をリクエストした人がいたかな?

 

テントから体を出すと、一日の最も暑い時間が過ぎて空気が心地よく感じられる。森の床となるこの場所でもそよ風がはっきり感知できる。周りにはそれほどたくさんの蚊はいず、木の葉をすり抜けた太陽光が何本もの筋となって急角度で照らし、地面のあちこちに斑点を作っている。この斜面のすぐ下にポツンと生えている大きなキノコが、一筋の光に照らされてとてもきれいに見えるが、これは束の間の命。太陽が動くとスポットライトは消えてしまう。

とても静かだ……。かすかな音しか立てない昆虫が数匹と、どこかに鳥が数羽……。これこそが、このキャンプに求めていた雰囲気! ずっとこんな風だったら、どれほど違う話を書いていただろう。ここで静かに座っていられたのなら、この山腹でどんなものを目にしたことだろう。

早速ひとつ気付いた。ここから二メートルほど離れたところで、太陽の光を浴びてぶらさがっているものがある。ハチのようだが、何もせずまったく動かず空中で止まっている。もちろん何もせずに空中で静止できるはずがないから、実際はその状態を保つために一生懸命活動している。そいつは僕に面と向かい合っているので、体の両端が見える。空中でぼやけて見える部分は、羽が猛烈な早さで上下動をしている場所だ。こうしてすぐ目の前で見なければ、こんなことあり得ないと思うことだろう。このちっぽけな肉の塊が、重力に逆らうそんな「超人技」を使える訳がないと。

飛行機はどうして空を飛べるか……これは理解できる。翼の上と下の面へかかる圧力が異なり、それから……。じゃあ、ヘリコプターは? それも分かる。翼が回転するから。(正直なところ、正確には知らない。ファンの働きで空気を押し下げるからだろうか?)こう考えてきて、さてハチになると論理は行き詰まる。このハチの羽が下に行くときには数百分の一秒だけ体を上昇させるだろうが、その羽を上に動かす間はどうなるのだろうか。そんな素早い動作を長い間続けられるものだろうか。どんな活力が素になっているか知らないが、この微小な筋肉は疲れを知らないようだ。一秒間に何百回も羽ばたいているはずなのに、時折場所を移動しながらも一定の領域内で、このショーは十分以上も続く。何をしているのだろうか? 僕みたいに、満腹になり過ぎて余分な蜜を消費しているのだろうか。

面白いことに、このハチは飛びながら他のこともしている。体の後方で小さな白い包みを分離して地上に落とし、すぐその後に足を伸ばして暫く擦り合わせている。そんな動作をしても、羽の動きは微塵も影響を受けない。もっとよく観察しようと近寄ってみるが、一メートル以内に近づくと突然去ってしまう。一体どっちがどっちを観察していたのだろう?